安息日
視点:司祭
安息日のミサに黒い男が現れて早数か月。慣れてきたが熱心に説法を聞き、真面目に10分の1税を納め続けているので目立って仕方がない。
鐘はない。
この礼拝堂にそんな贅沢なものはない。
だから私はいつものように、礼拝堂の前に吊るした厚い木板を木槌で叩いた。
乾いた音が、朝の冷たい空気の中を遠くまで響いていく。
日曜日だ。
主の日だ。
村の外れ、いくつかの村が共同で使っている小さな礼拝堂に、周辺の集落から村人たちが少しずつ集まってくる。
エルザの村人たちも、泥道を一列になって歩いてきた。
私は入り口の粗末な木扉の脇に立ち、やってくる彼らを眺めていた。
腰の曲がった老人が歩いてくる。
赤子を抱いた母親が歩いてくる。
泥のついた足の子供たちが走ってくる。
いつもと変わらない、貧しくも懸命に生きる羊たちだ。
そして、その泥道の一番後ろから、あの男も歩いてきた。
突然現れたという黒い影、黒い眼をした若い男。
皆はただ「おにいさん」と呼んでいる。
本人は名も名乗っていたが、なるほどこの国の人間ではないことはよくわかった。
だから私もおにいさんと呼んでいる。
数か月前、着の身着のままで現れた時は異端者かと思った。
衣服の仕立てからして妙だったし、言葉もまともに通じなかった。
だが、今は違う。
男は礼拝堂の前に来ると、私に向かって深く頭を下げた。
その横には、小さな女の子がぴったりと寄り添っている。
村の孤児のベルタだ。
おにいさんは彼女の手を引いて、私の前を静かに通り過ぎた。
小さなミサが始まる。
堂内には椅子などない。
村人たちは踏み固められた土の床に、じかに膝をついて身を寄せ合う。
私は祭壇の前に立ち、ラテン語の聖句を読み上げた。
続いて、彼らの言葉で説教を始める。
今日の話は、主が示された種蒔きのたとえ話だ。
神の言葉を受け入れる心は、耕された良い土のようでなければならない。
そう語りかけながら、私は村人たちの顔を見回した。
皆、大人しく聞いてはいる。
だが、その大半は文字も読めず、日々の重労働で疲れ果てている。
今も半分ほどは、座ったまま心地よさそうに舟を漕いでいた。
無理もない。
彼らにとってこの時間は、一週間で唯一、身体を休められる安息の時なのだ。
だが、おにいさんだけは違った。
彼は土床に膝をつき、私の顔をじっと見つめている。
その唇が、微かに、しかし規則正しく動いていた。
祈りを捧げているのではない。
彼は私が発するラテン語の聖句や、説教の言葉を、そのまま口の中でなぞっているのだ。
一言も聞き漏らすまいとするかのように、必死な顔で、喉を小さく震わせている。
初めて気づいた時は驚いた。
まるで、熟練の職人が新しい仕事の手順を頭に叩き込んでいるような、そんな凄気すら感じられた。
この男は、正しい言葉を、この世界の仕組みを、必死になって覚えようとしている。
その熱意は、村の誰よりも純粋に見えた。
説教が終わり、祈りが終わる。
最後は、主への感謝を示す十分の一税を収める時間だ。
村人たちが順番に前へ出てきて、祭壇の脇の大きな木箱に、それぞれの持ち寄ったものを置いていく。
干した豆がひと掴み。
小さな麦の束。
たまに川で獲れた干し魚。
鉄の道具すら持てない、石と木だけで土を引っ掻いて暮らす農村だ。
私だって、厳密に量を数えたりはしない。
皆が生きるだけで精一杯なのは知っているし、神は帳簿係ではないのだから。
やがて、ベルタの順番が回ってきた。
彼女はおにいさんに促され、小さな編み籠を両手で持ち、私の前へ差し出した。
中には、白い卵が一つだけ、ぽつんと転がっている。
「司祭様、今週の分の卵もってきた」
「うむ、ありがたく受け取ろう」
私は頷き、その卵を手に取った。
