千歯こき
視点:ベルタ
収穫が終わり棒や唐竿で脱穀し始める村人たち。棒を振り回しながら今か今かと待っていたベルタの前に現れた千歯こき。
乾いた風が、村を吹き抜けていく。
この時期の村は、どこへ行っても耳を労するような音が響き渡っていた。
「バシッ、バシッ、バシッ」
村人たちが総出で、地面に広げた麦束を大きな木の棒の先に木の棒をつけた道具で叩きつけている音だ。彼らは額に脂汗を浮かべ、茶色く染まった麻のシャツをはためかせながら、おしゃべりをしながら地面の麦をひたすら叩き続けている。
それが、この村で収穫した麦の粒を外すやり方のすべてだった。
わたしは少し離れた日陰から、その光景を眺めていた。
大変な仕事たけどいよいよ収穫が形になるのだ、みんな一年頑張った成果が見えて浮足立っているようだ。
わたしも棒をふりまわす準備はできているのに、おにいさんがまた何か作ってからだと言うので待っているのだ。
少し年上のヨセフも一生懸命棒を振り回している。
きっとわたしも大活躍の予定なのだがこうしてふらふら村中を歩き回っている。
イヌバラの実もそろそろ摘みたいな。どんぐりはたくさん落ち始めている。落穂拾いもしなければ。何もせずにいるのはなんとなく恐ろしい気がしているのだ。
これもおにいさんが毎日毎日動き回っているせいだと思う。村の人が休んでおしゃべりしている時間もおにいさんはいつも何かしているのだ。きっとそれがうつったに違いない。
「あーあ、またやっちまった」
隣の敷地で作業をしていたおじさんが、麦を叩くのを止めて足元を見て舌打ちをした。足元には、殻から外れたはいいものの、無残にひび割れ、白く粉を吹いた麦の残骸が散らばっている。
まあそういうものだ。叩いて外すから砕ける麦が多いか少ないかだけでたまたますごく潰れたのだろう。
あのおじさんは生真面目だからいつもより多く砕けて気になっているのだろう。いつも上手にやるから気になるのだ。
失敗した分を含めても他の皆よりとっても上手だ。
わたしも頭のなかでどうすればいいか考えてみる。力がないけど何も心配することは無い。頑張らずに何回もやるのだ。おにいさんがわたしてくれた杖にも使う棒を振り回していみる。
ヒュン!ヒュン!
むむむ、音が鈍い気がする。もっとこう音が鳴っていないような甲高い響きがでなければ。
気になってしまったので何度も振り回す。あぁでもない、こうでもない。
「あっ」
おじさんが驚いた顔でこちらを見ていた。働きもせずに棒を振っていたことを咎められるかもしれない。
「ベルタ!おにいさんが何しているかわかんねぇけどそろそろ突っついてやれ!あいつはここに来て初めてだろう!?」
「わかったよ!言ってくるね!!」
どうやら叱られることはなかったようだ。叱られるのは怖いからとても良かった。
おにいさんは確かに領主様のところに麦を持って行ったことはない。わらを取って粒だけにしないといけないのだ。
もしかすると知らないから今わたしは何もせずにこうしてほっつき歩いているのかもしれない。
むふふ、早くおしえてあげなければ。
「ベルタ、脱穀の準備ができました」
背後から、いつもの温度のない、けれど妙に聞き取りやすい声がした。
おにいさんはどうやら粒を外さなければいけないことをわかっていたようだ。
いや、そうだよね、わかっているよね。
準備ができたならここからはわたしの出番だ。大活躍間違いなし。
家に帰ると妙な形の木の道具が増えていた。
それは、頑丈な台座から、何本もの焼き物の歯が突き出た、見たこともない道具だった。
「おにいさん、それ……なに?強そうね」
わたしはその滑らかな、けれどどこか鈍い光を放つ歯を指差した。
「強いか、いいねそれ。きっと役立ってくれるよ」
おにいさんはわたしが大鎌で華麗に刈り取り、美しく根元が揃えられた小麦の束をひと掴み手にとった。
いよいよ粒を外すときが来たようだ。わたしも棒を手に取る。きっと誰よりも上手にできるに違いない。
「じゃあ、脱穀を始めよう」
おにいさんは、麦の穂先をその歯の隙間に勢いよく突っ込んだ。
そして、両手で麦の茎を掴み、手前へと一気に引き抜いた。
「――ザリッ!」
硬くて、驚くほど小気味よい音が響いた。
次の瞬間、おにいさんの手元に残っていたのは、綺麗に穂先だけが毟り取られた、ただのまっすぐな藁の束だった。そして、歯の向こう側に敷いてあった布の上には、殻がついたままの麦の粒が、一粒の例外もなく、まとめてボロボロと綺麗に落ちていた。
