葦
視点:ベルタ
おにいさんがどうしても試したいというのでクレイドル付き大鎌をふるいに川に向かいます。
おにいさんは籠付きの大鎌を携えて川の岸に立っている。
「草刈りためしたら帰ってお昼寝しようね」
大きな川のよどみには、わたしの背丈くらいのものから見上げるくらいの、青々とした大きな草がたくさん生い茂っていた。
「葦がいっぱいだね」
風が吹くと、ざわざわと音を立てて、緑が波を作る。陽の光を浴びて、葦の葉は少し痛いくらいに尖っていた。
葉っぱを触ると手が切れるのでわたしは触らない。
村の大人たちからも「夏の川岸には近づくな、指が落とされるぞ」と何度もきつく言われている。青々と茂る夏の葦の葉っぱは、縁はギザギザしていて簡単に肉が切れてしまう。うっかり手のひらで掴もうものなら、一瞬で薄皮が裂けて真っ赤な血が吹き出すのだ。
普通は冬になって枯れて凍ってしてから、ぽきぽき折り倒して持って帰るものだ。真冬になれば、底なし沼みたいなこの川よどみもガチガチに凍って道になる。そうなれば、立ち枯れてカサカサになった茶色い葦の根元を、木の棒や平らな石で叩くだけで、面白いくらい簡単に折って回収できる。それがこのあたりのお決まりだった。
けれど、いま目の前にあるのは、夏の太陽を浴びて水をめいっぱい吸い上げた、生命力に溢れる緑の壁だ。まだ緑が残っている葉っぱや茎は、触れば柔らかいけれど、しなやかで、驚くほど強い。そんなものは普通のやり方じゃ簡単には切れないから仕方ない。力任せに引っ張っても手がボロボロになるだけだし、手斧で叩いてもぐにゃりと受け流されてしまう。
おまけに、この蒸し暑い草むらには、ぷーんと嫌な音を立てて飛び回る蚊もいるし、刺されると酷く腫れるブヨや、泥に潜むヌルヌルした生き物、名前も知らない色々なものがうじゃうじゃいる。だから、村の子供たちはみんな、夏の間はなるべくこの場所には近づきたくないと思っているのだった。
「では試します」
おにいさんは大鎌を構えると、さっそく葦の根元に刃を当てた。
しゃっ。
麦よりもずっと太くて硬い葦の茎が、小気味いい音を立てて切れていく。
そして、なんとあの籠が、ばさりと重い葦の茎をしっかりと受け止めた。おにいさんが大鎌を引き抜くと、葦は綺麗に足元へと横たわった。
何がおきたのだろうか。大鎌できれいに刈り取れた上にお行儀よく揃って地面に並んでいる。
もしかして籠には意味があったのだろうか。籠がないとその場でぱらぱらと刈り倒されてあっちこっちに向かってしまう。
考えろ、わたし。もしかして麦を刈る時も同じようにあっちこっちに向かうなら集めるのが大変ではないだろうか。
この籠があるとぴたりぴたりと揃って並んでくれるのだろうか。
「ベルタは考える葦です」
おにいさんは嬉しそうに、何回も大鎌を振った。あっという間に、川べりの葦がきれいに刈り取られ、足元に同じ向きで積み重なっていく。
いや、わたしは葦じゃない。可愛い女の子だ。おにいさんは何をいっているのだろうか。
しばらくして、おにいさんは大鎌を地面に寝かせて、刈り取られた葦の山を見つめている。
「ベルタ、この葦は何に使いますか」
刈り取る手を少しだけ休めて、おにいさんがこちらを振り返った。
その手元には、もう何本かの青い葦が並んでいる。
「え? うーん……お家の屋根に葺くのと、籠に使ったり、あと壁の中に入れたりする」
わたしが知っていることを一生懸命思い出して答えると、おにいさんは近くの葦を一本拾い上げて、その節を指でぽんぽんと叩いた。緑色をした、まだ若い細身の茎だ。
その顔は、何かとても面白い仕掛けを思いついた子どものように、とても嬉しそうだった。
「笛になります」
おにいさんはそう言うと、わたしの燧石のナイフを腰から抜いて、手際よく葦を短く切った。節の少し下を切り落とし、節のすぐ上の皮を、薄く、斜めに削いでいく。ほんの少しだけ息が通る隙間を作るような、細かな手仕事だった。
口元に当てて、ぷう、と息を吐くと音が鳴った。
ぽー、という、少し掠れた、間の抜けた音がしただけだった。
だけど、なんだか、夏の青い風が吹き抜けるような、綺麗な音楽が川の風に乗って聞こえてくるような気がした。
おにいさんは、本当は糸がどうだとか、臼で叩くだとか、もっと他にたくさん言いたいことがあったに違いない。
