紫の花
視点:ベルタ
春の休耕地で、お兄さんが次に見つけたのは「紫の花」が咲くありふれた草でした。村の子供たちが花冠を作るためだけに摘むその草には、土を育てる秘密がありました。お兄さんの手によって明かされる「根っこのつぶつぶ」と、枯れた花の中に隠された小さな命。ベルタの瞳を通して、目に見えない土の栄養の物語を描きます。
おにいさんは雑多に種を集めたのとは別に、休耕地の隅っこ、まだ冬の枯れ草が残る泥の上を這うように広がる三つの葉っぱ、蔓を伸ばす草の群生を見ていた。
それは、村のどこにでも生えている、紫色の丸い花や小さな紫のの花をつける草だった。
「……おにいさん、それ、種がない草だよ? お花冠を作ってくれるの?」
わたしは両手を頭の上に丸く掲げて、冠をかぶるしぐさをしてみた。お兄さんは、土のついた「すこっぷ」を置くと、少しだけ考えるように眉を寄せた。それから、足元の丸い花を根元から丁寧に摘み取った。
最初は、いつものお花遊びだと思っていた。でも、お兄さんの指先の動きを見た瞬間、わたしは目を瞬いてしまった。
お兄さんは何かを独り言のようにつぶやきながら、驚くほど速く、かつ正確に茎を編み込んでいく。ただ丸く結ぶだけじゃない。茎の太さを揃え、花の向きを一分の狂いもなく揃え、わたしが作るときとはなにもかもがちがった。
まず出来上がったのは、厚みのある花冠だった。紫の丸い花が、幾重にも重なって、まるで宝石の土台のように組み上げられている。それを頭に乗せられると、ずしりと心地よい花の重みが伝わってきた。
お兄さんの指は止まらない。今度は小さな紫の花が付いた細い蔓を使い始めた。紫の小さな花が連なる蔓を、あえてねじり、補強し、垂れ下がる花の配置まで計算して編んでいく。出来上がったのは、胸元を埋め尽くすような模様がある首飾りだった。
「すご……おにいさん、これ、すごすぎるよ!」
お兄さんの本気は止まらなかった。手首には、編み込まれた緑の葉がきれい。そして指には、小さな、本当に小さな丸い紫の花一輪を、小さな紫の極細の蔓で三重に巻きつけた指輪がはめられた。
気づけば、泥だらけの休耕地の真ん中で、ベルタは全身を紫の花々で飾られていた。村のどんなに器用なおばあさんでも、こんなに見事なものは作れない。それは、植物の茎の強さを知り尽くし、構造を理解しているお兄さんだからこそ作れる、本気すぎる工芸品だった。
お兄さんは、完成したわたしの姿をじっと見つめると、満足そうに一つ頷いた。
「えへへ、お姫様みたい! おにいさん、ありがとう!」
嬉しくてくるくると回ると、花の首飾りが揺れて、春の甘い香りがふわっと広がった。お兄さんは、そんなベルタの様子を少しだけ眩しそうに見た後、何事もなかったかのように再び泥だらけの「すこっぷ」を手に取った。
頭の上には、世界で一番贅沢な花の冠が輝いていた。おにいさんがくれた最高に無駄で、最高に素敵な時間だった。
花冠は嬉しかったけどおにいさんは違うことをするつもりだったんだろう。村の大人たちは、これをわざわざ育てることなんてしない。放っておけば勝手に生えてきて、家畜が食べたり踏んづけたりしていく、ありふれた景色の一部だ。
でも、おにいさんはその「ただの草」を、宝物を見つけたような目で見つめていた。
彼は新しく作った黒いすこっぷで、その草の根っこを、土ごとふわりと掘り起こした。土を軽く叩いて落とすと、細い根の先に、麦粒よりも小さな「白いコブ」が鈴なりに付いている。
つぶつぶを真剣な顔で見ている。
おにいさんは、その白いコブがついた根っこをベルタに見せると、次は休耕地のあちこちから、同じように紫の小さな花を連ねて蔓を伸ばす草をかき集め始めた。
「ベルタ」
おにいさんの真似をして、わたしは泥の中に指を突っ込んだ。村の誰に聞いたこともなかったけど、これはただの草だ。これを集めてどうするのか、おにいさんに聞くにしてもうまく答えられないような気もする。
正直、意味は全然わからなかった。でも、ベルタにはこの作業を頑張る理由がもう一つあった。
(これをたくさん植えておけば……いつでもあのすごい花冠が作れる!)
さっきおにいさんが作ってくれた、宝石よりも見事な花の宝飾品。あの緻密な編み込みをするには、この「紫の花」が大量に必要だ。もし、この休耕地が全部この花で埋め尽くされたら、わたしは毎日お姫様になれるかもしれない。そう思うと、がぜんやる気が湧いてきた。
「わかった! 根っこを大事にするんだよね。まかせて!」
ベルタは「てがま」を置くと、小さな手で丁寧に土を掻き出し、蔓の根っこを傷つけないように掘り起こしていく。
おにいさんは、集めてきた草をただ闇雲に埋めることはしなかった。土地を深く掘り返すこともしない。
排水して少し柔らかくなった泥の上に、おにいさんは「ここだ」と決めた場所に指で小さな穴を開け、そこへ根っこのついた株を差し込んでいく。
おにいさんは、まるで石垣を積むときのように慎重に、草を置く間隔を測っている。わたしもおにいさんの後を追いかけて、集めてきた種と株を置いていった。
「おにいさん、ここにも置いていい? ここなら、花冠を作るときに手が届きやすいよ!」
おにいさんは少しだけ目筋を和らげて頷いた。わたしの目的がお花遊びのだとしても、おにいさんの目的が違ったとしても、やるべきことは同じだ。
泥だらけの休耕地に、点、点、と紫の島ができていく。
おにいさんは、掘り返す代わりに、移植した株の周りに軽く枯れ草を被せていった。
「これでもっとたくさん花が咲く?」
おにいさんはわかったのかわからなかったのか頷き、わたしはパッと顔を輝かせた。
村の大人たちは、休耕地に雑草を植え直す二人を見て「おかしな兄妹だ」と笑うかもしれない。でも、紫の絨毯が広がればわたしは嬉しい。
おにいさんは何かを、わたしは戴冠式を夢見て。
二人は春の冷たい泥の感触を楽しみながら、休耕地という名の真っ白なキャンバスに、紫の点描を描き続けていった。
次回、動くタンパク質と非同期トラップ
【作中技術解説】
根粒菌:アカツメクサやヘアリーベッチ(マメ科植物)の根に付着する「白いコブ」は、根粒菌という細菌の住処です。彼らは空気中の窒素を、植物が利用できる形に変換する「窒素固定」を行います。
ヘアリーベッチ(ナヨクサフジ)
マメ科の越年草で、非常に高い窒素固定能力と雑草抑制能力を持ちます。蔓を伸ばして地面を覆い尽くす(リビングマルチ)ことで、他の不要な雑草の発生を防ぎつつ、土壌を豊かにします。
不耕起による配置:土を深く掘り返すと、土壌中の生態系(菌根菌など)が破壊され、炭素が放出されてしまいます。お兄さんは排水溝で水分を調整し、柔らかくなった表層に「種」と「菌(根粒がついた株)」を置くことで、植物自らの根の力で土を耕させる「生物的耕起」を選択しています。




