アングルブロック
視点:ベルタ
おにいさんの退屈な切削作業から脱走したベルタが、村の友達と協力して大戦果を挙げ、お兄さんをあっと驚かせるまでのみずみずしい日常をお送りします。
広大な小麦畑の縁には鮮やかな緑が戻り、足元の土は春の水分を吸ってから乾いて硬くなり始めている。わたしはその畑の境界を軽快な足取りで歩きながら、小さな手の中に握った布の袋の軽さを確かめていた。
今日もおにいさんが家で焼き物を削るみたいなので、わたしは退屈を避けるためにバッタをたくさん捕まえてこようと出かけたのだ。
最初は虫を追いかける意味がよく分からなかったけれど、やってみるとすぐに要領が分かって面白くなった。青い小麦の列の間には朝露に濡れて跳ねる影がたくさんあって、それを見つけて特製の網を振り下ろすだけで、面白いように袋が満ちていく。動きは単純なのに、夢中になっているとなぜか時間の進みがとても早かった。
一度、袋を置きに戻る途中、家から規則正しい音が響いていた。
石と石が砂を噛んで擦れ合うような、低くて乾いた音だ。わたしは網を肩に担いだまま、隙間だらけの戸口からそっと中に入り込んだ。
おにいさんは、例の宝物のように大切にしている平らな石の前に、深く腰を落として座り込んでいた。
そこには見慣れた平らな石が置かれていて、その上で、おにいさんはまた新しい焼き物の塊をガリガリと削りつけている。前に作った真四角な塊とは違って、今度の塊はなんだか尖った三角の形をしていた。
横に置いたあの四角い焼き物をあてがいながら何度も同じ角度で斜面を削っている。当てては削り、削ってはまた当てる。その果てしない繰り返しだった。
わたしはしばらくその手元をじっと見ていたけれど、すぐに飽きてしまった。
おにいさんの動きはカメのように遅いし、何が変わっているのかもさっぱり分からない。ただの綺麗な三角の石が、砂に削られてほんの少しずつ小さくなっていくだけの光景だった。
「おにいさん、それ退屈」
思わず口から本音が零れると、おにいさんは一瞬だけ手を止めて困ったように笑い、それから何も言わずにまた黙々と泥臭い作業を再開した。
わたしはこれを観ていてもつまらないので、すぐに外へ飛び出すことにした。
「わたし、もっとバッタ捕まえてくる!」
元気よく叫ぶと、おにいさんは手元を動かしたまま小さく頷いた。それで、わたしは勢いよく畑へと駆け出した。
お昼が近づく頃の畑は、バッタを捕まえるにはちょうど良い時間だった。
お日様が高くなるとバッタは日陰に隠れて動きが鈍くなるから、草をかき分ければ簡単に網に引っかかる。わたしは小麦の列の間を走り回りながら、網を振って袋に入れる作業をひたすら繰り返した。
途中で、同じように畑の草むしりを手伝っていた村の友達が見つけて集まってきた。
「ベルタ、またその虫集めやってるの?」
「うん。おにいさんがこれを欲しがっているからね」
わたしが自慢げにバッタがたくさん入った袋をみせると、友達は目を丸くして驚き、それから面白がって自分たちが草むしりのついでに捕まえていたバッタを、次々とわたしの袋に分けてくれた。
「じゃあ、これもあげる!」「こっちのも入れて!」
みんなが協力してくれたおかげで、袋はみるみるうちに膨らみ、子供の腕では抱えきれないほどのずっしりとした重さになった。わたしは友達に大きな声でお礼を言うと、胸を張ってほくほくした気持ちで家へと引き返した。
小屋に戻ると、おにいさんはまだ平らな石の前に同じ姿勢で座り込んでいた。
けれど、その手元はさっきとは明らかに違っていた。
そこには、完璧に同じ形をした三角の焼き物が二つ、綺麗に並べて置かれていた。
わたしは最初、おにいさんが何のために同じものを二つも作ったのか分からなかった。
おにいさんはわたしの足音に気付くと、削り終えたその二つの三角の塊をゆっくりと両手で動かし、お互いの斜面をぴったりと滑らせるようにして合わせてみせた。
