多種混合シードボール
視点:ハンス
大麦と燕麦をやたら条間を広げて筋蒔きした後、条間に多種混合シードボールをまいていく。
これは何かとベルタに聞くと多分かぶとか豆とかという回答を得て困惑する。
大麦と燕麦の種をまき終えた後も、ハンスの仕事は終わらなかった。ハンスは引き続き、種が入った土くれを地面にまく手伝いをしていた。
腰をかがめることもなく、等間隔に泥の玉を落としていく。その後ろからおにいさんが玉を踏みつけながらついてくる。先ほどまで使っていた大きな編みかごが空になると、おにいさんは足元へ別の、少し小さなかごを差し出してきた。
中をのぞき込むと、やはり同じような茶色い泥の玉が、ぎっしりと詰まっている。しかし、心なしか先ほどのものよりも、一回りの大きさにばらつきがあるように見えた。泥の乾き具合も、どこか赤みがかっていて違う。
大麦と燕麦の作業は終わったはずだった。それなのに、まだ別のものをまくという。別の形のかごに入っているということは、さっきとは違う別の種が入っているのだろう。だが、この時期に、一体何をまくというのだろうか。ハンスの知る限り、麦の種まきが終われば、あとは春の野菜の準備をするか、ただひたすらに畑の雑草をむしる日々が始まるだけのはずだった。
ハンスは、かごの隣で小さな泥玉を誇らしげに抱えている少女に目を向けた。
「ベルタ、これには何の種が入っているんだ?」
尋ねられたベルタは、首を少し傾げて、泥のついた指先で自分の頬をなでた。白い頬に黒い筋が残る。
「わかんない。多分かぶとか、お豆」
「わかんないってお前……。自分の家で丸めたんだろ。ちょっと割って見せてくれよ」
ハンスが呆れたように言うと、ベルタは「いいよ」と短く答えて、手の中にあった泥の玉を一つ、近くの平らな石の上に乗せて、自分の親指でぐっと押し潰した。
カチリ、と硬い音がして、乾燥した粘土がいくつかの破片に割れる。ハンスは膝をつき、その中身を注意深く覗き込んだ。
なるほど、ベルタの言う通りだった。潰れた泥の粉の中に、見覚えのある丸くて黒いカブの種と、やや平べったいソラマメらしき豆の種が確かに入っていた。彼らにとって、カブと豆は冬を生き延びるための大切な命綱だ。
それから、ハンスは眉をひそめた。カブと豆の影に、もっと小さな、別の種がいくつも混ざっている。
「……これはなんだ?」
指先で泥を払ってみる。カブの仲間の種によく似ているが、大きさが微妙に違う。カブじゃねぇな、もっと野生の、油を絞るためのアブラナの類だろうか。それから、その横にある細長い薄茶色の粒はなんだ。これはニンジンか? いや、村の周りでたまに見かける野生の、あの硬くて紫色のニンジンにそっくりだ。きっとニンジンだろう。こっちの、丸くて少し平たい粒はリーキか、きっとリーキだ。スープに入れると甘くなる、あのネギの仲間だ。
何ということだ、ごちゃ混ぜで、ありとあらゆる種類の種が入っている。ハンスには見たこともない、名前すら分からねぇ種も多かった。おまけに、よく見ると、去年の秋にまいたはずのライ麦の種まで一粒、泥の隙間から顔をのぞかせていた。
春のこの時期に、冬の作物であるはずのライ麦まで一緒に丸めてある。正気の沙汰とは思えなかった。普通、畑というのは一種類の植物だけを綺麗に並べて育てるものだ。そうしなければ、お互いに栄養を奪い合って共倒れになると、じいさまたちから耳にタコができるほど聞かされてきた。
