塩の分画
視点:ベルタ
おにいさんが岩塩をきれいにしたいと言い出したので一緒にきれいにする。
暑い夏はとうとう終わった。十分の一税の納付も、領主様への貢納も、お父さんとお母さんのお墓参りも、すべてが無事に終わった。わたしたちの納屋には、おにいさんが作った麦の籾を扱き落とす道具を使った、ゴミひとつ混じっていないきれいな麦の山がこんもりと積み上げられている。去年の未納分だって払えたし、代官様のところへ行ったおにいさんは、ずっしりと重い貴重な塩を持ち帰ってきてくれたのだ。
あの時手に入れた塩は、茶色くゴツゴツとした塊だった。岩塩というやつらしい。そのまま舐めてみると、確かに強烈なしょっぱさが広がって、たぶん砂が口に残る。よく見るとところどころに黒い汚れや灰色の混ざり物が見え隠れしている。村の大人たちが手に入れる塩も似たようなものらしく、「塩なんてそんなもんだ、多少の砂を噛んだところで死にやしないさ」とみんな口を揃えて笑っていた。
わたしが見たことがある塩もまさしくこれなので特に変だとは思わない。
けれど、おにいさんはその茶色い岩塩の塊をしげしげと眺めながら、さすがに少しきれいにしたいと呟いたのだ。
「きれいにするって、どうやって?」
「一度溶かしてからもう一度固めようか」
おにいさんがそう言って始めたのは、なんか面倒くさそうなことだった。
かまどから伸びている煙道に手頃な土鍋をいくつも行儀よく並べた。わたしの家にはおにいさんが作った土鍋がいくつもある。煮炊き用だけでなく、こういう謎の作業に駆り出される土鍋たちも、どこか誇らしげに見えなくもない。
「ベルタ、水に岩塩を溶かすよ」
「え、溶かしちゃうの?」
わたしは大きな水汲み桶から、きれいな水をすくい、今まさに土鍋に入れようとしたところで固まった。
お塩は大事だから高いのだ。それを水に溶かしてどうするのだろうか。
一番大きな土鍋に水を入れるように言われたので、何か聞いてみようと思ったけれど先に水を入れていく。
そこに、あの茶色くごつごつした岩塩を、ごとり、ごとりと放り込んでいく。
あぁ、じわじわと溶けて濁っていく。
「こんなに入れちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫だ、試しだから今日はこれくらいにしておこう」
おにいさんは長い木の棒で、土鍋の中を優しくかき混ぜる。最初は中でカチカチと音を立てていた岩塩の塊が、ぐるぐるかき回して、じわじわと形を崩していく。濁った茶色い水がぐるぐると渦を巻き、やがてゴツゴツとした塊の姿は跡形もなく消え去ってしまった。土鍋の中身は、まるで泥水のように濁った。
今までは何も思わなかったけど、岩塩は本当にそのまま食べても大丈夫なものなのだろうか?この濁りは大丈夫なやつなのかな?
「うわぁ、なんだかすごい色になっちゃったね」
「思ったよりは綺麗だけど、こうなるのか」
おにいさんは微妙な顔、わたし達とはだいぶ違う表情になった。笑いながら困った顔というのだろうか?
「これは蓋をして明日まで置いておこう」
どうやら今回は時間をかけるらしい。おにいさんがやることはその時に便利な何かが起きる時と時間がたってから何かが起きることの二つがある。
わたしはすぐに何かが起きて欲しいけど、残念ながら今回はすぐには何も起きないようだ。
「これで塩がきれいになりそうだけど、きれいにしないと困るの?」
「正直わからない。一度に使う量はたかが知れているから多分大丈夫だとは思う」
うーん、おにいさんにしてはとってもあいまいな答えが返ってきてしまった。
明日の朝、塩水をみてあまり変わっていないようだったら残りの塩はそのままにしておこうねと言ってあげよう。
大変な作業は少しでも減らした方がいいにきまっている。
翌朝、わたしは鍋の蓋を取ってみた。
すると、鍋底には、岩塩の塊に混じっていた大量の砂粒や、細かいゴミ、さらにはどこから紛れ込んだのか黒い炭の粉のような物が溜まっていた。
「わあ、こんなに汚れていたんだ……」
「これは食べる物じゃないからやはり取り除きたいな」
「そうしてね。思ったより汚かったよ」
おにいさんが塩水の透き通ったところだけ静かに空の土鍋に移していく。移った塩水は、昨日の泥水とはうって変わって、とっても澄んだ水になっていた。
