十分の一税
視点:ベルタ
教会への十分の一を正確に納めて第一の関門を突破しました。
収穫の秋は、乾いた藁の匂いと、人間のねっとりとしたやり取りの匂いで満ちている。
村の広場には、刈り取られ、美しく束ねられた大麦と小麦の束が山のように積まれていた。その山の前で、教会の助祭様が、蝋版を前にして、眉間に深い皺を刻んでいる。
「……おい、ハインツ。お前の家の麦束、どう見てもこれ、中身がスカスカではないか。乾きすぎているというより、脱穀する前に一部を毟り取っただろう」
「め、滅相もございません、助祭様! 今年は夏の日照りが厳しく、穂の育ちが悪かったのでございます。神に誓って、ごまかしなどしておりません!」
ハインツは額に泥と汗をにじませながら、必死に頭を下げている。その足元に転がっている彼のわら束は、きつく縛られているように見えて、中心部には質の悪い雑草が詰め込まれているのをわたしは知っている。少しでも自分の取り分を増やし、教会に召し上げられる分を減らそうとする、この村のいつもの光景だ。
税を収める側は隠し、奪う側は暴く。
この地において、十分の一税とは、神への感謝を捧げる儀式などではなく、年に一度の泥臭い騙し合いの戦場だった。
だが、わたしの隣に立つおにいさんは、そんな喧騒をどこか他人事のように眺めながら、自分の爪の間に入った土を小枝で静かに掘り出している。
「ベルタ」
「なに、おにいさん」
「きちんと10数えたらその内の1つを助祭様に渡すんだよ」
「もちろんわかるよ」
おにいさんは、相変わらずおかしなことを言う。
普通なら、少しでも隠して冬の蓄えに回したい。わたしも最初はそう思った。だけど、おにいさんはいつも正確に数えている。わたしはこれまでの生活の中でずっと繰り返してきたのだ。いや、もうそれは延々と繰り返してきたから身についてしまった。
わたしたちの順番が来た。
「次、ベルタと……その、おにいさんだな」
助祭様が、わたしたちの顔を見て、わずかに身構えるような仕草をした。その目は、警戒と、奇妙な困惑に満ちている。
それもそのはずだ。わたしたちは、収穫期だけでなく、日頃の日曜日――安息日のミサのたびに、教会の台所へ正確な10分の1を届け続けてきたのだから。
きっかけは、春先に鶏が卵を産み落とした時の事だった。わたしはさっそく食べようとしたら、卵を取り上げられてしまった。その時は言葉も上手く通じないおにいさんにそれはもう一生懸命抗議をしたのだ。おにいさんは首を横に振り、それを丁寧に記録してわたしの手が届かないところに隠してしまった。わたしは全力で怒っていたが、2つ目の卵が産まれたら普通に食べさせてくれた。そして、ミサに行く日の朝、わたしに卵の入った籠を持たせて指を1本立てていた。
ミサに持っていく卵の数らしい。
最初のうち、助祭様は驚いていた。
他の村人が持ってくる卵は、どれも小さく汚れていたり、ひびが入っていたり、あるいは何週間も前に産み落とされて中身が怪しくなったものばかりだったからだ。ひどい時には、卵の数を誤魔化して、説教の時に「お前たちの信仰心が足りない」と叱られるのが常だった。
けれど、わたしたちが持っていく卵は違った。
殻はきれいに拭かれ、割れもなく、そして何よりきちんと10分の1だった。卵が7個産まれた週は0個。次に13個産まれた週は、2週で合わせて2個と今思うととんでもなく正確に納めていた。
助祭様は、最初は気味悪そうに眺めていた。だが、何ヶ月もそれが続くと、教会の台帳とわたしたちの木札の数字が完全に一致していることに気づいたらしい。
助祭様は何も言わなくなり、わたしたちが卵を持っていくと、時々、直接司祭様にわたす機会が生まれたのだ。司祭様は感心してわたしの事を敬虔で聡い子どもだと褒めながら受け取ってくれるようになったのだ。
むふふ、褒められてしまった。
「さあ、始めよう」
思い出にふけっていたが、わたしはおにいさんに促され、麦束の前に進み出た。
わたしたちの麦束は、広場にある他の誰のものよりも美しかった。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九……」
わたしは大声で数を数えながら、麦束を地面に並べていく。