すると、驚くべきことが起きた。
さっきまで尖っていた二つの三角が、合わさった瞬間に形を変えて、一つの美しい「真四角な柱」に変身したのだ。
わたしは思わず目を見開いて、その隙間のない四角い塊を凝視した。
平らな石の上に真っ直ぐな四角の焼き物をあてがい、その内側に二つの三角を滑り込ませてひっくり返しても、どこにも怪しい隙間ができない。バラバラだった傾いた石が、まるで最初から一つの塊だったみたいに完璧に噛み合って、きれいな真四角な柱を作っている。
おにいさんはその出来栄えを何度も確認すると、ようやく今日一番の、本当に満足そうな顔をして深く頷いた。
わたしは、おにいさんがやっていることの理屈は全く分からなかったけれど、その隙間がないぴったりさを見てなんだか無性に嬉しくなった。
「おにいさん、それできたの? かっこいい四角になったね!」
よく分からないけれど、大きな声を上げて思いきり褒めてあげると、おにいさんは少し照れくさそうに笑いながら力強く頷いた。
そこでわたしは、自分が抱えてきた一番の手柄を思い出し、ずっしりとした重い布袋を前に突き出した。
「これ、今日の分のバッタ! みんなが手伝ってくれたの!」
そう言って差し出すと、おにいさんは一瞬だけ動きを止め、驚いたように袋を受け取った。
おにいさんが袋の紐を解いて中を覗き込んだ瞬間、その目が丸く見開かれ、はっきりと驚愕の表情が浮かんだ。村の大人たちが誰も見向きもしない害虫が、袋の底で信じられないほどの塊になって蠢いているのだ。
いつも冷静なおにいさんがそこまで慌てた顔をするのが新鮮で、わたしは可笑しくてたまらずに大笑いしてしまった。
おにいさんは袋の重さを量るように持ち上げながら、わたしの頭を何度も優しく撫でて、聞いたこともないような丁寧な言葉で熱心に褒め称えてくれた。
言葉の細かい意味は全部は分からなかったけれど、もの凄く感謝されていて、わたしが村で一番だということだけはしっかりと伝わってきた。
むふふ、とわたしは心の中で小さく笑い、誇らしさで胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「わたしはすごいの。バッタをたくさん捕れるし、おにいさんをびっくりさせられるんだから」
おにいさんはわたしから受け取った大量のバッタを大きな籠に移した。
まだおにいさんが作る四角や三角の石が、この先一体何の道具に化けるのかはさっぱり分からない。けれど、あのぴったりと合わさった綺麗な形は見ていて気分がいい。
家の中には、また一つだけ不思議な道具が増えた。
おにいさんの楽しそうな横顔を見ながら、わたしは、明日はもっとたくさんのバッタを捕まえて、またおにいさんをあっと驚かせてやろうと心の中で静かに決めていた。
次回、Vブロック
【作中技術解説】
アングルブロック:正確な傾斜角(今回は45度)を持った、角度測定や加工の基準となるブロック。
お兄さんは、定盤(平面)とブロックスコヤ(90度)を使って、完璧な直角から等しい距離を測って斜面を削り出しました。これを2つ作って斜面同士を合わせると、幾何学的な必然として合計90度になり、ひっくり返しても隙間が出ない「正方柱」になります。
180度反転校正:外部に「角度計」のような精密な道具がない8世紀の環境で、どうやって正確な45度を証明するかという工作機械史の超重要ロジック。
2つの三角を合わせて作った四角柱を、直角スコヤに当てて片方の三角を180度反転させます。もし45度からわずかでもズレていれば、反転させたときに三角を合わせて作った直角が崩壊するのでスコヤとの間に隙間が生まれてバレてしまいます。逆に、裏返してもどこにも光が透けないということは、その斜面が「完全に幾何学的に正しい45度である」という絶対的な証明になります。文章で説明できていない気がするので雰囲気で読み飛ばしてください。




