15. エイリシアとの再開
結局、ガラヌスはあれから演劇が終わるまで席を離れず、すべての演目を見届けることになった。
すべての演目が終わる頃には、太陽もすっかり西へ傾いており、神殿に並ぶ石柱からは長い影が伸びていた。
最後の役者たちが舞台から退場すると、観客たちも次々と席を立ち、広場には大道具や衣装を片付ける女学生たちや神殿関係者、観客の姿が目立つようになった。
ガラヌスも長椅子から立ち上がったが、エイリシアから待っているように言われていたため、ひとまず近くにいた関係者に声をかけ、片付けを手伝うことにした。
もっとも、部外者であるガラヌスに任せられる仕事はそれほど多くなく、主に観客席の長椅子を運んだり、舞台の周囲に置かれた道具を片付けたりする程度だったが、それでも彼らと一緒に働いているうちに、随分と時間が過ぎていった。
――それから、しばらく経った頃だった。
ガラヌスが長椅子を運び終え、次の仕事を探していると、不意に背後から肩を軽く叩かれた。
振り返ると、そこにはエイリシアが立っていた。
すでに舞台衣装から、白い襟付きの上衣に濃紺ズボンを合わせた学生服へ着替えており、胸元には学校の紋章をあしらった小さな徽章が留められていた。
どうやら彼女も先ほどまで片付けを手伝っていたらしく、片手には畳まれた布を抱えていた。
ガラヌスが何か言おうとすると、エイリシアは笑顔で小さく手招きし、広場の端へ向かって歩き出した。
ガラヌスもその後を追い、二人は片付けを続ける学生たちの間を抜けて、舞台から少し離れた路地の影へと移動した。
*
「久しぶりだね。えーっと……ガラヌスくん、だったよね?」
「ああ、合ってるよ。......久しぶりだな、エイリシア」
エイリシアは名前が合っていたことにほっとしたように、小さく笑った。
「ふふっ。まさかこんなところで会うなんて思ってなかったよ。それにしても、どうしてここにいるの? たまたま演劇を見に寄ったの?」
「ああ、いや」
ガラヌスは何と答えようかと少し迷ったが、すぐに口を開いた。
「……前に世話になったから。だから、その礼を言いたくてさ」
「えぇ、そんなこと別にいいのに。あの時は私も助けてもらったんだし、お礼ならもう十分言ってもらったよ」
「……いや、本当にあの時は嬉しかったよ」
ガラヌスがそう言うと、エイリシアは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ふふっ。そっか。でも、わざわざ来てくれたんだね。ありがとう」
エイリシアはそう言って笑うと、舞台の方へ一度目を向けた。
学生たちはまだ片付けを続けていたが、観客の大部分はすでに帰ってしまっており、広場は先ほどまでに比べて随分と静かになっていた。
「そういえば、あれから学校はどう? あの出来事の後とか、大丈夫だった?」
「ああ、あの後は特に何かされたわけでもなかったし、それからもぼちぼちやってるよ。今日も外出権を使って来たんだ」
「へぇ、そうなの? でも、軍学生の外出権って、確か優等生にしか認められないんじゃなかったっけ?」
「いや、確かに軍学校の外出権は他の学部に比べれば厳しいけど、それでも第二級になればそこそこの自由は認められるんだ」
「へぇー。じゃあ、もう第二級なんだ?」
「ああ。まあ、第一級になれば、もっと自由になるようなんだけどな」
「そうなんだ。軍学校って、やっぱりいろいろ厳しいんだね」
「そうだな。でも、意外と慣れるものではあるよ」
それから二人は、しばらく互いの学校生活について話した。
エイリシアは軍学校の訓練や外出制度についていくつか質問し、ガラヌスも彼女の通う学校について聞いてみた。
どうやら演劇の準備は随分と前から始まっていたらしく、ここ最近は授業が終わってからも稽古や衣装の準備に追われていたという。
「――あ、そうだ。ガラヌスくん、今日の演劇はどうだった?」
エイリシアはふと思い出したようにそう尋ねると、少しばかり期待するような、それでいて不安そうな眼差しを向けてきた。
「今日の演劇?」
「うん。面白かった?」
「ああ、うーん……」
ガラヌスは少し考えてから答えた。
「……意外だった、かな」
「意外?」
エイリシアは不思議そうに首を傾げた。
「ああ。今回の演劇って、魔族や邪神の側に随分と焦点が当たってたじゃん?それに、全体的に暗い話が多くて、今まで見た演劇とはちょっと違った気がしたな」
「うん」
「それと、普通、魔族や邪神が出てくる演劇って、もっと分かりやすいというか、神々が映えるような場面ばっかりで。いかにも邪悪な連中が現れて、残虐なことをして、最後には神々に討ち滅ぼされるっていうような感じの。でも今回のは、そういうのとは違ってた気もするな……」
「違うって?」
「うーん、なんて言えばいいんだろうな。今回の邪神たちは、今までよりもずっと生々しかったというか……。もちろん、恐ろしい連中なのは変わらないんだけど、それでも、どこか人間臭いようにも感じた」
ガラヌスは少し考えてから続けた。
「今までの演劇だと、邪神たちはとにかく卑怯で残虐な連中って感じだったけど、今回はそれだけじゃないというか……。いや、確かに今回も裏切るばっかりで卑劣だったけど、でも、なんというか……うまく言えないけど……いつもより少し身近な存在に見えた、かな」
そこまで話したところで、ガラヌスはエイリシアの顔を見た。
少々否定的に聞こえたかもしれないと思ったが、意外にもエイリシアは嬉しそうに顔をほころばせていた。