周りの農民たちが、しんと静まり返ってわたしたちの手元を凝視していた。
「十」
十束目が並んだ瞬間、わたしはその一束を、迷いなく助祭様の足元へと押し出した。
ヨハン様は、息を呑んでその麦束を見つめた。
並べられた十束は、どれも重さが全く同じに見える。当然だ、わたしが一生懸命同じように束ねたのだ。
「十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、十九……」
わたしの声だけが、静かな広場に響く。
「二十」
ふたたび、完璧な一束が教会の回収用の荷車へと積み上げられる。
助祭様の手が、蠟版の上で止まった、わたしたちの並べる麦束と、おにいさんの顔を交互に見つめている。
その後も10数えるごとに1つ渡していった。最後は半端だったので、おにいさんがそこから正確に10分の1を抜き取って助祭様に渡していた。
わたしは、ぴったり10分の1の麦束を教会の荷車に並べ終えた。
余りもなければ、不足もない。まさに、神様に納めるにふさわしい、美しい十分の一だった。
「……確かに、十分の一を受領した。大変結構です」
助祭様は、絞り出すような声でそう言い、蠟版に素早く文字を書き込んだ。
「ベルタ。きちんと数えられました」
助祭様に挨拶をした後、おにいさんが嬉しそうにわたしの頭を撫でた。
「わたしは数を数えられるからね。ヨセフやマリヤより数えられるかもしれないよ」
「本当にそうだと思います」
またしても褒められて満足だ。
わたしは助祭様の言葉を思い出す。
「お前が納めた麦は、どれも中身の詰まった良いものだ。主が言われた、良い土地に落ちた種のようだ。百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶという、あの祝福された麦だ」
助祭様は最後にそう言ってわたしたちに十字を切ってくれて、おにいさんが丁寧にお辞儀をしていた。
「来年も主の御心に沿えるよう努めます」
わたしも一緒になってお辞儀をすると、司祭様は満足そうに頷いて別のところへ歩いていったのだ。
税を払い終えた広場には、まだ多くの村人が重い足取りで残っている。誰もが神様への義務を果たそうと必死だったけれど、不作の年は本当に全員の分け前が足りなくなる。だからこそ、きちんと納められたことは、わたしにとって暗闇の中の小さな光のようだった。
次回、千歯こき
【作中技術解説】
十分の一税:中世フランク王国において、収穫物の10%を教会へ納める徴税システムです。カール大帝の『御領地資財反別帳』などの時代、これは単なる宗教的義務にとどまらず、貧民救済や教会の維持、さらには地域の基礎的な行政機能を支えるための極めて重要な社会保障制度・公的税制として機能していました。
過不足なく収める経済的メリット:収穫量を誤魔化さず正確に計量して納税することは、農民側にとっても大きな経済的防衛策となります。多すぎれば不当に搾取され、少なすぎれば代官や教会からの厳しい査察、ペナルティや追加徴税、を招き、信頼関係が崩壊します。
過不足なく「10%」をきっちり示すことで、手元に残る「90%」の保有権を公的に担保でき、翌年の種籾の確保、余剰分の自由な物々交換といった計画的な経済活動を安全に行うための法的・社会的なプロテクションが得られます。
マタイによる福音書13章23節:新約聖書の「麦と毒麦のたとえ」です。
畑に良い種を蒔いた主人の元に、敵が夜の間に毒麦、当時は除去しにくい「ドクムギ」という雑草を蒔いてしまいます。僕たちは「すぐに抜きましょうか」と提案しますが、主人は「毒麦を抜こうとして、麦まで一緒に抜くかもしれない。収穫まで両方とも育つままにしておきなさい」と指示します。収穫の時に初めてそれらを区別し、毒麦を焼いて、麦を倉庫に集めるというエピソードです。
この例えは、人間社会における善人と悪人の共存や最後の審判を示すものですが、農村においては「焦って強引な選別、または不当な取り立てをすれば、本来育つべき全体の生産力を損なってしまう」という教訓でもあり、正しい収穫期を待ち、公正に分け合うことの倫理的根拠とされていました。




