わら束ねじり込み
視点:ハンス
手際よく小麦わらを束ねて荷車に積み込んでいくベルタを見て、おにいさんは奇跡でも魔法でもなく理屈をもっている事を確信する。
俺は、信じられないほどの速度で黄金色の麦畑を切り開いていくおにいさんを目で追いかけながら、ただただ乾いた笑いを漏らすしかなかった。おにいさんの振るう長大な大鎌は、燧石の凶悪な切れ味と、奇妙な籠の誘導によって、小麦の藁を抵抗なく断ち切り、根元の揃った美しい列へと変換し続けている。その背中はもう、俺たちの手鎌の届かない遥か前方へ進んでいた。
だが、俺の心臓を本当に凍りつかせたのは、おにいさんの異様な速さの刈り取りそのものではなかった。
おにいさんが残していった、完璧な規則性を持つ小麦の山。そのすぐ後ろを、信じられない挙動で追いかける小さな影、ベルタの姿だった。
「ハンスおじさん、おはよう!とうとう収穫だね」
ベルタは小さな体躯に似合わないハリのある声を響かせながら、地面に横たえられた小麦の束へ飛びついた。
その手際が、まず異常の一言に尽きた。
ベルタの指先はまるで独立した生き物のように滑らかに動いていた。
彼女はおにいさんが均一に揃えていった小麦の山から、正確に自分の両腕で抱えられる量を一瞬で見極めて掴み取ると、その中から数本の茎を抜き取って根元で交差させた。そして、親指の付け根を支点にして、束全体の重みを利用しながらグルリと半回転させる。
――キュ、ポン。
衣服の擦れるような乾いた音がしたかと思うと、紐を結ぶのではなく、ひねった藁の端を束の隙間にグイとねじり込んで固定してしまった。結び目を作るという行為が完全に省略されている。
一連の動作に要する時間は、わずかに二呼吸。
ベルタが腰を落とし、腕を回し、キュポンとねじり込むたびに、地面の小麦が完璧なわら束へと変わっていく。その手際の良さは、村の婆さんと比べても何ら遜色はない。事実、俺が一本を縛り終える間に、ベルタも同じように一本のわら束を完成させている。ただそれだけでも信じられないのに、俺が本当に腰を抜かしたのは、その作業の速さに対してではなかった。
ベルタの後ろには、荷車を従えていた。
それも、空の車ではない。すでにベルタ自身の手によって縛られた、ずっしりと重い小麦の束が何十本も積み上げられ、小山のように膨らんでいる。総重量は優に大人の男二人がかりでなければ動かせないレベルに達しているはずだ。これを運ぶだけでも、普段なら男たちが顔を真っ赤にして息を荒らげ、車輪が泥に沈むたびに怒号を響かせるような代物だった。
それを、小さなベルタが、ここまで引きながら歩いていたのだ。
「おい、待て待て待て! ベルタ、お前正気か!? なんでそんな重いもんを一人で引っぱれてるんだよ!」
俺は思わず大声を上げて駆け寄った。農民の常識として、そもそも子供の力では引き始められないのだ。車輪が軋み、荷台がたわむからだ。一度動き始めればそこそこの力で引っ張れるが荷台には小麦の山があるから無理であろう。助けに入ろうと手を伸ばしかけた俺の前で、ベルタは信じられないほど軽やかに一歩踏み出した。
いきなり動き始めた。
通常の大八車は、木と木が擦れ合い、ギーギーと悲鳴を上げながら、地面の泥や石の抵抗をまともに受けて進む。だからこそ大人の男が血反吐を吐きながら引くのだ。
ベルタが地面を一歩踏みしめる。
たったそれだけの、子供の小さな脚力が伝わると、小麦を満載したはずの大八車が、まるで水面に浮かぶ葉っぱのように滑らかに、音もなく前進した。
「嘘だろ……なんでこんな滑らかに動くんだよ……」
俺は唖然として立ち尽くした。
ベルタは前進しながら、おにいさんが左側に排出した麦の山を掴み、歩みを止めずにキュポンとねじり込み、そのまま振り返りもせず、大八車の荷台へと放り投げていく。荷台には小麦の山、車輪は滑るように回り、巨大な荷物が少女の後に従う。その一連の流れは美しくすらあった。
あのおにいさんがどこからともなくこの村に流れ着いたとき、言葉も話せずやることもどこか奇妙で、まともな農夫には見えなかった。
だが、やつが日々の暮らしのなかで見せ始めた技術は、俺の常識を根底からひっくり返すものばかりだった。
