三面直交
視点:ベルタ
おにいさんがまたもや四角い焼き物を削り始めた。削り終わってもやはり四角い焼き物だった。
わたしは、おにいさんが作るものには二種類あると思っていた。
一つは、見れば何に使うかわかるものだ。
桶のように、形を見ただけで役目が想像できるものは、作ってもらえればすぐに村の暮らしを便利にしてくれた。
もう一つは、見てもまったくわからないものだった。
最近のおにいさんは、こちらばかり作っている。
平らな板や、四角い焼き物や、三角の焼き物。
どれも大事そうに扱っているが、わたしには違いがわからない。ただの泥を焼いた塊にしか見えなかった。
そして今日、おにいさんはまた新しい焼き物を削っていた。
今度も四角い焼き物だった。
まだ焼き物の表面には粗い削り跡が残っていて、角も少し歪んで見えた。
それなのに、おにいさんはこれまで以上に真剣な顔をしている。
平らな石の上へ置いては、この前のまっすぐな四角い道具を当てて、光の方へ向けて隙間を眺めてはまた削る。
おにいさんは、その退屈な作業を延々と繰り返していた。
わたしは家の前を掃きながら、その様子を眺めていた。
じっと座って手を動かしているだけなので、見ていても何も面白くない。
面白くないけど隙間がなくなると焼き物を入れ替えてまた削るのでそのあたりに秘密があるのかもしれない。
おにいさんの鋭い視線は、いつもそのわずかな隙間に張り付いていた。
わたしは掃除を終えると近くへ行き、その手元を覗き込むようにしゃがみ込んだ。
おにいさんはわたしの気配に気付くと、手を止めて、例によって地面へ落ちている枝で絵を描き始めた。
四角を描き、その横にもう一つの四角を繋げ、さらにその上にもう一つの四角を重ねていく。どうやら、三つの面を描いているらしい。
それから自分の指を三本、別々の方向へ突き立てて見せた。
縦と、横と、さらにそれらと交わる別の方向。
おにいさんは満足そうに頷いたが、わたしはしばらく首を傾げて考え込んだ。
「箱?」
おにいさんは首を振る。
「木?」
また首を振る。
「わかんない」
そう言うと、おにいさんは困ったように苦笑した。
わたしもつられて笑った。
結局、今日も説明は失敗である。おにいさんの頭の中にあるものは、いつもこの村の言葉では足りないようだった。
それでも以前よりはましだった。昔なら何を描いているのかすらわからなかったが、今は少なくとも、何かの形を一生懸命に説明しようとしていることくらいは理解できる。
昼前になると、畑帰りのハンスおじさんが重そうな鍬を肩に担いでやって来た。
「また始まったか」
ハンスおじさんは家の前で泥にまみれているおにいさんを見るなり、呆れたように言った。
わたしは立ち上がって頷く。
「今度は四角い塊をいじってるの」
「前の四角い道具は完成したんだろ?」
「たぶん。大事そうに箱にしまってたから」
「たぶんか」
おにいさんの不思議な作業に、わたしとハンスおじさんは顔を見合わせて笑った。
おにいさんの道具作りについては、最近こんな会話ばかりである。
何かを作って、それが完成したらしいことはわかる。何かに使うらしいこともわかる。けれどその先がわからない。
しかし、あとになって突拍子もない意味が出てくることだけなんとなくわかっている。
ハンスはしばらくおにいさんの手元を眺めていたが、やがて腕を組んで声を潜めた。
「前の四角い道具を使いながら新しい四角を作ってるのか」
気づくのが早い。振り返ってみると何かを作るための何かなのだ。
その様子は、まるで畑の種みたいだった。
一つの種から次の芽が生まれ、その実からまた別の何かが生まれる。おにいさんの手元では、その繰り返しが起きている。
「道具のための道具ばっかりだね」
わたしが呟くと、ハンスおじさんはもっともそうに笑った。
「鍛冶屋が自分の道具を作るのと同じだろ」
「おにいさんは鍛冶屋じゃないのに?」
「そこは俺にもわからん」
それもそうだった。おにいさんは鍛冶屋でも大工でもないのに、誰よりも熱心に道具の形を追いかけている。
二人はそれ以上深く考えるのをやめた。おにいさんの頭の中を理解しようとすると、すぐに頭が痛くなって疲れてしまうのである。
午後になり、涼しい風が吹いて麦畑が青く揺れ始めた。
