7. 懲罰房
乱闘に加わった男子学生たちは、その日のうちに全員が懲罰の対象となった。
騒ぎを聞きつけて集まった学生たちが目にしたのは、すでに殴り合いが始まった後の光景だけであり、最初からその場にいたのは、当事者であるエルフの少女だけだった。
少女は、ガラヌスが自分を助けようとして割って入ったのだと何度も説明したが、ガラヌス自身が途中から殴り合いに加わり、実際に何人かを倒したことまでは否定できなかったらしい。
その結果、最初に少女へ絡んだ連中とは処分の重さに差がつけられたものの、ガラヌスも数日間、軍学校内の懲罰房へ入れられることになった。
*
懲罰房の中には、硬い寝台と小さな机が一つずつ置かれているだけだった。
高い位置には外気を取り入れるための小窓があり、扉の一部には、廊下側から中を確認するための鉄格子が嵌め込まれていた。
昼間であれば教官や係の学生が時折廊下を通ったが、夜になると、その足音もほとんど聞こえなくなった。
その夜、ガラヌスは寝台の端に腰掛け、両肘を膝へ乗せたまま、しばらく床を眺めていた。
頬や脇腹にはまだ鈍い痛みが残っており、少し姿勢を変えるだけでも、殴られたり蹴られたりした場所が遅れて痛んだ。
――養父が、マルティヌスが今回のことを知れば、どうするだろうか。
乱闘を起こして懲罰房へ入れられたと知れば、顔を真っ赤にして、今度は激昂するのだろうか。
それとも、首席で軍学校へ入った養子がこんな有様になったことに失望し、もう期待を向けなくなるのだろうか。
――あるいは。
ほんの一瞬、別の考えも浮かんだ。
怪我は大丈夫なのかと、まず自分の身を案じてくれたりするのだろうか。
ガラヌスは膝の上で指を組み直した。
今回の乱闘では、懲戒点がかなり加算されてしまった。
今後半年ほどの間に成績で相応の結果を残さなければ、現在の第三級から、さらに下の第四級へ落とされる可能性がある。
第四級へ落ちれば、生活上の拘束は今よりずっと強くなるだろう。
私物や施設の利用はさらに制限され、本来なら自由に使える休日にまで、清掃や運搬、倉庫整理といった下働き同然の雑務が割り当てられるだろう。
ただでさえ嫌気の差している軍学校生活が、今以上に窮屈になるな。
――そんなことを考えていた時だった。
静まり返った廊下の奥から、小さな足音が聞こえてきた。
見回りにしては軽く足音で、音の間隔も普段とは違うように思えた。
足音は少しずつ近づき、やがてガラヌスのいる懲罰房の前で止まった。
最初は誰なのか分からなかった。
だが、ガラヌスが顔を上げて身を起こすと、鉄格子の向こうに、淡い金髪と、その間から伸びる細長い耳が見えた。
昼間の、"あの少女"だった。
ガラヌスは思わず姿勢を起こした。
「……は?」
少女はそのまま扉の前まで来ると、手にしていた小さな包みと瓶を胸の前で抱え直した。
そして、寝台に座っているガラヌスと目の高さを合わせるように、少しだけ腰を落とした。
「こんばんは」
「なんで……なんでここにいるんだ。しかも、こんな時間に一人で」
少女は少しだけ間を置いた。
「……それは、あなたにお礼が言いたかったから」
「い、いや、そういう問題じゃないだろ。どうやってここに入ってきたんだ。それに、そもそも今は消灯時間じゃ……」
そこまで言って、ガラヌスは口を止めた。
いや、消灯時間を過ぎていることよりも、そもそも他校の学生が軍学校の懲罰房に無断で入り込んでいることの方が、よほどおかしい。
もちろん、消灯時間を過ぎて一人で構内を歩いていること自体も十分に異常だ。
しかも、総合学部の学生たちが宿泊している場所は、ここからかなり離れていたはずなのだ。
いったい何から聞けばいいのか分からずにガラヌスが黙っていると、少女はあっさりと言った。
「ちょっと、抜け出してきただけだよ。そこはあんまり気にしないで」
「ちょっとって……」
「悪いけど、方法は教えられないの」
少女はそう言うと、手に持っていた小さな包みと瓶を持ち上げた。
「はい、これ」
鉄格子の隙間から差し出されたのは、菓子の包みと小瓶だった。
ガラヌスはそれを見たまま、すぐには手を伸ばさなかった。
「いや、でも……見回りくらいはいるんじゃないか……」
「彼らもずっと同じところにいるわけじゃないし、学生寮とか学生の懲罰房程度なら、警備もそこまで厳しくないのよ」
少女はそう言うと、話を切り替えるように菓子の包みを少し前へ押し出した。
「そんなことより、これ食べてみて。私のお気に入りのお菓子なの」
ガラヌスはしばらく迷ったあと、鉄格子越しにそれを受け取った。
「……ありがとう」
「うん」
少女は少しだけ笑うと、今度は小瓶を差し出した。
「それと、これも」
ガラヌスは瓶を受け取る前に、その口元から漂ってくる匂いに気づいた。
「……果実酒の匂いがするんだけど」
「少しくらいなら別に大丈夫でしょ」