「この鍋底のやつや捨てるの?ちょっと塩水残っているけど」
「羊に分けてあげよう。羊にとっては十分だからね」
羊の所に持っていて舐めさせるようだ。
「うぁ、すごい。べろんべろん舐めてる」
「羊にも塩が必要なんだ。これだけの塩だから上手に使おうな」
「羊にはわたしの分を分けてあげるね」
ベルタは優しいと言って頭を撫でられてしまった。
「土鍋に入れた塩水を温めて乾かして塩に戻そう」
「やっぱりもとに戻るんだ」
わたしは溶けた塩が戻ることに安心して胸をなでおろしてしまった。
「ちゃんと塩に戻るからな。あとここから面白いことが起きるんだよ」
おにいさんは濾した透明な塩水を、煙道の上に並べた土鍋で温めていく。穏やかな熱で、水分をゆっくりと、しかし確実に空へと逃がしていく。
時間がかかると言われたのでしばらく違う仕事をしていた。わたしの杵捌きはもう夏前とは比べ物にならない程上手になっている。
足の感覚だけで大麦の殻を外しつつ砕かないことができるのだ。
これを見せるとおにいさんは面白い顔をするからたまらない。
人間にそんなことができるのか?何度やって見せてもこんなことを言う。
面白いから今日食べる分と明日食べる分とどんどん殻を外していく。
しばらくすると、透明だったはずの土鍋の底やフチに、なんだか白くてサラサラした別の何かが、うっすらと膜のように現れ始めた。
「おにいさん、これなに? 塩じゃないみたい」
「よく違うってわかったね。それは石こうだから塩じゃないんだよ」
「せっこう……?」
「たくさん食べると良くないけど、大した量にはならないな」
おにいさんはそう言うと、小さな木べらを手に取り、土鍋の底に沈殿し始めた白い粉のようなものを、丁寧にかき集め始めた。塩とは明らかに違う、少しざらざらな白さの粉を、おにいさんは慎重に別の小さな素焼きの小皿へと移していく。
「これ食べられる?」
「苦いしょっぱいかな。ちょっと舐めてみたらわかるよ」
「しょっぱい。あとざらざらする」
「そうだよな。少しとは言え、何かに使えるかもしれないから分けておくよ」
ほんとうに少しだった。どんぐりの帽子で隠せるんじゃないだろうか。
おにいさんの表情からたぶん何十年分集めないと使えないような気がする。
あるかないかの石こうを取り除いた後、またしばらく時間がかかるようだ。土鍋の中は塩水だけだから水がなくなれば塩がでるということだ。
別の仕事をして過ごしていると、おにいさんが呼んでくれた。
「わぁ……! すごい、真っ白!」
思わず声を上げながら覗き込むと、そこにはもともとの茶色くて汚れていた岩塩の面影は微塵もなく、雪のように白く、触るのがもったいないくらい綺麗な塩ができあがっていた。
わたしは我慢できず、人差し指の先端を少しだけ舐めてから、そのできたての白い塩の山にちょんと触れさせ、舐めてみた。
「――っ! しょっぱい! でも、美味しい!」
舌がしびれるほどの強烈なしょっぱさ。けれど、以前のようにジャリジャリと砂を噛む嫌な感触は一切なく、ただしょっぱくて、美味しい塩だった。
あのゴツゴツした塊が、真っ白な塩の粉に生まれ変わるなんて、とてもいい気分だ。
「随分手間がかかるけどこれは使う分の塩にはやりたいな」
「やろう、おにいさん。これだけきれいな塩になるなら気分がいいよ」
わたしは飛び跳ねながら、綺麗に洗い上げられた塩の山を両手でそっとすくい、専用の素焼きの壺へと移し替えていく作業を手伝った。土鍋の底に残ったわずかな塩の結晶すら、もったいないからと綺麗にこそげ落とす。
すべての作業が終わるころには、すっかり辺りも薄暗くなり、空にはぽつりと星が瞬き始めていた。
煙道からは、まだ心地よい温もりがほんのりと伝わってくる。その温かさに背中を押されながら、わたしはピカピカに蘇った塩の壺を抱えていた。
納屋に積まれた黄金色の麦と、壺に収まった純白の塩。
わたしたちの冬支度は、こんなにもしっかりとできた。寒くて恐ろしいはずの冬が、なんだかとても温かくて、誇らしいものに思えて仕方がなかった。
次回、村長への感謝
分画:成分を分けること。今回は岩塩鉱の溶解採鉱をスケールダウンして、水に溶ける物と溶けないもの、水に溶けたものでも溶けにくいものと溶けやすいものという性質を使って塩化ナトリウムを抜き出した。




