松の葉エール
視点:ベルタ
収穫祭で何かを振舞いたいので、簡単ですごいものを求めたらエールを提案された。
「ねえおにいさん、今年の収穫祭の出し物、どうしたらいいかな」
あたたかいかまどの脇で、わたしは膝を抱えながら首を傾げた。
小麦の収穫も無事に終わり、納屋にはツヤツヤの小麦や大麦、燕麦が山のように積まれている。
村のみんなも貢納をきちんと納められた家が多かったようで、今年の収穫祭は村中が今からソワソワして浮き立っていた。
村の家々では、お祝いのためにパンを焼いたり、お粥を振る舞ったりするような雰囲気がしている。
「やっぱり、うちもお祝いに何か出したい。うーん、パンを焼く? でも、小麦を挽いて粉にするのってすっごく大変だよね、パン窯を温めるのに薪もいっぱい使うから、パンはやだな」
まえにパンを焼こうと考えたけど、お祭りに出すパンを焼けるだけ粉を挽こうとしたら、たぶんわたしはおばあちゃんになってしまう。
その時は代わりにお粥を作ったけど、粉を挽くことと比べたらすぐにできたし簡単でよかった。
皆同じようにお粥を作ってお祭りに出したら、きっとわたしが頑張って作っても大したことにはならないだろう。
クルミやヘーゼルナッツを出す?あれは集めるのが大変だから出したくないな。
わたしの表情がくるくる変わって面白がっていたおにいさんが何か言い出した。
「粉を挽きたくない、お粥よりは手をかけたい、ナッツは使いたくない、それでいて村中が一番喜ぶものがいいのか?」
「そうそう。そういう都合がいいものが欲しいの。何かある?」
「もちろんだ、ベルタ」
「えっ、あるんだ。なになに?」
「エールを作ろう」
「エール? やった、お酒を作るんだ!」
わたしは思わず声を張り上げて飛び起きた。エールといえば、村の大人たちが収穫の後やお祭りの時に、領主様の館の広場で嬉しそうに飲んでいるあの茶色い飲み物のことだ。村で作られるエールは酸っぱくてドロドロしていて、見た目はあんまり良くないけれど、大人はみんな大好きで、仕事の合間にもお祭りでもいつでも飲んでいるたのしい飲み物だ。
「えっ、でもエールなんて作れるの? 麦が材料なのは知ってるけど」
「もちろん。美味しかどうかは別として作れるんだよ」
相変わらずおにいさんはふわふわしたことを言っている。美味しいかどうかはそりゃ作ってみないとわからないよ。
エールが作れると分かってわたしの胸はワクワクで弾けそうになった。
「わあ、やりたい! エール作ろうよおにいさん!」
「では、さっそく始めよう」
煙道の脇でおにいさんがお世話をしていた麦が、いくつもの木箱に入れられていた。
「これは……麦の芽が出てるけど乾いていない?」
「よく気がついたな、ベルタ!」
嬉しそうな顔をしてたくさん説明を始めてくれた。なんでおにいさんはこんなに説明が好きなのだろうか。
話を聞きながら、乾いた麦の芽を眺める。煙道でじっくりと乾かされたんだろう、香ばしくて、どこかほのかに甘い匂いが鼻をくすぐる。
おにいさんの熱心な説明が終わったようだ。とにかくこれを使うと甘い麦の汁になることが分かった。
「じゃあ、これをお湯につければすぐエールができるの?」
「いや、まともな酒の種を探さないといけない」
おにいさんはそう言うと、棚から小さな素焼きの小皿をいくつも並べた。そこには、麦の汁に、村の周りで摘んできた色んな花や葉っぱ、ハーブを漬け込んだ試作品が並べられていた。本当に準備がいいな、いつも何かやっているけど、これの他にもいろいろやってるもんな。
「さあ、ベルタ。どれが一番美味しそうな香りがするか、選んでくれ」
わたしは小皿に顔を近づけ、順番にくんくんと鼻を鳴らした。
ひとつめは、黄色い野花を漬けたやつ。……うーん、なんだか草くさくて酸っぱい匂いがする。
ふたつめは、干したリンゴの皮を入れたやつ。甘い香りはするけれど、ちょっとぼんやりしているかな。
みっつめ。青々とした松の葉を漬けた小皿に鼻を近づけた瞬間、わたしは「これだ!」と目を輝かせた。
「おにいさん、これ! これが一番いい!」
麦の香ばしい甘い匂いの奥から、ふっと胸がすくような、森の中にいるみたいなスカッとした清涼感が突き抜けてくる。しかも、かすかに「シュワシュワ」と甘酸っぱい果物みたいな匂いが混ざっていた。
「なんだかすーっとして、一番美味しそうな匂いがするよ!」
おにいさんは満足そうに頷くと、また説明を始めた。松の葉は香りもよくて、痛むのが防げて、栄養もあるということだけど、そんなにも細かい説明をする人間は他に居ないと思う。
