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螺旋の乙女 〜乳白色のセラミックパンク〜  作者: 麻澱灰


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トウ立ちと野生の種子

視点:ベルタ

おにいさんの目は、村の誰とも違うものを見ているようです。排水を終え、泥だらけになった休耕地の隅。そこに咲く、名前も知らない雑草。村の人が「飢えをしのぐために渋々口にする」だけのひょろひょろの草が、おにいさんの手にかかると、輝くような「宝物」に変わります。おにいさんとベルタ、二人の秘密の宝探しが始まります。

排水の溝を引き終えると、おにいさんは泥のついた手を払い、ゆっくりと腰を伸ばした。まだ冷たい風が吹いているけれど、おにいさんの額には薄っすらと汗が滲んでいる。


おにいさんの視線の先には、休耕地の隅っこにある、まだ雪が残る茂みがあった。おにいさんは、そこへ向かってぬかるむ地面を確かめるように歩いていった。


そこには、村の誰もが見向きもしない「雑草」が生えていた。冬の厳しい寒さに耐え、雪解けとともにひょろりと茎を伸ばした草だ。先端には、今にも開きそうな、黄色い小さな花の蕾が見える。


「……おにいさん、それ、食べられないよ? 苦いもん」


ベルタが教えると、おにいさんはその草の根元に視線を落とし、細い茎を指先でそっとなぞった。


「……アブラナ」


おにいさんが静かにつぶやく。

茎の先には、今にも弾けそうな小さな鞘がいくつか付いている。去年の秋にこぼれた種が、凍てつく土の中で冬を越し、春一番に芽吹いたのだ。他の草がまだ眠っている間に、子孫を残そうと急いで茎を伸ばしている。おにいさんは、これを「トウ立ち」と呼んだ。


おにいさんは、その鞘を一つ摘み取ると、手のひらの上で器用に割った。中から現れたのは、小さな黒い粒だ。

それは、ただの種じゃない。

この厳しい冬を生き抜き、誰に世話されることもなく、どの草よりも早く立ち上がった、とてもつよい種だ。


おにいさんは、その種を大切そうに、腰に下げた小さな革袋に収めた。

村の大人たちにとって、仕事とは畑に小麦をまき育てることだ。でもおにいさんは、道端に生えている草もおなじように見ているようだった。


「これはあぶらな?」


ベルタが別の場所で見つけた、茶色く乾いた鞘を指さした。おにいさんは少し首を振ると、鞘がついたままの茎を「てがま」で慎重に刈り取った。根っこを傷つけないように、地面の少し上を狙って。


おにいさんは、種を一つずつ取り出す手間をかけない。鞘がついたままの茎を次々と束ねていく。


この種をたくさん集めて増やせば、いったい何がいいことがあるんだろう。おにいさんの頭の中には、村の誰も見たことがないような、お花畑が広がっているのかもしれない。


おにいさんはアブラナに限らず、春の野原で見つかる種という種を、何でもかんでも刈り取って束ねていった。


「……おにいさん、こっちのトゲトゲしたのは?」


ベルタが指さしたのは、おにいさんの膝くらいの高さまで伸びた、枯れ色の目立たない草だ。おにいさんは頷いた。その茎には小さな鞘が、鈴なりについている。


「てがま」を振るい、その鞘を茎ごと束ねた。おにいさんは、絶対に根っこを引き抜かなかった。


おにいさんが集めるのは、それだけじゃなかった。

足元に広がる、小さな青い花を咲かせたもの、這うように広がるもの。これらは種を飛ばすのが早い。おにいさんは、すでに種がこぼれ落ちそうなそれらを、土ごと、あるいは枯れ葉ごと掬い取るようにして袋に詰め込んでいく。


さらに、湿った場所で見つけた草の鞘に触れると、パチンと弾けて小さな種がわたしの頬に当たった。驚いて声をあげたけれど、おにいさんは満足そうに、弾ける前の鞘を丁寧に刈り取っていく。


「おにいさん、お花畑でも作るの?」


食べられないものを、なぜこんなに一生懸命集めているんだろう。春だけど、まだ木の下を探せば去年の残りのどんぐりが見つかるかもしれない。そっちを拾ったほうが、お腹に溜まっていいんじゃないだろうか。


「けど……うん。おにいさんが大事って言うなら、わたし、明日からこれ探すね」


ベルタは、おにいさんの真似をして、泥の中から花や蕾、それから茶色い種を見つける遊びを始めた。


最初は、おにいさんが指差したアブラナだけを探していた。けれど、一度「種を探す」という目になって地面を眺めてみると、そこはもう、ただの茶色い泥の塊ではなかった。


「あ、おにいさん! こっちにもあった。これは……ツブツブしてる!」


冬の間にすっかり枯れて、カサカサの骨のようになった茎だった。指先で触れると、小さな三角形の殻に包まれた種が、雨あられのように手のひらにこぼれ落ちてくる。


わたしはてがまで茎ごと刈り取る。


一つ見つかると、次から次へと目に飛び込んでくる。今まで何度もこの休耕地を走り回っていたはずなのに、意識していない時は、これらはすべて「景色」の一部でしかなかった。でも今は違う。


足元の湿った場所には、米粒よりも小さな、でも真っ白で綺麗な花がさいていた。よく見ると、花の根元には小さな卵のような形の袋がついていて、中には砂粒のような種がぎっしりと詰まっている。


「これも、これも種だ! おにいさん、こっちはトゲトゲだよ。こっちは、なんだかお豆みたい」


わたしは夢中になって地面を這い回った。

名前も知らない、牛も食べないような小さな草。

触れると指にベタベタつく実。

風に吹かれて、綿毛の残骸を必死に握りしめている枯れ草。


わずか数歩歩く間に、わたしの小さな手の中には、茶色、黒、灰色、模様入りのものまで、十種類以上の「種」が集まっていた。

おにいさんじゃなくても、適当に探すだけで、春の野原にはこんなにもたくさんの「命の粒」が溢れていたのだ。


「おにいさん、世界中、種だらけだね」


おにいさんは大量の草の束を抱えたまま、ゆっくりと頷いた。


ベルタにはまだよくわからない。でも、おにいさんがこうして集めた「食べられない草」の種が、いつかなにかになるんだろう。もしかしたらわたしにいろんな花冠をかぶせてくれるだけかもしれないけど、それはそれでたのしそうだ。


村のみんなが「何もない」と言って捨てる場所に、おにいさんは「宝物」を見つけていく。


やがて、おにいさんの手にはたくさんの鞘の束が握られ、ベルタの小さな手にも、溢れんばかりの種が集まった。

休耕地のあちこちで、わたしたちは春の贈り物を丁寧に拾い集めていった。


次回、紫の花


【作中技術解説】

野生種の選抜:栽培植物の原種に近い野生の「アブラナ科」は、極めて高い環境適応能力を持っています。おにいさんは、人為的に守られた種子ではなく、厳しい自然淘汰を勝ち抜いた個体から種を採取することで、肥料や農薬がない環境でも確実に育つ「強い作物」のベースを作ろうとしています。


トウ立ちの利用:通常、野菜としては食味が落ちる「トウ立ち」ですが、採種(種採り)においては不可欠なプロセスです。


多種多様:気候も土壌も未知なため、その土地に適応した植物を使ってバイオマスを確保する。

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