13. 仮面の少女
槍神族の女神ヴェローナを演じる彼女は、周囲を確かめるように左右を見回すと、舞台の奥から現れた別の役者を手招きした。
手招きに応じて現れたのは、龍の頭を模した仮面を被り、黒い鱗を描いた魔族の上着に、長い外套を纏った男装の女学生だった。
彼女は女神の前へ進み出ると片膝をつき、恭しく頭を垂れた。
「かの女神は、闇の始祖神に仕えし一人の龍の魔族――ディアボロスを密かに誘い、神殺しの魔剣『レヴァーテイン』をその手に授けた」
女神が手にしていた布包みを解くと、その中から銀色に塗られた長剣が現れた。
ディアボロスを演じる女学生は、差し出された剣を両手で受け取ると、片膝をついたまま刃を目の前へ掲げ、しばらくその刀身を眺めた。
すると、ヴェローナはその龍の魔族の耳元へ顔を寄せて何事かを囁く仕草をし、舞台の中央に置かれた玉座を指さした。
ディアボロスはそれに応じるように頷いたが、女神が身体を離そうとしたその時、突然立ち上がって剣を振り抜き、ヴェローナへ斬りかかった。
「この魔剣、まずは貴様の命で試してくれようか!」
女神は慌てて身を引いてその一撃をかわすと、ディアボロスを警戒するように何度か振り返りながら、足早に舞台の奥へ退いていった。
「ふん、逃げたか……。まあよい。あの闇炎神さえ死せば、もはや我に敵う者などおらぬのだからな!」
ディアボロスは逃げ去った女神の背中に向かってそう吐き捨てると、長剣を外套の陰へ隠し、何事もなかったかのように玉座へ向かって歩き出した。
「されど、闇炎神。己が命を狙う刃が神々の手にあらずして、最も身近なる僕の懐に潜むことを知らず。ただ己が威光に酔いしれていた」
舞台中央の玉座では、闇炎神が杯を片手に、酔ったように上体を揺らしていた。
「ハハハハ!見よ、我が治めしこの神国を! もはや我に逆らう者など、どこにもおらぬわ!」
闇炎神は高らかに笑うと、手にしていた杯を掲げ、残っていた中身を飲み干す仕草をした。
そこへディアボロスが姿を現すと、彼はその姿を認めて片手を上げ、いつものように臣下を迎え入れた。
「おお、ディアボロスか!よくぞ参った! さあ、もっと近う寄れ!」
ディアボロスは恭しく頭を垂れ、玉座の前まで進み出ると、いつものように片膝をつこうとした。
「――されど、その時こそ、闇炎神の命運は尽きたり!」
語り手が声を張り上げた瞬間、ディアボロスは外套の内側から素早く魔剣を抜き放ち、立ち上がると同時に主君の胸へ突き出した。
――その瞬間、舞台の脇から太鼓が大きく打ち鳴らされる。
闇炎神役の学生は、胸に突きつけられた剣を両手で掴むと、苦しそうな声を上げながら大きく仰け反った。
「あっ……がぁっ……おのれ……ディアボロス! 我が恩を忘れ、このような……!許さぬ……決して、許さぬぞ……!」
ヴァルダロスはなおも何かを叫ぼうとしたが、やがてその声も途切れ、片手をディアボロスへ伸ばしたまま玉座から滑り落ちると、床の上へ倒れ込んだ。
「かくして、幾多の神々を打ち破り、万物の頂に君臨せし闇炎神は、己が僕の手によって、その命を絶たれたり! ああ、いかなる神とて、死を免るるものにはあらず!」
ディアボロスは倒れた主君をしばらく見下ろしていたが、やがてその胸から剣を引き抜くと、刃を頭上へ高く掲げ、勝利を告げる大きな雄叫びを上げた。
「……されど、神は滅びても、その闇炎の力までもが滅びるにはあらざりき」
そして、ディアボロスは剣を玉座の脇へ置くと、倒れたヴァルダロスの胸元を乱暴に掴んだ。
「ディアボロスは、亡き主の遺せし『原初の闇炎』を、己が身に取り込まんとした!」
語り手の声に合わせ、ディアボロスはヴァルダロスの衣装の内側に手を突っ込むと、そこに隠されていた、黒地に赤い炎の紋様を描いた一枚の布を勢いよく引きずり出した。
そして、両手でその布を広げ、頭上へ高く掲げると、それを自分の胸元へ引き寄せ、身体へ巻きつけた。
――同時に、舞台の左右から赤い布を携えた学生たちが現れ、彼の周囲を回りながら赤黒い炎の文様が描かれた布を大きく揺らし始めた。
「原初の闇炎はその身に宿り、かつて龍の魔族でありしディアボロスは、ついに神々の列へと昇り詰めたり!」
舞台の脇では太鼓が低く打ち鳴らされ始め、その間隔が次第に短くなるにつれて、周囲を回る学生たちも赤黒い布を一層激しく揺らし始めた。
さらに、低く唸るような笛の音がこれに重なり、炎を模した布が何度もディアボロスの周囲を行き交ううちに、ついには彼の姿を完全に覆い隠した。
そして、太鼓が三度続けて大きく打ち鳴らされると、彼を覆っていた布が一斉に左右へ引かれ、その下から、金色の装飾を施した深紅の外套を肩から垂らし、頭には大きな金色の冠を戴いたディアボロスが、両腕を広げて姿を現した。
