骨炭
視点:ベルタ
「ボーンマロウソース、ヴァルトマイスター刻みと共に」をハツやレバーにかけて身悶えしながら舌鼓を打つベルタ。残った骨は炭にして、水まで美味しくなる不思議を感じる。
「これ、本当に美味しい!」
わたしは思わず大きな声を上げていた。おにいさんが目の前で作ってくれた、茶色くてどろどろとした、不思議なソースのことだ。
おにいさんはお肉を外したあとの太い骨を、石の台の上で手斧を使って器用に叩き割った。骨の中からは、脂のような、柔らかい塊が出てきた。骨の中身だ、名前はわすれたけど骨の中身だ。
おにいさんはそのどろどろとした塊を水につけておいたのだ。きっとこれで臭いのがなくなるのだろう。
それを鍋に入れて煮ていていた。もちろん臭かったけど、耐えられるくらいではあった。そこに、森に生えていた葉っぱを、おにいさんは細かく刻んで、どんどん鍋に入れていく。この葉っぱは何だっただろうか。火にかけたり乾かすといいにおいがするやつだ。
ぐつぐつと小さな泡が立ち、なんとも言えない芳ばしい香りが作業場いっぱいに広がった。見た目は少し緑色が混ざった脂の塊で、お世辞にも綺麗とは言えなかった。けれど、おにいさんが雄猪の心臓の残りと肝臓の残りにかけて渡してくれた。そしてわたしの疑いは吹き飛んだのだった。
一口食べると、口の中いっぱいに濃厚な旨味が広がった。お肉よりもずっと濃厚で、それなのに森の葉っぱの爽やかな香りが、脂のしつこさを綺麗に消してくれている。今まで食べたどのスープよりも、どのお肉よりも味が濃くて、お腹の底から元気が湧いてくるような味がした。
味のない心臓もこれをかけると素敵な歯ごたえのご馳走に早変わりだ。ソースを絡めて食べるとこんなにも気分が高まるなんて全然知らなかった。匂いもいい。甘くて、森の匂いだろうか?牧草の匂いだろうか?思わずにやにやしてしまう。
ぱさぱさだった肝臓もソースと絡まるとパサつきは消えて、血の味とソースの美味しさと葉っぱの匂いで満たされていく。
「これ、大好き。毎日でも食べたい」
「はい。俺も食べたいです」
おにいさんの口元が緩んで、目が優しく細くなるのをわたしは見逃さなかった。おにいさんは、わたしが美味しいと言って喜ぶのが、とても嬉しいのだ。
ひとかけらも残さないように一生懸命食べていると、おにいさんはまた何か始めようとしている。
「おにいさん、骨を炭にするの?」
「はい。そうです」
おにいさんは、ソースを取ったあとの、大きな猪の骨をいつもの炭にする箱に詰めていく。いや、すごく上手に詰めている。骨の山だったはずなのになんで箱の中にきっちり入ったのだろうか。
ただの木が真っ黒な炭になると便利なのだ。軽いし、煙はでないし、灰に埋めておけば夜の間火は消えないし。だから、骨を焼いて炭ができるのならそれはとてもいいことだ。わたしは炭置き場を眺めて、これがもっと積みあがれば冬はあったかくすごせるだろうと一人で頷いた。
おにいさんはわたしの様子をよそに、炭の箱に隙間がないように粘土でぴったりと塞ぎ、かまどに火を入れる。
ごう、と重い音が足元から響いてきた。
低くて、お腹に響くような、乾いた音がかまどの奥から聞こえてくる。おにいさんは焚き口に薪をくべながら、じっと空気の入り口を調整していた。
「おにいさん、骨は真っ黒な炭になるの?白くなるの?」
「黒くなります」
「骨なのに、黒くなるんだね。白くはならないの?」
おにいさんは火の様子を見つめたまま、少しだけ考えるように首を傾げた。
「できた炭を燃やすと灰になる」
「それならわたしもわかるよ。じゃあ本当に木と同じように炭になるんだね」
わたしはおにいさんの隣にしゃがみ込んで、炎の光を見つめた。
村の暮らしは、いつも同じことの繰り返しだ。水を汲んで畑にいって薪を拾って何か食べられるものを食べて寝る。
おにいさんはそれとは違うことをするのでちょっと楽しい。
当たり前のように炭をやいているけど、今まで見たことがある炭は燃えている薪につく黒い部分と、熾火を消した黒い炭くらいだ。なんでこの箱に入れると薪の形のまま炭になるのだろうか?
