石灰藁
視点:ベルタ
おにいさんが大好きな消石灰で麦わらを処理して、羊の飼料とわら細工の材料にしてしまう。
収穫祭が終わって、もう少しで麦を撒くまでのちょっと時間がある素敵な時期、友達と木の実を取りに行ったり、怠けたりしようと思っていた。
けれど、春からずっと何かをしているおにいさんが横にいるので怠けていられないのだ。
もし怠けたらどうなるだろうか?多分おにいさんがいそいそと働いてくれて、わたしにお粥やナッツを食べさせてくれる。これは合っているだろう、おにいさんはそういう人間だ。
そして村の皆に追い出されて多分教会に入れられるに違いない。おにいさんにばかり働かせて、この怠けものめ!
「ちゃんと働くから追い出さないで!」
「どうした急に。追い出すも何もベルタの家だろう」
おにいさんはそう言いながら、手際よく樽から濡れた麦わらの束を引き揚げていた。
おにいさんがごにょごにょとやっていた、あの麦わらだ。水と白い粉を混ぜた樽の中に押し込まれて、丸一日放っておかれていたカサカサの黄色い茎たち。
おにいさんはこの白い粉が大好きなのだ。薪をかまどで燃やした後の白い粉も、貝殻とか白い石を窯で焼いて作った白い粉も、みんなみんな大好きなのだ。
わたしはこんなに白い粉が大好きな人間を見たことがない。小麦の粉だってもっと黄色っぽいのに。
水の中でジャブジャブと洗うと、わらの表面についていた白いぬめりが落ちて、澄んだ水がほんのり濁る。それをなんどか繰り返してあげると、昨日までの固くてチクチクしていた麦わらとはまるで違う、しんなりとした束が姿を現した。
「よし、次はこれを木臼で叩いて、ほぐそう」
おにいさんが言うので、わたしは水洗いした湿った麦わらを木臼に置いて、足踏みでギッタン、バッコン。
重い木槌が持ち上がっては、束ねた麦わらの上へとドスンと落ちる。
ギッタン、バッコン。
足踏みを繰り返すのに合わせて、叩かれた麦わらがペタッと潰れていく。
わたしはその様子をじっと眺めながら何に使うものなのかを考える。
この柔らかくてペタペタになった麦わらを見ていると、今までにあった似たようなことがすぐに思い出せる。
柳だろうが大麻や亜麻だろうが白い粉と水で柔らかくしなやかになったのだ。
なら折れやすくて、無理に曲げるとポキポキ折れて、指に刺さって痛いこの麦わらだってそうなるに違いない。
つまりこれで新しい縄をなったり、冬の間に何か便利な道具を作ったりするに違いない。
わたしは賢くなったので、おにいさんの狙いに勘づいてしまった。
……と思った瞬間、背筋に冷たい汗がスッと流れた。
わたしはそろりと首を巡らせ、納屋の横にうずたかく積まれた「麦わらの巨大な山」を見上げた。
今年の夏、わたしの畑から収穫されて、脱穀したあとに残った大量の黄色い茎の山。家一軒分くらいあるんじゃないかというほどの、とんでもない量だ。
頭の中で恐ろしい計算が走り始める。
あの麦わらの山を全部、この石灰の汁につけ込んで、水で洗って、木臼で叩いて……それを全部わたしが縄に編んだり、カゴにしたりしたりするのか。
「ひええっ!? おにいさん! むり! むりだよこんなの!!」
「さっきからどうしたんだ」
きょとんとした顔でわたしを見返してくる。
「あの麦わらの山だよ! いくらわたしでも、あんな大量のわらを全部縄にしたりかごにしたりしてたら、手がボロボロになって冬が終わっちゃうよ! 指がなくなるよ!」
わたしが頭を抱えてなっていると、おにいさんは何かに納得したように小さく息を吐いた。
「少しは縄とか籠にするけど全部はしないぞ。というかよくわかったな」
「えっ? じゃあ、残りのあの山みたいな麦わらはどうするの?」
「普通に羊のエサにする」
おにいさんは何でもないことのように言うと、水洗いして風に当て、カラリと乾かした麦わらを一抱え掴んだ。これはもっと前の日に漬けて乾かしていた方の麦わらだ。なんとなく白いからきれいだ。
そのまま、羊の場所に持っていく。おにいさんは乾かして白くなったわらを羊にすっと差し入れた。
羊が鼻先をヒクヒクさせて匂いを嗅いでから、もしゃもしゃ、もしゃもしゃもしゃ。