「そう!そうなの!」
「……え?」
「実はね、私も今回は、そういう演劇にしたかったんだ」
エイリシアはそう言うと、少し身を乗り出した。
「今回の演劇は私も脚本を決める話し合いに参加できたんだけど、今までみたいに、魔族や邪神がただ恐ろしいことをして、それを神々が退治する、もしくは悲劇的に敗北しちゃうっていうありきたりな話とは、少し違うものにしたかったの」
「へぇ、そうだったのか」
「うん。もちろん、昔からある演劇にも面白いものはたくさんあるよ。でも、魔族とか邪神って、いつも決まって卑しくて残虐で、何をするのも悪意から、っていう描かれ方をするでしょう?」
「ああ、まあ、そうだな」
「でもね、私は、実際にはそんなに単純なものじゃないんじゃないかなって思うの」
「というと?」
「えっとね……私も本物の魔族や邪神を見たことがあるわけじゃないし、実際のところは分からないんだけど」
エイリシアはそう前置きすると、少し考えながら続けた。
「いろいろな噂や昔の話を聞いていると、魔族や邪神も、私たちとそんなに変わらないんじゃないかなって思うことがあるの。もちろん、力は全然違うんだろうし、凶暴なのはそうかもしれないけど、でも、考えていることとか、欲しがるものとか、そういうところはね」
「......俺たちと変わらない?」
「うん。例えば、人間だって、お金が欲しかったり、偉くなりたかったり、誰かに認められたかったりするでしょう?それに、自分の所有するものを奪われたくないとか、脅威になり得る相手、嫌いな相手をやっつけたいとか、そういうことを考える人だっているよね」
「ああ、まあ……そうだな」
「だったら、魔族や邪神だって、案外そういうものなのかもしれないなって。別に、最初から私たちを苦しめることだけを考えているんじゃなくて、自分たちの望みや欲望があって、それを叶えようとした結果、私たちと争うことになるのかもしれないでしょう?」
エイリシアはそこで一度言葉を区切った。
「でも、相手が邪神なら、実際には、私たちにとってどうしようもないことが多く起こるとは思うの。たとえ彼らにとっては大したことじゃなくても、私たちにとっては、国が滅んだり、大勢の人が死んだりするようなことになるかもしれない」
「……なるほど」
「だからね、ただ邪悪で恐ろしい存在として描くんじゃなくて、もっと私たちにも理解できるような欲望を持っていて、それなのに、私たちとは比べものにならない力を持っている。そんな相手が、自分の望みのために近づいてくるときこそ、ずっと恐ろしいんじゃないかなって思ったの」
そこまで話すと、エイリシアは少し照れくさそうに笑った。
「……まあ、そんなことを考えて、今回はちょっと違った演劇にしてみたかったんだ。幸い、今回指導してくれた先生が結構柔軟な人でね。もちろん、全部が私の思い通りになったわけじゃないけど、それでもいろいろと意見を取り入れてもらえたんだ」
「へぇ、そんなことがあったんだな......それに、邪神たちも俺たちと同じように欲望を持っているかもしれないなんて、俺は考えたこともなかったよ」
ガラヌスは思わずそう答えた。
実際、これまで魔族や邪神について、そんなふうに語る人には会ったことがなかった。
軍学校で教えられる歴史でも、魔族や邪神は神々に敵対する存在として扱われており、ガラヌスもそれについては特に疑問を抱いたことはなかった。
「......へへっ、そっか」
エイリシアはそう答えて微かに笑ったが、その表情はどこか残念そうにも見えた。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて。俺はそれ、良いと思うよ」
「え?」
「今までそんなことを言う人がいなかったから、ちょっと驚いただけでさ。......それが本当なのかどうかは俺には分からないけど、でも少なくとも、随分と面白い考え方だと思うよ」
ガラヌスはそう言ってから、少し考えた。
「確かに、俺たちだって、別に何か悪いことをしよう、人を貶めてやろうと思って争ってるわけじゃないこともある。単に自分の欲しいものがあったり、叶えたいものがあったりして、そのために他人と争うことの方が多いだろう。もしかしたらあの大邪神イブリースだって、名前とは裏腹に、別に俺達に醜辱を齎そうとしてるわけじゃないかもしれない、なんてさ」
「う、うん」
「そう考えれば、魔族や邪神だって、自分たちでは当たり前のことをしているつもりなのかもしれない。それが俺たちにとっては、とんでもなく恐ろしいことになるっていうのは……うん、確かにありそうな話だ」
エイリシアは小さく頷いた。
「それに、そういう相手だったら、単に残虐なだけの敵よりも、むしろ厄介なこともあるかもしれないな。何を考えているのか全く分からないわけじゃないのに、だからといって、こっちの都合を聞いてくれるとも限らないってね。学校にはそういう教官や上級生がわんさかいるよ。」
「......ふふっ。そうだね」
「少なくとも、今日の演劇を見て、エイリシアの話を聞いて......そういう俺が今まで考えてもみなかったことに、確かに気がつけた気がするよ」
エイリシアは少しの間ガラヌスの顔を見ていたが、やがて満足そうに微笑んだ。
「……そっか。うん、ありがとう、ガラヌス」
「いや、例を言われるほどじゃないけど......でも、まあ、どういたしまして?」
ガラヌスも笑って答えた。