説明が終わらないのでそのまま準備に取りかかった。……けれど、ここからの「おにいさんの準備」も、とにかくやたらと長かったのだ。
「おにいさん……まだぁ?」
わたしは足元で薪を弄びながら、大きな欠伸をした。おにいさんは大きな土鍋や素焼きの樽、木彫りの杓子に至るまで、あらゆる道具をかまどの湯気の中に並べ、カンカンに熱したものをこれでもかと吹き当てていた。透明な湯気でばい菌をやっつけるらしい。
「まだだよ、ベルタ。道具の殺菌が成功のほぼ全部を握っているんだ」
「へぇー……大変なんだねぇ」
おにいさんが真剣な顔でシューシューとあっつい湯気と格闘しているのを眺めながら、わたしはエールについてのこういうものがいいんだよと喋ることにした。
「でもね、おにいさん。村の大人が飲んでるエールって、ホントはあんまり美味しくないんだよ?」
「ほう? そうなのか」
おにいさんは汗をかいた額を拭いながら、興味深そうに耳を傾けてくれた。
「うん。村のエールはね、ドロドロしてて、なんだか酸っぱくて、泥みたいな匂いがするときもあるの。だからね、本当の美味しいエールっていうのは、もっとこう……冷たくて、シュワシュワしてて、飲んだあとに喉が『くはーっ!』てなるのが一番なんだよ!」
「なるほど。それはわかる気がするな」
「でしょ? たまにそういうエールを飲ませてもらったこともあったけど、たまたまだったんだろうね。同じ人が作っても同じようにもならなかったよ。おにいさんも完成したら一緒に飲もうね!」
わたしが笑顔で言うと、おにいさんはあからさまに引きつった顔をした。
「俺は下戸だから飲めないんだよ」
「えー、何それ?わたしも飲むし、わたしよりちっちゃい子も飲むんだよ」
「駄目。死ぬ」
真面目な顔で本気で断るおにいさんが可笑しくて、わたしは「ぷっ」と笑ってしまった。こんなになんでも多分大丈夫だと言い切っているおにいさんなのに、エールにはちっちゃい子より弱いなんて、なんだか可愛いところがあるのだ。
道具の準備が終わると、そこからの作業は一気に進んだ。
おにいさんは大鍋にお湯を沸かし、甘い麦汁を絞り出した。それを再び土鍋でグラグラと煮立たせる。
冷ました麦汁をハーブと松の葉を入れた大きな樽へ移し替え、上からしっかりと布と木蓋で密閉する。樽の中では、わたしが選んだお酒の種と、おにいさんが用意した甘い麦汁、そして数々のハーブと松の葉の香りが混ざり合い、これから静かに時間をかけて、美味しいエールへと変わっていくのだ。
完成まで何日かおけばいいようだ。わたしは樽の表面を優しく撫でた。
「ふふん、わたしが選んだ松の葉の酵母だからね! 絶対に特別な、一番美味しいエールになるよ!」
村のみんながこの味を好きかどうかは分からない。村の大人はドロドロの酸っぱいエールに慣れているから、こんなに爽やかなエールを出したらびっくりしちゃうかもしれないけれど、わたしはこの香りが一番好きだ。
「お祭りが楽しみだね、おにいさん」
「そうだね。無事にエールになることを期待しよう」
樽の中からは、耳を澄ますと「ぷつ……ぷつ……」と、小さな泡が生まれ始める音が聞こえていた。
次回、収穫祭
【作中技術解説】
グルート:ホップがビール醸造の主流となる中世後期以前、ヨーロッパでは「グルート」と呼ばれる様々なハーブ、ヤチヤナギ、シロガラシ、セージ、松脂などを調合した香草類がエールの苦味付け・香り付け・防腐剤として使用されていました。本話で用いた松の葉は、強い抗菌作用を持つ精油成分を含み、ホップの代用として歴史的にも北欧などで実際に使用されていた伝統的な醸造素材です。
野生酵母の採取とスチーム殺菌:培養された乾燥酵母がない環境では、果実や植物の表面に付着している野生酵母を利用して発酵させます。しかし、野生酵母を用いる醸造は雑菌が繁殖して酸敗するリスクが極めて高くなります。これを防ぐため、醸造器具を徹底的に熱湯や熱蒸気で殺菌し、目標とする野生酵母だけを優先的に繁殖させる環境を整えることが醸造成功の不可欠な技術となります。本話ではこの事前準備が掛かり過ぎたためベルタがパンにしておけばよかったと何回か後悔しています。
松の葉のアスコルビン酸:生の松の葉には大量のアスコルビン酸、ビタミンCが含まれており、寒冷地や冬場における貴重な栄養源として歴史的に利用されてきました。単なるアルコール飲料としてだけでなく、ビタミンやミネラルを補給できる栄養補給ろ過飲料としての側面をエールに付与しています。




