【8話】 「風紀と広報の綱引き」
体育祭から数日後。
昼休みの教室でお弁当を広げていた私の耳に、やけに聞き慣れないあだ名が飛び込んできた。
「おーい、パチン様ー!」
「パチン様、また風起こしてよー!」
……誰だ、その不名誉な名前を考えたのは。
顔を上げると、廊下から隣のクラスの男子たちがこっちを覗いてニヤニヤしている。
教室の中でも笑い声が起こり、みんながスマホを覗き込んでいた。
「……かえで、なんでこんなことになってるの」
「え? 例の写真、SNSにあげたら思ったよりバズっただけだよ」
「“だけ”ってレベルじゃないでしょ!?」
「だって、あの写真、奇跡の一枚だったじゃん。背中から光みたいなの出てて、しかもゴール決めてる瞬間!」
「それが“パチン様”の由来……?」
「そうそう。“パチン”ってやると奇跡が起こるって噂になってる」
「やめてよぉぉぉ……!」
机に突っ伏して呻いていると——。
ガラリ、と教室のドアが開いた。
「桐生、少しいいか」
低い声。顔を上げると、風紀委員長の真壁蓮が立っていた。
背筋を伸ばし、無駄のない動きで教室に入ってくる姿は、相変わらず漫画から抜け出してきたみたいだ。
でも、今はその迫力がただただ怖い。
「な、なにか……?」
「例の体育祭の写真、削除依頼を出せ」
「……は?」
「“説明不能な現象”を面白半分に広めるのは危険だ。これ以上拡散しないうちに消すべきだ」
その言葉に、かえでがすぐさま口を挟む。
「ちょっと待ってよ。あの写真、見た人みんなが元気になってるんだよ? 悪いことじゃないじゃん」
「感情で判断するな。秩序が乱れる」
「秩序って……別に誰も困ってないし」
「困るかどうかは表面だけでは判断できない。お前もわかるだろ、桐生」
急に話を振られて、私は焦った。
「え、えっと……」
「こういう話題は、時に妙な噂や誤解を生む。そうなったら誰が責任を取る?」
「それは……」
正論すぎて反論できない。でも、なんだかモヤモヤする。
蓮の真剣な目を見ていると、ただの頭ごなしじゃないことはわかるけど——。
「真壁、そんなに怖い顔すんなよ」
いつの間にか近くにいた湊が、私と蓮の間に割って入った。
「体育祭の写真くらいで目くじら立てなくても」
「高瀬、これは——」
「心配してくれてるのはわかるけど、ひかりはそんなヤバいことしないから」
「……そういう問題じゃない」
蓮は短く息を吐き、踵を返した。
去っていく背中は、やっぱり硬くて近寄りがたい。
でも、ほんの一瞬だけ振り返って私を見た、その目の奥に——焦りのような色が見えた気がした。
⸻
昼休みの残り時間。
かえでは机に肘をつきながらニヤニヤしてくる。
「ねえ、あの真壁ってさ、意外とひかりのこと気にしてるんじゃない?」
「え? ないないない」
「だって、わざわざ来て直接注意するなんて、普通しないでしょ」
「……いや、それは風紀委員長だから」
「でも、目が本気で心配してる感じだったよ」
「…………」
否定しようとしたけど、さっきの蓮の視線を思い出して言葉が詰まる。
あれは——なんだったんだろう。
⸻
放課後、昇降口で靴を履いていると、湊が隣に座った。
「さっきの、気にすんなよ」
「……うん。でも、真壁くんって何か怖いっていうか……」
「まあ、あいつは真面目すぎるからな。けど、悪いやつじゃない」
「そうなの?」
「少なくとも、理由もなく怒ったりはしないタイプだよ」
湊の言葉が少し意外だった。
幼なじみがそう言うなら、本当にそうなのかもしれない。
でも——もしそうなら、蓮は何を恐れているのか。
その答えは、まだわからなかった。




