豚との闘い
視点:ベルタ
貢納が済んでも、貧農は休む間もなく次の仕事が待っています。豚さんの目を盗んでどんぐりをかき集めます。
秋の冷えた空気が、村をすっぽりと包み込むころ、私たちの納屋には極上の麦の山ができていた。おにいさんが用意してくれたあの焼き物の歯のおかげで、ゴミも混じらず、一粒の例外もなく綺麗に外された麦たちだ。十分の一税も去年の未納分も今年の分も全部納められた。塩だって手に入った。やるべき仕事はひと段落、お父さんとお母さんにも報告できた、そう思っていた矢先のことだった。
「ベルタ、森に行きますよ」
おにいさんが、手頃な籠を背負って言った。
「森? なにするの?」
「どんぐりを拾いに行きます」
それを聞いて、わたしはなるほどと思った。豚を飼っていない私たちの家には、ほんとうなら堂々と森へ入れない。けれど、領主様の森の管理の中でも、貧乏な人は落ち穂拾いや、木の実を拾い集めることはなんとか許されている。冬を越すための大切な蓄えを作る大チャンスだ。
「わかった。豚さんには負けない」
わたしは真剣な顔で納屋から飛び出し、おにいさんの後ろをついて村の外れにある深い森へと向かった。
森の中に入ると、足元にはゴロゴロと茶色く丸い宝物が転がっていた。カシやナラの木々が秋風に揺れるたび、ぽとん、ぽとん、と音を立てて新しいどんぐりが雨のように降ってくる。
「うわあ、すごい! 豊作だね、おにいさん!」
わたしは嬉しくなって、夢中でどんぐりを拾い集め始めた。ころころ、つるつるした茶色い実を次々に拾い上げ、籠へ放り込んでいく。
しゃがんで、拾って、立ち上がって、また拾う。
単純な作業だけど、拾っても拾ってもなくならない。普通なら渋いどんぐりなんて食べたらお腹を壊すだけだけど、わたしは渋いのを抜くことができる。つまりこれは栗が敷き詰められているみたいなものだ。わたしはすっかり夢中になっていた。ふと遠くを見ると、おにいさんも静かに、しかし手際よく大ぶりのどんぐりを選り分けて籠に詰めている。
「おにいさん、こっちもすごいよ! こんなにたくさん!」
わたしが誇らしげに籠いっぱいのどんぐりを見せると、おにいさんは「やはりベルタの方が上手です」と目を細めて笑った。
その時だった。
ふごっ、ふごっ、ぽりぽり……
すぐ近くの茂みの奥から、何かが硬い殻を噛み砕く音が響いた。
「……ん?」
わたしが手を止めて首を傾げると、次の瞬間、カシの木の根元から、見覚えのある生き物が姿を現した。
それは、イノシシみたいだけどちょっと違う。毛深く、頭でっかちで脚の長い豚さん。背中には鋭い剛毛を逆立て、落ちていた大粒のどんぐりを一心不乱に噛み砕いている。村の誰かが秋の間に森へ放牧している豚さんだった。
村の大人たちが言っていた。「秋にどんぐりをたくさん食べさせて脂たっぷりに仕上げるんだ」と。
「ひっ……!」
わたしの背筋が一瞬で凍りついた。村にいる時はいいけど、この豚さんはわたしに食べ物をとられていると思っていないだろうか。もしここでわたしの事を食べ物泥棒だと思ってしまったら、わたしが食べられちゃうのか。おにいさんが無言でスッと私の前に立ち、静かに場所を変えようと言ってくれた
豚は「ふごふごっ」と鼻を鳴らしながら、夢中でどんぐりを頬張っている。まだこちらには気づいていない。いや、気づいているかもしれないけどどんぐりの魅力には勝てないようだ。
「ほかの場所に行きましょう、まだまだたくさんあります」
おにいさんが小声で囁き、音を立てないようにそーっと後ろへ足を引いた。
私も息を殺し、手に持っていた籠をそっと地面に下ろすと、音を立てないように細心の注意を払いながら、一歩、また一歩と後じさる。
(見つからないで……あっちを向いてて……!)