先ほどまで被っていた龍の仮面は取り払われていた。
黒い上着の上には金色の胸飾りが取り付けられており、ヴァルダロスから奪い取った原初の闇炎を模した布が、その胸元から腰にかけて大きく垂れ下がっていた。
「かくして、かつて闇の始祖神に仕えし龍の魔族は、獄炎の大神ディアボロスとなり、新たなる闇炎の神帝の玉座に就いた」
語り手が言い終えると、ディアボロスは玉座の脇に置いていた剣を拾い上げ、頭上へ高く掲げながら歩み寄ると、かつての主君と同じ場所へ腰を下ろした。
「聞け、我が眷属たちよ!今日より、この神国を統べるは我、ディアボロスである! 皆の者、我が前に跪け!」
その命令に応じて周囲に集まった魔族たちが一斉に跪くと、太鼓の重い拍子に低く長い笛の音が重なる荘重な演奏が始まり、舞台の左右に掲げられていた黒い旗も、赤い飾りの付いたものへと取り替えられていった。
――そんな舞台上の様子を、ガラヌスも他の観客たちに混じって眺めていた。
もっとも、彼の関心はもっぱら舞台に登場する役者たちに向けられていて、新たな学生が現れるたびに、その中にエイリシアがいないかと顔を確かめていた。
しかし、演劇が始まってから随分と時間が経っているというのに、それらしい姿は一向に見当たらなかった。
……本当に、今日出るんだろうか。
そんな疑問が頭をよぎったが、ガラヌスはすぐに、少しばかり焦りすぎているのではないかと思い直した。
そもそも、演劇はまだ途中なのだから、今までの場面に彼女が出てこなかったとしても、別におかしなことではない。あの女子学生が嘘をついたとも思えないし、もしかすると、エイリシアが出演するのはもっと後の場面なのかもしれなかった。
それに、彼女が舞台に立つことばかり考えていたが、実際には裏方の仕事を担当していて、観客の前には姿を見せないということもあり得る。
そう考えると、これ以上気を揉んでも仕方がないように思えてきた。
ガラヌスは一度舞台から視線を外すと、椅子に座り直して、膝の上に置いていた両手を組んだ。
――そういえば、エイリシアを見つけたとして、俺はそれからどうするつもりだったんだ。
不意にそんな疑問が頭に浮かび、ガラヌスは自分でも少し戸惑った。
今まで、ガラヌスは彼女と会うことばかり考えていて、演劇が終わった後、あるいは演目の合間に彼女と会えたとして、その時に何を話すのかを、ほとんど具体的に考えていなかった。
第一、わざわざ何か月もかけて彼女が出演する演劇を探し、軍学校からここまでやって来たことを知られれば、彼女はどう思うだろうか。
それに、実際に会えたとして、懲罰房での出来事について改めて礼を言うべきなのか、それとも何事もなかったように、久しぶりだと声をかければいいのか。
そもそも、あれから半年以上も経っているのだから、彼女が自分のことを覚えているかどうかさえ分からなかった。
ガラヌスはしばらくそんなことを考えていたが、結局、どう話しかければよいのか思いつかないまま、小さくため息を吐いた。
その間に舞台では演奏が収まり、語り手が観客へ向かって、再び朗誦を始めていた。
「……されど、その神威、かつての始祖神には遠く及ばず。ゆえに、新たなる神帝ディアボロスは戦をしばし収め、その力を養うこととした」
その言葉に合わせて、舞台の左右から黒や灰色の衣装を纏った臣下たちが現れ、中央の玉座に座るディアボロスの前へ、一人ずつ進み出ていった。
ガラヌスも何気なくそちらへ目を向けたが、その列の中に、淡い金色の髪の女学生が一人いることに気がついた。
――大きな灰色の仮面の両脇からは、金髪の間を通って細長い耳が左右へ大きく突き出しており、耳長人であることが伺えた。
ガラヌスは思わず椅子に座ったまま少し身を前へ乗り出し、目を凝らしてみた。
――その女学生は、他の役者たちと同じように黒い上着の上から灰色のローブを纏い、腰には黒い帯を締めていた。
顔を覆う仮面は額から顎の辺りまで伸びており、眉間の左右からは二本の短い角が突き出している。頬の部分には黒い線で幾何学的な模様が描かれていた。
彼女の淡い金髪は後ろで短く束ねられていたものの、その一部は肩の辺りまで垂れている。
他の役者たちと並んで歩く背丈や細身の身体つきに、ガラヌスはどこか見覚えがあった。
だが、そうはいっても大部分は仮面に隠されているうえに、目の部分に開けられた細い穴も暗く、そこから覗く瞳の色や顔立ちまでは確かめることができそうにない。
それでも、仮面の左右から伸びる細長い耳や、肩に垂れた淡い金髪、そして玉座へ向かって歩いていくその姿を見ているうちに、ガラヌスはますますその女学生から目を離せなくなっていた。