ベルタの家には、めんどりが三羽いる。
生き物を育てるのが上手いのか、あの家では毎週のように卵が生まれていた。
鶏という物は調子が良ければ一週間に三個、悪いと一個も生まれない。そういう生き物だ。
だから村人は貴重な卵を収めるのを渋る。気持ちはわからんでもないがずっと卵を産まない鶏はつぶした方がよかろうに。心の中で苦笑する、仕方のないことなのだ。
今週は一個だったので、ふとベルタに聞いてみた。
「今週は十個の卵が産まれたのだな」
「三羽で八個だった」
「ほう?」
「その前の週は、十二個だったよ」
「……む?」
「来週もたくさん生まれたらまた持ってくるね」
私は卵を握ったまま、思わず黙り込んでしまった。八個であれば村人なら持ってこないだろう、十個に満たないのだから。
するとこの娘は、いや、このおにいさんは本当に数えているのだ。
めんどりが生んだ卵の数を、毎週漏らさず記録し、十分の一に達するまで計算を繰り越している。
そんなことをする人間を、私は生まれて初めて見た。
普通の農民はもっと大雑把だ。
たくさん獲れたら多めに置き、なければ置かない。
それで誰も文句は言わない。
しかしおにいさんは、主から預かった財産を、一の位まで正確に管理しようとしている。
手の中の卵が、急にずっしりと重くなったように感じられた。
「お前は……本当に律儀だな」
「はい。卵。主から授かった物。収める」
おにいさんは、読み取りにくい表情で答えた。東方の民は皆このような表情なのだろうか。
私は苦笑するしかなかった。
もし全員がこれほど正確なら、教会の帳簿は美しくなるだろう。
だが同時に、少しばかり恐ろしくもある。
まるで、都市の大きな市場にいる商人よりも、さらに細かく物事を見通しているようだ。
礼拝が完全に終わり、村人たちがぞろぞろと外へ出ていく。
私は、礼拝堂の入り口からその光景を静かに見守った。
数か月前は、どこの馬の骨とも知れない不審者だった男だ。
それが今では、村にしれっと溶け込んでいる。
彼が何者なのか、私にはやはり分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
あの男は、決して神を侮っていない。
自然の恵みを尊び、与えられた環境で、周囲の人間を生かそうと必死に足掻いている。
私は祭壇の前へ向き直り、十字を切った。
主の御心は人には分からない。
それでも、あの東方の男がこの貧しい村へ流れ着いたことには、何か大きな意味があるのだろう。
もっとも。
来週また卵の計算を出されたら、私はどう応じればよいのだろうか。
「今週は九個だったのでまた来週納めます」などと、大真面目な顔で言われるのが、今から目に浮かぶようだ。
私は思わず小さく吹き出した。
誰もいなくなった静かな礼拝堂に、私の笑い声だけが、優しく溶けて消えていった。
十分の一税:教会が民衆から徴収した宗教的な税。収穫物や家畜の10分の1を納めるのが原則ですが、当時の農村では厳密な計算能力を持つ農民はほぼおらず、自己申告や目分量による「おおよそ」の納付が一般的でした。
礼拝堂の位置:初期の農村における礼拝堂や初期の教会は、しばしば村の中心ではなく、複数の村で一つ建てられていました。村人にとっては「日常の労働の場」から少し離れ、歩いて出かける神聖な区域としての意味合いを持っていました。
ラテン語と古高ドイツ語:この時代のフランク王国では、教会の儀式や聖書に代々使われる公式な「ラテン語」と、民衆が日常会話で使う俗語(後のフランス語やドイツ語の原型)が完全に乖離し始めていました。正しい言葉を得られる機会は安息日のミサしかないため、おにいさんにとって重要な時間でした。