祈るような気持ちで木の陰へと体を滑り込ませる。豚はバリバリと音を立てながらどんぐりに夢中で、私たちの存在にはまったく気づく様子がない。
ふうっ、と小さく息を吐き出しながら、私たちは豚の視界から完全に外れる安全な場所まで、文字通り猫の足音のように静かに離れ去った。
少し離れた安全な木陰にたどり着くと、わたしは膝をついて小さく胸をなで下ろした。
「豚さんも一生懸命だったね。わたしも負けていられない」
おにいさんは優しく微笑みながら、わたしの頭を軽くポンと撫でてくれた。
「あっちの木の下なら、まだ誰も荒らしていないどんがりの山がたくさんありますよ」
「ほんと! じゃあ、あっちでいっぱい拾おう!」
さっきまでの緊張が嘘のように消え去り、私たちは再びやる気を取り戻すと、今度は豚さんのいない安全な場所を選んで、夢中になりながらどんぐりを拾い集め始めた。
しゃがみ込んでは、ぽとんと落ちたばかりの綺麗な実を拾い、籠へと放り込む。ナラの木の下はまるで宝の山だ。夢中になって手を動かしていると、だんだん腰が重くなってきて、額にうっすらと汗がにじんでくる。
「ふう……ちょっと休憩、っと」
わたしは両手いっぱいに抱えていたどんぐりをいったん籠にザラリと戻すと、その場にぺたりと尻餅をついた。あんなにドキドキした直後だからこそ、急に腕や足のがじんじんと疲れたと言ってくるようだった。
でも、疲れて休んでいるこの時間すら、わたしの頭の中はワクワクする想像でいっぱいだった。
――これだけの量を、これから全部どうやって処理しようかな。
まず、持ち帰ったどんぐりは、あの木臼でついてしまおう。重い木槌を足で踏み込んで、ガチャン、ガチャンと殻を砕いていく。あの作業は歌いながらするからちょっと楽しい。殻を綺麗に割り終わったら、次は硬い外皮をしっかり取り除く。面倒だけどやることが何もないよりよっぽどいいのだ。
そしていよいよ、お鍋に放り込む。
灰汁と一緒にぐつぐつと煮込んで、じっくりと渋抜きをする。あの独特の黒っぽい汁が出ると、ああ渋いのが抜けたんだなとわかる。何度も水を替えてさらさらと洗い流す。これだけ頑張ると、あんなに渋くて食べられなかったどんぐりが、嘘みたいに生まれ変わるのだ。
「これは全部、わたし一人できるんだよね」
自分で槌を踏んで殻を割り、灰汁で煮込んで、水にさらして――そうやって手間ひまをかけた末にできあがるどんぐりは、わたしにとって最高の大仕事であり、誇らしい宝物だ。
渋抜きをしたあとのどんぐりは、そのまま噛むとほくほくして普通に食べられるようになる。
それを目の前のかまどの平らなところで伸ばしてこんがり焼いたら、香ばしくてちょっと贅沢なおやつになる。あるいは、おにいさんが育ててくれた貴重な麦と一緒に煮込んで、とろりとしたスープにしてもいい。麦のつぶつぶした食感と、どんぐりの優しい甘さが合わさったら、きっとお腹の底から温まる最高のご馳走になるに違いない。
「むふふ……絶対に美味しいやつだ……」
想像するだけで、さっきまで疲れていたはずのお腹が、グーッと小さく音を立てて鳴った。麦や塩が貴重なこの村で、自分たちの手で集めたどんぐりがこんなふうにご馳走に化けるなんて、想像するだけで胸が高鳴る。
「ベルタ、休憩は十分ですか? あまり休みすぎると体が冷えますよ」
少し離れた場所から、おにいさんの穏やかな声が飛んでくる。
「うん、もう大丈夫!」
わたしはぱっと両手で地面を払うと、元気いっぱいに立ち上がった。疲れなんて、美味しい冬の妄想をすれば吹き飛んでしまう。
私たちは再び籠を手に持ち、冬の寒さに負けない温かい食卓を目指して、ナラの木の下で夢中になりながらどんぐりを拾い集め続けるのだった。
太陽が傾き、森の中に長い影が伸びるころ、私たちの手元にはパンパンに詰まった重い籠がいくつも出来上がっていた。
帰り道、わたしは誇らしげに胸を張る。
「ねえ、おにいさん。あと何日か豚さんをよけて集めれば、冬の間はどんぐり祭りだね!」
「はい。美味しい冬が越せますよ」
おにいさんの優しい返事を聞きながら、わたしは今日の大冒険を思い出して、思わず「むふふ」と鼻を鳴らした。余計なトラブルを起こさず、上手に分け合ってたくさんの宝物を手に入れた私たちは、夕暮れの村へと元気いっぱいに帰っていくのだった。
次回、落穂拾い




