3. 腑抜けた日々
養父マルティヌスは、首席合格の知らせを受け取った日、普段の厳格な姿からは想像もつかないほど、はしゃいで喜んだ。
幼い頃から馬に触れさせ、槍や剣を教えてきた甲斐があったのだと、何度もそう繰り返していた。
ガラヌス自身も、養父をここまで笑顔にさせたこと自体には悪い気はしなかった。
――だが、入学と同時に始まった学生寮での生活は、彼が思っていたものとは少し違っていた。
学生寮では、まだ外が暗いうちから、脳天に響き渡るように鐘が鳴った。
おぼろげな思考のまま、半ば無意識に寝台を整え、服を着替え、点呼を受けた。
便所に行くことさえ許されぬまま、そのまま走り込みをさせられた。休憩を兼ねた朝食の直後には座学、その後は馬術、剣術、槍術、隊列訓練。
食事の時間も入浴の時間も決められ、就寝前には装備の点検まであった。
また、急ぐために廊下を走れば怒鳴られた。仲間にぶつからないよう歩けば、今度は整列が遅いと怒鳴られた。
朝の抜き打ち検査では、寝台の毛布の端が少しずれているだけでも直すよう命じられ、教官によっては罰として腕立て伏せを百回命じられた。
ガラヌスはひと月もしないうちに、この生活に辟易した。
だが、その一方で、ガラヌスは持ち前の要領の良さから、怒られない程度に楽をする方法を覚えた。
走り込みでは列の真ん中を走り、次の過酷な訓練に体力を残した。
腕立て伏せの際には、教官から見えないところで少し肘を伸ばした。
座学では当てられそうなところだけ、試験に出そうなところだけを覚え、課題にも必要以上には取り組まなかった。
また、食事の量が制限される「忍耐の月」には、消灯後に食料庫へ忍び込むこともあった。
自分が配膳当番になった際、あえて片付け役を率先して引き受ける。そして、最後の戸締まりの時に、厨房裏の窓の留め具を自作した緩いものと交換するのだ。
そして翌日が休日となる夜には、便所へ行くふりをしてそこから中へ入り、厳密に数を管理されていない硬いパンや、布のような食感の干し肉を持ち出し、それらを昼間のうちに掘っておいた穴へ埋めた。
当然、そんな生活を送っていれば、成績も良いものではなかった。
特段悪いわけではなかったが、学生としての優等級は第三級であり、それは全生徒の約半数が属する、ごく一般的な等級だった。
軍学校には「成績」とは別に、「優等級」というものが存在した。
成績が比較的短期間の成果を表すものだとすれば、優等級では、より中長期にわたって「模範的な者」であることが評価された。
上位等級へ進むためには、学業・実技が一定水準以上であること、無断欠席がないこと、点呼への遅刻がないこと、懲戒点が一定以下であること、教官から高い平常評価を得ていることなどが必要であり、成績そのものが振るわなくとも、日頃の評価次第では第一級に在籍し続けることさえできた。
第二級、第一級、そして上位十人のみが得られる特等級へと進むにつれて、営内施設や物資に対する利用制限の緩和、私物利用枠の増加、そして目玉となる「外出権」が与えられるようになった。
特に第一級と特等級では「宿泊外出権」まで認められるようになり、彼らが努力する理由は家の名誉のためだけではなく、こうして自らの努力が自分自身へ還元されることにもあった。
だが、この軍学校生活そのものに辟易していたガラヌスにとって、この優等級制度は眼前に吊り下げられた人参としか感じられなかった。
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ガラヌスを辟易させていたのは、厳しい訓練や規則だけではなかった。
寮では、誰が教官に気に入られているだの、誰が次の班長に選ばれそうだの、あいつは「傑人」の当主がいるどこどこの家の出だから付き合っておいた方がいいだの、そうした話が絶えなかった。
傑人とは、神々や神使人から、臣民を統制する「支配力」を借り受けた人間を指す。
この許可に伴い、寿命や身体能力、魔力が大幅に向上するだけでなく、傑人は実際に、臣民の「意識」以外の、しかし「無意識」の水準にあるほとんどすべてを、文字通り意のままに操ることができる。
しかし当然、私利私欲のためにこの支配力を用いることは重罪とされ、非国民に落とされることすらある。
とはいえ、神管区の管理、すなわち行政は実質的にはこの傑人が担っており、人界諸族の具体的な運営も事実上彼らが握っていた。
そのため、彼らとの人脈を築くための根回しに臣民が躍起になるのは、当然の帰結だった。
だから、食事の席ひとつでも、いつの間にか人間関係が構築された。
同じ班だからと、傑人の家の子と一緒に座ろうとするガキ大将。
実技で相方になろうと、教官に賄賂を渡して根回しをする者。
また、試験結果を偽ることは重罪とされていたため、上級生や教官から過去問を得るための人脈を作ろうと、徒党を組む連中もいた。
そうした連中は大抵の場合、上級生や教官の前では仲良く振る舞いながら、姿が見えなくなれば悪口を言っていた。
――ガラヌスにとっては、何もかもが面倒だった。
教官や学生はことあるごとに、「人界を守りし大天国のための奉仕」を馬鹿の一つ覚えのように唱える。
その一方で、彼らは人生のほとんどを、「貢献点」を稼ぎ、平安地への移住権を得るために、あるいは「傑人」の当主になるために費やしていた。
彼らはその足の引っ張り合いさえ「あくまで大天国への奉仕なのだ」と捉え、低い貢献点によって辺境へ左遷される者を蔑んだ。
だが結局のところ、ガラヌスには、人々が大天国にとって都合のよい方向へ誘導されているようにしか見えなかった。
だから、ガラヌスと同級生との関係も、必要なことを話し、必要な訓練をこなし、それが終われば一人になる――ただそれだけのものだった。
また、ガラヌスは休日になると、一人で校舎の裏手にある斜面や、訓練場から少し離れた草地へ行き、寝転がって時間を潰していた。
草の上に腰を下ろし、そのまま背中を倒すと、あとは空を眺めた。
雲が流れていくのを見ているだけで、二刻ほど過ぎることもあった。
天上を流れる雲は、人々の意の外側で、人々のことなど気にも留めずに流れているように見えた。
それがガラヌスにとっては心地よかった。
ある時には、天上に住むといわれるグウェル神族ですら、この雲の流れには干渉していないのではないかと思い、雲に憧れた。
とにもかくにも、ガラヌスにとってその時間だけは、少なくとも点呼も訓練も、誰が誰を好いているだの嫌っているだのという話も聞かずに済んだのだった。
――しかし、養父からは、そんなガラヌスの気持ちとは無関係に手紙が届き続けた。
訓練はどうだ。
馬術は上達したか。
剣術では誰にも負けていないか。
教官には目を掛けてもらえているか。
同輩とうまくやっているか。
こちらでは家族はうまくやっている。お前は家のことなど気にせず、大天国への忠誠を果たすのだ。
初めの頃こそガラヌスも返事を書いていたが、次第に面倒になっていった。
首席合格の知らせを受け取った日の、養父の真っ赤な笑顔も、次第に嫌な記憶として書き換えられていった。
結局、粗末な机の引き出しには、返事を書かないままの手紙が何通も溜まった。
それでも何通か届くと、さすがにまずいと思って紙を取り出し、
『こちらは上々です。訓練にも問題ありません』
というようなことだけを書いた。
実際、学生生活には嫌気が差していたが、特に大きな問題があったわけではなかった。