そして炭の箱から伸びた管がかまどの中ににつながっているけど、なんで管から炎が出ているのだろうか。
わからないことだらけだ。
やがて、おにいさんは薪をくべるのをやめた。かまどの火がゆっくりと小さくなり、完全に消えるのを待って、あとは冷ますだけだ。材料は骨でもできるのは炭なのでそんなにも心はざわざわしない。冬の備えができて嬉しいだけだ。
「おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
次の日も朝の仕事をしてから休憩の時間におにいさんは炭を出してくれた。
中から静かに引っ張り出されたものを見て、わたしは思わず「わあ」と声を上げた。
「骨の形のままだ!」
そこにあったのは、あの巨大な猪の骨だった。形は関節の節までそのまま残っているのに、色はまるで夜の闇のように真っ黒に染まっている。
「はい。できました」
おにいさんが一つ、黒い骨を取り出して手渡してくれた。わたしは恐る恐る、指先でそれに触れてみた。驚くほど軽かった。見た目はあんなに頑丈そうな骨なのに、手に取ると重さがほとんど感じられない。力を込めて指でつまむと、サクリ、と軽い音を立てて、簡単に崩れて細かい黒い粉になってしまった。
「木の炭みたいだけど、ちょっと違うね。よく燃えるの?」
「いいえ。燃えない。水に入れる」
「えっ? お水?」
おにいさんはそれ以上は何も言わず、黒い骨を臼に入れて、トントンと細かく叩いて砕き始めた。あっという間に、きめの細かい真っ黒な砂のようになっていく。
おにいさんは、水差しにさっき汲んできた川の水を入れていた。
村の川の水は、飲むと少しだけ泥の匂いがしたり、木の葉の生臭い匂いがしたりする。沸かして飲めばお腹を壊すことはないけれど、決しておいしいものではなかった。特に雨が降った次の日などは、水が黄色く濁って、砂の味がすることもある。水とはそういうものだ。
おにいさんは、水差しにさっきの黒い骨の炭をたっぷりといれてかき混ぜた。もちろん、黒くなってしまった。炭だから当然だ。
しばらくしてから、布でこしながら炭が入った水を土瓶に入れてくれた。
水はやはり炭が混じっている。しかしよく見ると炭がないところは透明だろうか?
それを火にかけて沸かしてからコップに注いでくれた。
「飲んでごらん」
骨の炭がところどころに浮かんでいるお湯が入ったコップを受け取り、恐る恐る口をつけた。口の中にお湯が含まれた瞬間、わたしは目を丸くして固まってしまった。
「……え?」
味が、全然違う。
さっきまで確かにあった、あの嫌な川の泥の匂いが、完全に消えていた。なんと言えばいいのだろう。とても軽くて、喉をすうっと通り抜けていく。それなのに、かすかに甘いような、とても綺麗な味がした。
「何これ! おにいさん、すごくおいしい!」
「はい。おいしいです」
おにいさんは、嬉しそうに小さく頷いた。
わたしはもう一口、お湯をそっと飲んだ。匂いがないと本当に美味しいのだ。
これがたくさんあれば村の皆も美味しい水が飲めるに違いない。
「わたし猪をたくさん捕まえるね!」
「駄目です。領主様の物です」
「それはわかるよ」
わたしの決意を真面目な顔で落ち着かせてくるおにいさん。
猪は捕まえられなくても骨を集めればいいのだ。簡単なことだ。
また明日からこの村からいいものが拾い集められるだろう。
おにいさんは笑っている。わたしも一緒に笑った。
次回、精製ラード
【作中技術解説】
骨髄と車葉草のソース:骨の内部にある「骨髄」は純度の高い良質な脂質とタンパク質、そして濃厚な旨味が詰まっている部位です。
これに合わされた「クルマバソウ、ヴァルトマイスター」は、ヨーロッパの森に自生する香草です。乾燥させたり火を通したりすることで、成分のクマリンが変化し、桜の葉やバニラに似た非常に甘く芳しい香りを放ちます。このクマリンの強い芳香成分が、骨髄の濃厚なコクを引き立てつつ、野生肉特有の獣臭さを完全にマスキングし、中世の農村とは思えない極上の風味を持つソースを作り出しています。
2. 骨炭:骨を酸素の乏しい状態で高温熱すると、主成分であるリン酸カルシウム(ヒドロキシアパタイト)の多孔質構造が残り、内部に炭素が定着した「骨炭」が完成します。骨炭は、現代でも高度な水処理や砂糖の精製(脱色・脱臭)に使用されるほど優れた吸着能力を持っています。
本作では、試作として、水差しに直接骨炭の粉末を投入して攪拌する方式をとっています。骨炭は水の生臭さや泥臭さを強力に吸着します。目の粗い亜麻布ではコロイド状の微粒子を完全には捕捉できず、水中に黒い粒子が混在して漂うことになりますが、臭気成分や濁りの原因物質はすでに骨炭の微粒子側にがっちりと吸着(固定化)されているため、水そのものの味は完全にリセットされ、劇的に透明感のある美味しい飲料水となります。