しかし、手伝うと決めた以上、途中で投げ出すのはハンスのプライドが許さなかった。それに、おにいさんのあのまっすぐな目が、どうしてもハンスの足を留めさせる。
ハンスは立ち上がり、少し離れたところで別の畝を確認しているおにいさんに声を張り上げた。
「このやたらに広い麦の条間に、これをまけばいいのか」
おにいさんは振り返り、いつものように穏やかで、しかし少しも迷いのない声で答えた。
「はい。ハンス。そうです」
「よっしゃ」
ハンスは大きく息を吸い込み、再びかごから泥の玉を掴んだ。
畑の反対側に立てられた、一本の木の枝。おにいさんが刺したその目印をめがけて、真っ直ぐに歩きながら、泥の玉を落として進む。
ぽとん、ぽとん、と、土の上に不揃いな音が響く。
種入りの土をまきながら、ハンスの頭の中では疑問と不安がぐるぐると渦巻いていた。俺は今、一体何をしているんだ。これが夏になり、秋になったとき、一体どうなるんだ。
もし、この泥の玉に入っている種が、おにいさんの言う通りに全部生えそろったとしたら、この畑はどうなってしまうのだろう。
麦が伸び、その足元でカブが膨らみ、豆が蔓を伸ばし、リーキが葉を広げ、ニンジンが土の中で育つ。想像するだけで、頭が痛くなりそうだった。畑の中がごちゃごちゃの、足の踏み場もないような藪のようになってしまうのではないか。
「……いや、そんなにうまくいくわけがねぇな」
ハンスは小さく首を振った。
もし本当に全部の種が芽を出して、全部が立派に育ったら、それこそ収穫が大変どころの話ではない。あっちを掘り、こっちを刈り、どれが麦でどれが草かを見分けるだけで日が暮れてしまう。だが、もしそうなったら、それは「収穫が大変だ」という、この村の歴史始まって以来の、最高に嬉しい悲鳴に違いない。毎年、飢えと戦いながら、実りの少なさにため息をついている俺たちにとって、贅沢すぎる悩みだ。
なら、逆に全滅するのか?
いや、それもありえねぇな、とハンスは思い直した。生まれ育ったこの村で、ハンスは本当の意味での「全滅」というものを見たことがない。どんなに日照りが続いても、どんなに大雨が降って泥水に浸かっても、人間が植えた麦が死に絶えた後でさえ、見たこともない気に入らない雑草だけは何かしら青々と生えてくるのだ。植物というのは、人間が思うよりもずっとしぶとい。
畑を見渡せば、場所によって土の色が違うのが分かる。
水はけが悪くて、いつも粘土みたいにぬかるんでいるところには、それなりの湿気を好む草が生える。逆に、石が多くて水がすぐに抜けてしまうような乾いたところには、背の低い、しぶとい麦がなるというもんだ。土地にはそれぞれの性質がある。
けど、この広い畑の、一体どこが「いいところ」で、どこが「悪いところ」なのかなんて、人間の目で全部わかるわけがねぇ。
毎年、みんなで出し合った牛を引いて、重い木の鋤でガタガタと土を耕すたびに、大きな石が動き、土が混ざり、畑の様子はちょっとずつ変わっているんだ。去年は水が溜まった場所が、今年は乾いていることなんてざらにある。
いい場所が事前に分からないのだとしたら、人間の勝手な都合で「ここはカブの場所」「ここは麦の場所」と分けてまいたところで、本当にそこがカブに適しているのか、麦に適しているのかは、芽が出るまで不明なのだ。
ハンスは、手の中の泥玉を見つめた。
……待てよ。だったら、この泥玉みたいに、なんでもかんでも混ぜて一斉にまいておけば、どうなる?