我が村には、まともな鉄器などほとんどない。鉄は貴族や騎士たちのものであり、俺たちが手に入れられるのは、すり減った古い手斧の刃くらいなものだ。だからこそ、日々の労働は泥まみれで、ただただ身体を壊すだけの重労働だった。しかし、おにいさんは違った。鉄がないなら木を使えばいい、石を使えばいい、土を焼けばいいと、何に対しても文句も言わなかった。
彼が作ったものは、どれも信じられないものばかりだ。
これほど凄まじい業を目の当たりにすれば、普通なら神の奇跡か、さもなければ悪魔の呪術を疑うところだろう。
だが、俺はその恐怖に呑まれるわけにはいかなかった。なぜなら、その凄まじい技術を誰よりも近くで見つめ、まるで自分の手足のように使いこなしている小さな影があったからだ。
ベルタだ。俺の友人の娘であり、まだわずか八歳になったばかりの、この村で生まれ育ったごく普通の女の子だ。
おにいさんが木を削り、石を組み、灰を集めているとき、ベルタはいつもその横にぴったりと張り付いていた。大きな目をきらきらと輝かせながら、おにいさんの手元をじっと見つめ、彼が口にする一見すると意味不明な言葉を、吸い取るように覚えていくのだ。
驚くべきことに、ベルタはおにいさんが作った道具を使いこなしていた。ただ言われた通りに動かしているのかもしれないが。言われた通りにすることは難しいものだ。ベルタはその小さな頭で分かっているのだ。
その姿を見たとき、俺の胸の中にあった漠然とした恐怖や疑念は、まったく別の感情へと変わっていった。
ベルタは、この貧しい村で、俺たちと同じ泥を吸い、同じ麦を食べて育った娘だ。高貴な血筋でもなければ、教会の偉い司祭様のような教育を受けたわけでもない。そんなあの子が、あのおにいさんの突飛なやることについていけているのだ。あの子の小さな頭と手で、あの驚異的な道具の数々を御せているのだ。
ならば――俺たち大人が、この村の人間が、自分たちにできないわけがないではないか。
もしもおにいさんの技術が、選ばれた者にしか使えない本物の魔法や奇跡なのだとしたら、ベルタがそれを使いこなせるはずがない。ベルタができるということは、そこには魔法ではない、しっかりとした理屈があるに違いないのだ。水が上から下へ流れるように、火が薪を焦がすように、誰がやってもそうなるという、確かな決まりごとが隠されているはずなのだ。
おにいさんはよく、説明をしようと試みている。俺たちにはまだ、その言葉の本当の意味は分からない。だけど、わからないからと諦めて、ただ指をくわえて見ている時代は終わったのだ。
ベルタにできて、俺たちにできない道理はない。あの子が道を示してくれているのなら、俺たちも必死にしがみつき、その理屈とやらをこの手で覚え込んでみせる。
この村は、間違いなく良い方に進む。そんな強い予感が、俺の胸の中で確信に変わりつつあった。
鉄がなくても、文字が読めなくても、飢えと寒さに震えるだけの冬はもう来ないかもしれない。おにいさんがもたらした知恵と、それを繋ぐベルタの存在があれば、俺たちの暮らしはもっと豊かに、もっと楽になるはずだ。この手で土を耕し、木を切り出してきた俺たちの経験に、おにいさんの理屈が加われば、夢物語ではない。
さあ、ぼんやりしている暇はない。我が息子のヨセフにも、ベルタの後を追わせなくては。おにいさんが次に見せてくれる不思議な仕掛けを、今度は俺たち自身の力で我が物にするために、しっかりと目を開いて、その技術の正体を見極めてやるつもりだ。
この村はもう、俺たちの知っていた古い農村には戻れない――黄金色の麦畑が美しく切り開かれていく中で、俺は確信に近い予感を抱いていた。
次回、十分の一税
【作中技術解説】
わら束ねじり込み:麻紐などの貴重な資材を一切使わず、刈り取った麦や稲を「自身の藁」だけで素早く強固に結束する伝統的な野外技術。一掴みの藁(または麦の茎)を対象の束に巻き付け、交差させた根元をきゅっとねじり上げながら、巻き込んだ輪の隙間や束の底へとねじり込むことで、摩擦力のみで絶対に解けないロックがかかる。