羊たちは暑さを避けて木陰へ集まり始め、わたしはその様子をひと回り確認してから戻ってくる。
おにいさんはまだ同じ場所に座り込んでいたが、作業は少し進んでいるようだった。
焼き物の塊は最初よりだいぶ整って、きれいな四角形に近づいている。
それを定盤の上へ置き、四角い道具を横から当てて、おにいさんは横から目を細めて覗き込んでいた。
わたしも真似をして横に這いつくばってみたが、やはり違いはわからない。隙間があるようにも見えるし、ぴったりくっついているようにも見える。
そもそも、そこまで細かく形を気にする理由がわからなかった。
少しくらい曲がっていても、道具としては十分に使える。少なくとも村の暮らしではそうだった。家を建てる丸太だって、みんな最初から歪んでいる。
だが、おにいさんはそう思わないらしい。
曲がりがあるならすべて直したいし、歪みがあるなら完全に消したい。そういう性分の人なのだろう。
わたしは黙々と四角い焼き物を擦り続けるおにいさんを見ていて、少しだけ羊に似ていると思った。
羊も気になる草があると、納得するまでそこを離れずに食べ続ける。他から見れば大差ない草なのに、本人にはどうしても譲れない違いがあるらしい。
おにいさんも同じなのかもしれない。誰も気にしない平らさに、一人だけでどこまでも向き合っている。
夕方が近づいて影が長く伸びる頃、おにいさんはようやく手を止めた。
完成したらしい焼き物を定盤の上へ置くと、今度はこれまで作った道具を総動員し始めた。
新しい塊の二つの面へ四角い道具を順番に当て、床にしっかりと押し付けたまま、向きを変えてはまた当てる。さらに、細長い真っ直ぐな板の道具も滑らせて、何度も何度も確かめるように触っていた。
やがておにいさんは、満足そうに深く頷いた。どうやら成功らしい。
わたしは定盤の上にぽつんと置かれた塊を眺めた。
見た目はただの四角い焼き物だった。少し表面がきれいなだけで、これなら水を汲む桶の方が便利だ。少なくとも今のわたしにはそう思えた。
だが、おにいさんにとっては違うらしい。
完成した塊を両手で丁寧に持ち上げると、夕日の赤い光に透かすようにして、嬉しそうに眺めている。
その顔を見ていると、それが本当に宝物なのだろうと思えた。
価値があるかどうかはわからない。ただ、おにいさんがそこに強い価値を見ていることだけはわかる。
わたしはパンパンと土を叩いて立ち上がった。もう羊を小屋へ戻す時間である。
おにいさんはまだ夕日の中で焼き物を見ていた。きっと次もまた、何かよくわからないものを作るのだろう。
四角を作り、三角を作り、また別の何かを作る。そんなことの繰り返しだった。
しかし最近のわたしは、その退屈な繰り返しを、以前ほど無意味だとは思わなくなっていた。
理由はうまく言葉にできない。けれど、おにいさんが一日かけて作るものは、たいてい後になって別の大きな何かへ繋がっていく。
畑の溝がそうだったし、かまどがそうだったし、どんぐりのしぶ抜きもそうだった。なら、この四角い焼き物もきっと同じなのだろう。
今はまだ何も変わらない。ただ家の前に妙にきれいな焼き物が一つ増えただけだ。
それでも、おにいさんの満足げな顔を見る限り、これは何かの始まりなのだと思えた。
もっとも、それが何の始まりなのかまでは、今のわたしにはさっぱりわからなかったけれど。
それでもあえて、あえてわたしはおにいさんにお願いした。
「退屈だから明日はなにかしよう」
「はい。いいですよ。ベルタ」
おにいさんは本当に申し訳ない顔をして返事をした。
次回、マタイの福音書3章4節またはバッタを食べる
【作中技術解説】
三面直交ブロック:縦、横、高さの3つの面が、すべて互いに正確に直角で交わっている直方体の塊。定盤という平面の床の上でブロックスコアの垂直に当てたうえで、3つのブロックの側面同士をローテーションしながら擦り合わせることで、幾何学的な必然として完璧な直角が導き出されます。
直定規:完璧な「直線」の基準を持つ細長い板状の道具。完成した三面直交ブロックの真っ直ぐなエッジ(辺)を別の素材に擦り写すことで作られます。これによって、定盤の上にもう一つの「直線の壁」を固定できるようになり、人間の手のブレを物理的に拘束して排除する高度な治具づくりが可能になります。