水が溜まる場所では、水に強い草やリーキが生き残って育つ。乾いた場所では、大麦やライ麦が根を張る。硬い土の場所では、アブラナやニンジンがその強力な根で土を突き破って育つ。人間が場所を選ぶんじゃない。種の方に場所を選ばせる。どれかはうまくいく、どれかは生き残る。
「なんでもかんでもまいておけば、どれかはうまくいく……ってことなのか?」
ハンスの口から、ぽろりと独り言が漏れた。
それは、今まで考えたこともないやり方過ぎて、それが本当にいいことなのか、それともただの手抜きで悪いことなのか、今のハンスには判断すらできなかった。じいさまたちが見たら、間違いなく「畑を呪う気か」と怒り狂うだろう。
それでも、ハンスの足は止まらなかった。
ハンスとベルタが種入りの土をまきながら進むと、その後ろから、おにいさんがゆっくりとした足取りで歩いてきた。おにいさんは、ハンスたちが落とした泥の玉を、一つ一つぐっと踏んづけて土の中に埋めていく。
その様子を、ハンスは振り返りながら見ていた。
今の今まで、小さなベルタも、妙な知識を持つおにいさんも、誰に対して文句を言うわけでもなく、ただ黙々と自分の役割を果たしている。おにいさんは、村のみんなから「変わった奴だ」と距離を置かれても、決して怒ったり投げ出したりしなかった。ただ、ベルタを生き残らせるために、そしてこの冷たい土から少しでも多くの実りを得るために、誰も助けてくれない中で、静かに手を動かし続けてきたのだ。
今まで大した手助けもしていなかった俺が、そのやり方に口を出して、とやかく言う理由なんてどこにもねぇ。
ただ、もし。もし本当に、この奇妙なやり方で、この畑に何かが変わるのだとしたら。
毎年、毎年、春になれば同じように少ない種をまき、夏になれば草むしりに追われ、秋になれば思ったよりもはるかに少ない収穫を前にして、冬の飢えにおびえる。そんな、何世代も同じことを繰り返している俺たちの暮らしも、変わることができるのだろうか。おにいさんの手によって、この硬くて不毛な村の景色が変わるのだろうか。
ハンスは、気付けば目印の木の枝のすぐ前まで来ていた。かごの中の泥玉は、もう残り少ない。
ハンスは一歩を止め、最後の一玉を溝に落とした。そして、後ろを振り返り、しっかりと土を踏み固めているおにいさんの姿を真っ直ぐに見据えた。
「なぁ、おにいさん」
ハンスの声は、自分でも驚くほど低く、真剣な響きを帯びていた。
「これが上手くいったら……秋になって、本当にすげえ麦やカブがなったらさ。次は、俺の家の畑でもこのやり方を教えてくれよ」
おにいさんは足を止め、踏みしめていた土から視線を上げた。そして、少しだけ驚いたように目を見開いた後、いつもの、どこか頼りがいのある、しかしひどく平穏な笑みを浮かべた。
「はい。ハンス。いいです」
おにいさんの言葉は、相変わらずどこかずれた感じだ。それがハンスの心に本当に通じたのか、それともただの気休めなのかは分からない。
それでも、ハンスは自分の胸の奥が、ほんのりと熱くなるのを感じていた。
降るかどうかも分からない雨を待ち、ただ土の機嫌を伺うだけだった畑仕事の中で、初めて、未来の景色を見てみたいと思った。おにいさんがもたらすかもしれない、緑に満ちた、ごちゃごちゃで、それゆえに豊かな畑の広がりを。
ハンスは空になったかごを抱え直し、この奇妙な畑が、どうか上手くいきますようにと、生まれて初めて、心の底から神様につい願ってしまったのだった。
次、唐臼
【作中技術解説】
多種混合シードボール:多様な種をあえてごちゃ混ぜにして粘土団子に閉じ込め、ランダムにばらまく技術です。土壌の硬さや水分量は場所ごとに細かく異なりますが、あらかじめ多種多様な種を同時に投入しておくことで、そのスポットの微環境に最も適合した植物が自然と生き残り、最適解として育ちます。
疎植:作物の植え付け間隔(条間)をあえて広く取る農法です。一見すると土地の無駄遣いや収穫量の減少につながるように思えますが、植物に日当たりと風通しを十分に確保させることで、一株あたりの根が深く広く張るようになります。結果として、病害虫に強く、一株から収穫できる量が劇的に増加します。
ハンスのリスク管理:おにいさんの「なんでもまいておけばどれかはうまくいく」という未知の農法に対し、その合理性を直感的に察しつつも、「絶対に失敗(飢死)できない」という農民としての切実な防衛本能を持っています。そのため、すべてを鵜呑みにして自分の畑を賭けるリスクは冒さず、「まずはこの目の前の畑で成功させてみせろ、そうしたら技術を学ぶ」という、生存を担保した上での極めて堅実かつ現実的なリスク管理(エビデンスの要求)を行っています。




