5. 大管区設立記念祭
その日は、神盾大管区『スカリウム』が成立してから、ちょうど二百年にあたる記念日だった。
軍学校では朝から通常の授業や訓練の大半が取りやめられ、大管区内の様々な学校から、多くの学生や教員が招かれていた。
普段は軍学生と教官ばかりが行き交う校内にも、この日ばかりは見慣れない制服を着た者たちが溢れていた。
中でも目立っていたのは、総合学部の人文科に属する演劇目の学生たちだった。
女子学生も多く、午前に行われた記念演劇では、普段の制服から舞台衣装へと着替え、神盾大管区の成立にまつわる演目を披露した。
広場には仮設の舞台が組まれ、その周囲には軍学生だけでなく、他校から訪れた学生たちも大勢集まった。
さらに来賓として、神使族の一つであるハイエルフの一族、カエリリウス・アルバリス家も訪れていた。
彼らが姿を現すと、それまで騒がしかった広場も、一時は声が小さくなった。
――人の姿に近い、細身で長身の身体。
頭部には長く伸びた耳があり、その背には、魔力によって形作られた白い翼が浮かんでいた。
それは、鳥の翼のように羽毛が生えたものではなかった。
淡い光そのものが幾重もの羽根を形作ったような姿で、翼の輪郭からは絶えず白い光が滲み、その周囲だけが薄く照らされていた。
壇上に立った数人のハイエルフたちは、神盾大管区の成立二百周年を祝い、集まった学生たちへ督励の言葉を述べた。
長々とした演説だったが、まとめると内容は以下のようだった。
『学徒諸君は、これからの人界を担う者であり、かつそれ以上に、神々より分有されし秩序を守る者である。
諸君には、大天国を邪神や魔族から守り、かつて失われた地を取り戻してきた先人たちの務めを、これからも受け継ぐという聖なる義務がある』
『諸君がすでに知っているように、とりわけこの東方では、六百年にもわたる大天国回復戦争によって、我々は謀略の大邪神ナフラザーンとその子神たちを退け、リメシアの地を漸次奪還してきた。
我らが神々が、二百年前、このスカリウムを神盾大管区として定められたのも、この地を東方における聖戦の支柱とし、取り戻した領域を二度と失わぬための神盾となすためである』
『ゆえに諸君もまた、武に身を置く者は軍にて、知恵ある者は学舎にて、技を担う者はその工房において、各々に与えられた務めを全うせよ』
『今より百七年前、聖なる大内海を襲った【大喪失の悲劇】を、我々は決して繰り返してはならない。
かつて平安地の一地方であったかの沿岸一帯は、ただ一度の災厄によって、都市も港も壊滅し、数え切れぬほどの神々と人々の命が、闇の炎の贄とされる地獄へと変わったのだから』
――結局、どれも普段から聞き慣れている内容だった。
だが、神使族自身の口から発せられるとなれば話は違うらしく、学生たちは皆、目を見開いて真剣に耳を傾けていた。
――その後も神々を崇める演劇や式典はいくつか続き、日が傾き始める頃には、校内の各所で交流を兼ねた食事会が開かれた。
軍学校の大食堂にも長机が増設され、普段より多くの料理が並べられた。
軍学生と他校の学生が入り混じって席につき、演劇を終えた人文科の学生たちも、その多くが舞台衣装のまま食事会へ参加していた。
昼間には静かに演劇を眺めていた軍学生たちも、この頃になると他校の学生へ盛んに話しかけていた。
ガラヌスはその中で食事を済ませ、しばらくすると席を立ち、便所へ向かうため、大食堂から廊下へ出た。
食堂の前にはまだ多くの学生が行き交っていたが、廊下をいくつか曲がるにつれて人影は少なくなっていった。
後ろから聞こえていた話し声や食器の音も、次第に遠のいていった。
その途中で、前方から数人の男の声が聞こえた。
「だから、少しくらいいいだろ」
「せっかく来たんだしさ、もうちょっと話そうぜ」
その声に続いて、女子の声が返った。
「急いでるって言ってるでしょ」
ガラヌスが廊下の角から覗き見ると、その先に数人の学生が固まっていた。
男子は全員、軍学校の制服を着ていた。
さらに、その顔には見覚えがあった。
ここしばらく、ガラヌスへ肩をぶつけたり、持ち物へ悪戯をしたりしていた連中だった。
そして、その中央には、一人の女子学生が立っていた。
彼女は、午前の演劇やその後の舞踊に参加していた学生たちと同じような舞台衣装を身につけていた。
光沢のある金髪の間からは、細長い耳が伸びていた。
耳長人の少女だった。
耳長人は人間よりはるかに長い寿命を持ち、知性にも優れる一方で、生殖能力が低く、人口そのものが少なかった。
そのため、戦死や負傷の危険が高い軍事学部へ配属される者はほとんどおらず、学校へ通う者の多くは総合学部に属していた。
軍学校の学生にとって、同年代の耳長人を間近で見る機会はそう多くない。
まして、舞台衣装をまとった女子学生ともなれば、物珍しさから目を向ける者は少なくなかった。
少女が横を抜けようとすると、一人の男がその前へ回り込んだ。
「そんな急ぐなって」
「通してよ!」
「名前くらい教えてくれてもいいだろ」
「嫌だ」
少女が反対側へ身体を向けると、今度は別の男がそちらへ回った。
「俺たちが学校を案内してやるって言ってんじゃん」
「そんなの必要ない」
「そう冷めたこと言うなって」
その時、男の一人がエルフの少女へ手を伸ばした。
身体へ触れようとしたその手を、少女がすぐに叩いて払いのけた。
「触らないで」
すると、男は顔をしかめ、今度は少女の手首を強く掴んだ。
「い、痛いっ」
「いや、こっちの方が痛かったぜ」
少女が腕を引いて振りほどこうとしたが、男は手を離さなかった。
それまで笑いながら少女を囲んでいた連中の表情も変わった。
冗談めかしていた声は止み、廊下には一気に険悪な空気が漂った。
ガラヌスは拳を強く握った。
腹から怒りが込み上げてくるのを感じた。
一方で、冷静になるようにと自分に言い聞かせた。
ガラヌスは爪が掌へ食い込むほど拳に力を込めて、一度息を吐いた。
――そして、そのまま数歩、連中の方へ進んだ。
「おい」
男たちが振り返る。
「お前ら、何やってんだよ」
ガラヌスは足を止めず、そのまま少女と男の間へ入った。