特に何の感慨もなさそうな、いつも通りの虚無の目をしたまま、ごく普通に、当たり前のように干したわらを食べ始めた。
「あ……食べた」
「そうだね。食べたね」
おにいさんは満足そうに頷いた。
おにいさんはいつもの調子でうれしそうに解説をしてくれる。なんでこんなに嬉しそうに話すのだろうか。何故干しわらは羊のエサにならないのか?それは硬いからだ!いや、みんな知っていることを詳しく説明されてもわたしは困ってしまう。話を聞き流すのもダメな気がするから聞きながら漬けてあったわらを洗って木臼で叩きほぐし続けた。
なんで話を聞くだけでこんなにも疲れるのだろうか?逆に麦わらを洗ってほぐしてし続けないと倒れそうだ。
わかったことは、おにいさんの大好きな白い粉であの硬くて不味い麦わらの山が全部羊のエサになるということだ。
つまり、この麦わらの山すべてがエサになって、冬の間に羊たちが飢えずにすむということだ。
でも、待ってほしい。
エサになるということはあの麦わらの山を、全部白い粉に漬けて、水で洗って、乾かさなきゃいけないということではないか。
「やっぱり大変じゃない!! あんなにたくさんあるんだよ!? 冬が本格的に来て地面が凍りついたら、水洗いなんて寒くてできなくなっちゃうよ!」
わたしが叫ぶと、おにいさんはあごに手を当てて「ふむ」と考え込んだ。
「確かにその通りだ。寒くなれば水は冷たいから漬ける時間も長くなるし、乾くのも時間がかかるな」
「でしょう?わたしの指がとれちゃう」
「まあ羊1頭しかいないから、これくらいやろうか」
おにいさんが指さした麦わらのは思いのほか少なかった。寒くなるまでには全部できそうだ。
「よし……分かった! 寒くなる前に、毎日少しずつ、どんどん漬けて洗って乾かそう!」
こうしてわたしは頑張ることになってしまった。
毎日、白い粉の水に漬け、次の次の日に水で洗って、風通しの良い場所でカラリと乾かす。
あ、やることは少ないや。ほとんど放っておくだけだった。これならできるし、冬になっても多分時間かかるだけでできるんじゃないだろうか。
わたしが一生懸命やっている横でおにいさんは泥遊びをしながら小麦粒を用意したり、亜麻の種と水を土鍋に入れたりしている。
わたしばかりが麦わら仕事をやっているとは言わない。もしかしたら、というよりも大体おにいさんが準備していることは面倒な事ばかりなのだ。
わたしができるようになるまで準備をしてくれているのなら、今は大人しくこの仕事をしてよう。
羊のエサとは別に取り出して、叩いて軽くほぐした麦わらをつまんでひねって縄をなって見た。亜麻程ではもちろんないけれど、たった今できた細縄をみて満足した。
「ふふん、これなら手も痛くならないし、綺麗なカゴが編めそう!」
羊たちはむしゃむしゃとやわらかくなった麦わらを食べてお腹いっぱいに満たされ、わたしは柔らかい麦わらで編み物を楽しむ。おにいさんはわけのわからない事をする。
わたしの家はいつだって豊かさに満ち満ちているのだった。
次回、ムシレージ
【作中技術解説】
石灰藁:麦わらやススキなどのイネ科植物の茎には「リグニン」という強固な高分子化合物が含まれており、これがセルロースを覆うことで硬い構造を作っています。消石灰などのアルカリ溶液に浸泡することでリグニンの結合を加水分解して緩和させ、反芻動物のルーメン微生物によるセルロース消化率を大幅に向上させる飼料改善技術です。
アルカリの中和と炭酸カルシウム化:消石灰処理を行った麦わらは、水洗いの後に空気中で乾燥させる過程で、残存した水酸化カルシウムが空気中の二酸化炭素(CO2)と反応します。これにより、安全で無害な「炭酸カルシウム」へと再変化するため、家畜が摂取してもアルカリによる消化管障害を起こさず、同時にカルシウムの補給源となります。
わら細工への応用:アルカリ処理によってリグニンやペクチンなどの結着物質が部分的に除去・軟化された植物繊維は、親水性と柔軟性が飛躍的に高まります。これにより、本来は折れやすく加工に向かない硬い麦わらが、しなやかで破断しにくい布や紙、縄、編み籠などのわら細工として利用可能になります。