ガラヌスは少し間を置いて悩んだ後、小瓶も受け取った。
すると少女は、少し表情を緩めた。
「それと……本当に、ありがとう」
ガラヌスは顔を上げた。
「私を助けてくれたでしょ。それなのに、あなたまでこうやって懲罰房に入れられてるの、私はほんっとうにおかしいと思ってる」
少女は鉄格子越しに、ガラヌスの頬や腕に残った傷へ目を向けた。
「こんなに怪我してるのに、その上こんな仕打ちまでして……」
少し間を置いてから、少女は続けた。
「私も、あなたは私を助けようとしただけだって伝えたの。でも、途中から殴り合いになったことは別だって言われて……結局、どうにもできなくて」
そして、少し視線を落とした。
「だから、私にはこんなことくらいしかできないの」
少女の目が、ガラヌスの手の中にある菓子と果実酒へ向いた。
「……ごめんね」
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
ガラヌスは手の中の包みを見下ろした。
――ここしばらく、誰かから何かをされても、周囲にいる者たちは揃って見て見ぬふりをしていた。
教官や上級生による理不尽なしごきも、同級生から繰り返される嫌がらせも、皆が同じ狭い空間で生活している以上、本当に誰も気づいていないわけがなかった。
それでも、皆がみな、「面倒ごとに巻き込まれたくない」としか振る舞わなかった。
問題だと口にする以前に、最初から"問題"などどこにもなかったのだというように振る舞った。
育ての父も、神の使いとして仰がれるハイエルフたちも、口にするのはいつも家や大天国の栄光という、それこそ初めからどこにもないのではないかとガラヌスには思える言葉ばかりだった。
――だが、それなのに。
今日の昼まで会ったこともなかった少女だけは、ガラヌスの身に降りかかった理不尽を、そのまま理不尽なものとして見ていた。
それだけではなかった。
自分のために、わざわざ宿泊所を抜け出し、十五歳未満には禁じられているはずの酒まで持ち出して、こんな時間に懲罰房まで来てくれたのだ。
目の奥が熱くなり、視界が滲んだ。
ガラヌスはそれに気づくと、とっさに少女に見られないように顔を横へ背けた。
――それからしばらくの沈黙が流れた。
やがて、少女は廊下の奥へ目をやった。
「そろそろ戻らないと。じゃあね」
「あ……」
少女が身を翻しかけたところで、ガラヌスは咄嗟に声を上げた。
「が、ガラヌス・ワリニウス・ピウス……」
少女が足を止め、振り返った。
「え?」
「……俺の名前。ガラヌス・ワリニウス・ピウス」
ガラヌスは鉄格子を挟んで少女を見た。
「君の名前は?」
少女はすぐには答えなかった。
一瞬だけ視線を横へ逸らし、何かを考えるように黙り込んだあと、再びガラヌスへ顔を向けた。
「エイリシア・ラギナリア・ベルガルダ」
「……ラギナリア・ベルガルダ?」
その家名には、ガラヌスにも聞き覚えがあった。
ラギナリア・ベルガルダ家は、この神盾大管区でも五本の指に入るほど有力な耳長人の傑人の家系であり、代々、大管区の行政や神殿との関係にも深く関わってきた名家だった。
さらに、その長い歴史の中では、一族から神使族へ加わった者も幾人か出ている。
ガラヌスがわずかに目を見開いたのを見ると、エイリシアはすぐに付け加えた。
「ベルガルダ家っていっても、私は孤児院からもらわれた養子なんだけどね」
そう言って、少しだけ笑った。
ガラヌスはしばらく何も言わなかった。
「……俺も同じだよ」
今度は、エイリシアが少し目を見開いた。
「俺も孤児院出身の養子なんだ。辺境の神管区『ラキア』で生まれたらしいけど、実の親の顔も知らないし、身元も何も分からない」
「そうなんだ」
「……うん」
そこで、また少し沈黙が続いた。
ガラヌスは手の中にある菓子の包みと酒の小瓶へ一度目を落とし、それから、もう一度エイリシアを見た。
「……ありがとう、エイリシア」
名前を呼ばれたエイリシアは、少しだけ目を細めると、にこりと笑った。
「大したことはできてないよ」
そう言って軽く手を振ると、エイリシアは今度こそ背を向け、薄暗い廊下の奥へ歩いていった。
姿が闇の向こうへ消え、足音も一歩、また一歩と小さくなっていく。
その音を聞いていると、ガラヌスの胸には、もう少しここにいてほしかったという寂しさとともに、それとは別の、熱を持った何かがゆっくりと湧き上がってきた。
先ほどまで胸の中を占めていた、養父への不安も、懲戒点のことも、第四級へ落とされるかもしれないという恐れも、その時だけは少し遠くへ退いていた。
やがて足音も完全に聞こえなくなり、懲罰房には再び夜の静けさが戻った。
それでも、ガラヌスの目には、最後に振り返って笑ったエイリシアの顔がいつまでも残っていた。
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