でも、難しい説明をする代わりに、葦を使って作った笛をそっと手渡してくれた。
むふふ、これはいい音がでるに違いない。
おにいさんみたいに、かっこよく音を鳴らしてみせるのだ。
大きく息を吸い込んで、お腹に力を入れる。
ふぅ。
スカァー。
ただ、わたしの口から出た息が、中空の茎を虚しく通り抜けていくだけだった。もう一度、今度はほっぺたを丸く膨らませて、思いきり息を吹き込んでみる。
ふぅーっ。
やっぱり、ただの風の音がするだけだった。
「音でないよ」
わたしが不満そうに口を尖らせると、おにいさんは泥のついていない手で、わたしの頭をまた優しくなでた。
「同じものでも使い方を変えたり、違うものでも同じ使い方をしてみたり。色々です」
おにいさんの言葉は、時々、教会の司祭様のお説教よりも難しくて困ってしまう。
でも不思議と頭の中には残っている。今までやったことないのにこの葦を叩いて灰汁で煮たら糸が作れることがわかってしまうくらいにおにいさんは毎日よくわからないことを話してくれている。
おにいさんは、足元の青々とした葦を愛おしそうに見つめた。
川の風が吹いて、周りの葦たちが、またざわざわと大きく揺れた。
さっきまでは、ただのチクチクして、肌を切るから近寄っちゃいけない邪魔な草むらだった。
でも、おにいさんのお話を聞いた後は、なんだかこの川岸が、キラキラした宝物の山みたいに見えてきた。
この青い茎の一本一本の中に、お家を暖かくする秘密や、絶対に切れない強い紐が隠れているのだ。
わたしは地面に並んだ葦を、もう一度しっかり見た。
泥の中からまっすぐ天に向かって伸びた茎は、瑞々しくて、固くて、とても力強い。
そして、わたしの手の中にある、まだ音の出ない笛。
おにいさんは籠付きの大鎌を肩に担ぎ、刈り取った青い葦をいつの間にか綺麗な束にして、どっさりと腕に抱えていた。
わたしは、おにいさんに作ってもらった葦の笛を、唇に当てては離し、ああでもないこうでもないと吹きながら歩く。
息を吹く角度を少し斜めにしてみたり、指で端っこを塞いでみたり。
ポー。
突然、頭の奥に響くような、澄んだ音が川原に響いた。
「やった、音が出た!」
嬉しくて飛び上がると、おにいさんが、楽しそうに目を細めてこちらを見た。
「ベルタは考える葦です」
おにいさんがまた、聞いたこともないような変な事を言った。
人間が草なわけがないのに。
でも、なんだか褒められたような気がしたから、それでもいいやと思いながら、村への帰り道を一緒に、元気に歩いて帰った。
わたしのポケットの中には、夏の青い匂いがする、世界に一つだけの小さな笛が入っていた。
次回、小麦刈り取り
【作中技術解説】
葦の使い勝手と性質:ただの雑草に見える川岸の葦ですが、毎年自動的に再生する超一級の資材です。
冬の葦: 水分が抜けて枯れており、中空構造が最高の空気層を作るため、断熱用の屋根材や土壁の芯(小舞)に最適です。何より、冬の結氷期には道具なしでパキパキ折って収穫できるのが最大の強みです。
夏の葦: 植物の体を作るための強靭な繊維と、身を守るためのガラス質に満ちています。刈り取りも大変ですが、現代の畜産研究でも、自生する葦は、チモシーなどの牧草に匹敵するタンパク質と栄養価を持つことが分かっています。
これを唐臼で徹底的に叩き潰すことで、葉の表面にあるガラス質のトゲ(シリカ)を粉砕し、羊の口を傷つけない安全な青刈り飼料に変えます。さらにサイレージ、乳酸発酵させることも有効な手段です。
「人間は考える葦である」(パスカルのオマージュ)
お兄さんが最後にベルタに言った「ベルタは考える葦です」は、17世紀の思想家ブレーズ・パスカルの有名な言葉のオマージュです。
パスカルは「人間は自然の中で最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは『考える葦』である」と言いました。宇宙の巨大な力に対して人間の身体はあまりにも無力で、一滴の水、一本の草の尖った葉にすら傷つけられます。しかし、人間は思考することができる。
知恵を絞り、工夫し、考えることで、邪魔な草むらを宝の山へと変えていく。この物語の根底にある「誰もが無茶をせず、知恵を絞って生き残る」というテーマを象徴する言葉として、お兄さんはベルタにこの言葉を贈りました(ベルタ本人は草扱いされて納得いっていません)。