わたしは思わず口を開けたまま、その麻の布を見つめた。
「粒が取れた……飛び散ってもない」
なんだこれ。わたしの棒さばきはどう見せたらいいのだろうか。
「おにいさん、わたしの棒はどこで使うの?」
「いや、使わないな」
なんということだろうか。棒を振りまわしながら心の中でも練習していたのに。
おにいさんは澄ました顔で、次の麦束を手にとる。
ザリッ、ザリッ、ザリッ。
腕を動かすたびに、小気味よい音とともに、信じられないほどの速さで麦の粒が外れていく。
わたしは布の上に溜まった麦の粒をすくい上げてみた。
手のひらの上で転がる粒を見て、わたしはさらに驚愕した。
「ひび割れが……一つもない。全部丸いまま」
布の上に落ちているのは、麦の籾だけだった。籾のぴょんぴょんまでそのまま残っている。
棒で叩いた時のように、粉々に砕けた藁の破片や、地面から跳ね上がった土砂の類が一切ない。茎はすべておにいさんの手の中に残ったままだし、歯は茎を切り刻むことなく、ただ粒だけを削ぎ落としていた。
「ベルタも一緒にやろう」
やり方は完璧にわかる。穂を向こうにして引くだけだ。
。
ザリッ、ザリッ、ザリッ。
腕を動かすたびに麦の粒が向こう側へ落ちていく。
自分で持てるだけもって引っ張る。
ザリッ、ザリッ、ザリッ。
やればやるだけ麦が山になる。
「これ楽しいね。もしかして4日くらいで終わるかな?」
「たぶん明日には終わります」
「そんなに!?おわったらみんなに貸してあげていい?」
「もちろんです。ハンスに渡せばうまくみんなに説明してくれるでしょう」
みんながこれを使う姿が目に浮かぶようだ。
ハンスおじさんに渡せばきっと、おにいさんがまた変で便利なものを作ったんだなとわかってくれるに違いない。試した後、きれいな藁と麦に分かれて一生懸命にやるんだ。その後はきっと小作のおじさんにやらせて村長様に言いに行ってくれる。そうしたら村長様が、おにいさん、ベルタ、よくやってくれたと言ってくれるだろう。
むふふ、わたしも頑張りましたと言ってしまおう。
わたしの背後に積み上がっていく、傷一つなく綺麗に揃った黄金色の藁の山と、布の上に山をなす完璧なの麦粒を見比べ、ただただ愉快な気持ちになれた。
次回、貢納
【作中技術解説】
唐棹:中世ヨーロッパだけでなく、古今東西の農村で広く使われてきた伝統的な脱穀用具です。長い柄の先端に、回転する木製や竹製の太い棒が取り付けられた構造をしています。
地面に広げた麦の束を、この先端の棒で何度も何度も振り下ろして「叩きつける」ことで、その打撃の衝撃によって茎から穂をむしり取ったり、もみがらを外したりします。全身の筋肉を激しく使う重労働であり、中世の農民たちは収穫期になると、このからさおを振るう音を一日中農村に響かせていました。
千歯こき:多数の細長い歯(作中ではセラミック製、史実の日本では鉄製や木製)を櫛の目のように隙間なく並べた道具です。台座に固定して使用します。
使い方は非常にシンプルで、麦や稲の茎の束を歯の隙間に差し込み、手前に向かってぐっと引き抜くだけです。歯の隙間が「茎は通すが、ふくらんだ穂、小穂は通さない」絶妙な幅に調整されているため、打撃をいっさい与えることなく、剪断力によって穂だけを綺麗にこそぎ落とすことができます。
打撃による脱穀がもたらすデメリット:現代のパン小麦は、品種改良によって「叩けばもみがらから玄麦がポロッと外れる」性質を持っています。しかし、本作の舞台である8世紀フランク王国で主流の「エンマー小麦」や「スペルト小麦」といった古代小麦は、もみがらがプラスチックのように硬く、粒にガッチリと密着している「被殻麦」です。
これをからさおのような強い「打撃」で無理に脱穀しようとすると、以下の3つの重大なデメリットが発生します。
粒の破砕、クズ麦化: 硬い殻を叩き割ろうとするあまり、中のデンプン質の粒までバキバキに砕けてしまいます。
貯蔵性の著しい低下: 砕けたクズ麦からは水分や栄養分が露出し、そこから白カビが爆発的に繁殖します。これが倉庫全体の麦を腐らせる原因になります。
二度手間の発生: 叩いただけでは殻が剥けないため、農民たちは「一度火で炙って殻を脆くする」か「石臼で余計にすり潰す」という、膨大な追加労働を強いられていました。
総じて収穫した麦よりも実際に使える麦が目減りしました。




