12. 公開演劇の開幕
やがて正午が近づく頃、演劇の開始を知らせる鐘が鳴った。
広場には、それまで準備を手伝っていた市民たちに加えて、近所の住民や通りがかりの人々が少しずつ集まり始め、舞台の前に置かれた長椅子も、前の方から順に埋まっていった。
もっとも、集まった観客はせいぜい五十人ほどだった。
そもそも学生による公開演劇は、学んだことを市民に披露するためのものであり、専門の劇団が行う興行とは違って、演技や演奏の質もそれほど高いものではない。
台詞を忘れて立ち尽くす者もいれば、舞台道具を取り落としたり、演奏の拍子が合わなくなったりすることも珍しくなく、演目によっては途中で観客から笑い声が上がることさえある。
だからこそ気軽に見られるという面もあったのだろうが、わざわざ遠方から足を運んでまで鑑賞しようという人間はそう多くないのだろう。
ガラヌスは舞台の前の方へ座ろうとした。
だが、いざ演劇が始まるとなると、ここまでエイリシアを探してやって来たことが急に気恥ずかしくなり、結局、他の観客から少し離れた後列の長椅子へ腰を下ろした。
――今回の公開演劇は、古の神々の終末戦争時代を扱うようだった。
舞台の端に置かれた演目表には、いくつかの悲劇の名が順番に記されており、その最初には『闇炎神の死』と書かれていた。
ガラヌスにも聞き覚えのある演目だった。
大天国史の授業でも扱われる、古のハングニス神族の成立に関する物語。
初代の闇の始祖神ヴァルダロスが殺され、その後『原初の闇炎』を継いだ獄炎大神ディアボロスもまた、己の臣下に裏切られて滅びるという話だ。
なお今回は、珍しく一年生と二年生の下級生のみで一日を通して演劇を行うことになっているらしく、彼女らにとっては、今年度の学習の成果を披露する重要な機会でもあるようだった。
*
やがて、舞台の両脇に竪琴や笛を携えた学生たちが現れ、それぞれ所定の位置へ腰を下ろすと、竪琴の音に合わせて、笛によるゆったりとした前奏が始まった。
その演奏に合わせて、舞台の奥を隠していた二枚の布幕が左右へ引かれ、中央に据えられた大きな玉座が姿を現した。
玉座は数段高くなった木製の台の上に置かれており、背もたれから肘掛けにかけて赤い布が張られ、その表面には金色の紋様が描かれていた。
両脇には白地に金の縁取りを施した旗が立てられ、背後には神殿を模した柱と壁面が描かれた大きな板が並べられている。
そして、その玉座には、白い長衣の上から紫色の外套を纏い、頭に金色の冠を戴いた一人の女学生が腰を下ろしていた。
彼女は光の始祖神を演じているらしく、右手には先端に太陽を模した金色の円盤を取り付けた長い杖を持ち、左手を玉座の肘掛けに置いて、正面へ顔を向けていた。
やがて前奏が終わると、舞台の端から巻物を携えた一人の女子学生が進み出て、観客へ向かって朗々と語り始めた。
「終末の大戦の迫りし頃、神々の治めし神威大天国には、すでに尊卑の階梯あり。その頂には、完全なる神力を有する神々が座し、これに次ぐは、神に近き力を授かりし神使族。その下には、数知れぬ人民諸族が暮らす」
その声に続いて、舞台の両脇から白い長衣に赤い外套を羽織った神々の役者たちが現れた。
彼女たちはそれぞれ槍や剣を携え、中央の玉座に座る光の始祖神へ一礼すると、その左右に分かれて並んでいった。
続いて、銀色の胸飾りや腕輪を身に着け、背には小さな翼を模した装飾を取り付けた神使族役の学生たちが現れる。
彼女たちは玉座の前へ進み出ると、その場に跪いて頭を垂れ、さらにその手前には、灰色や褐色の粗末な衣装を着た人民諸族の役者たちが並んだ。
「神々はその力を惜しまず、血を分けし者、忠を尽くす者、神使、さらには末の民に至るまで、広く神力を分かち与えた」
その朗誦に合わせ、レウカリアが玉座から立ち上がり、手にしていた杖を傍らの神々へ向けた。
すると、神々はそれを合図に一人ずつ玉座の前へ進み出て、跪いている神使族の頭上に手をかざした。
神使族たちはしばらく頭を垂れていたが、やがて両手を胸の前に重ねて立ち上がり、今度は手前に控えていた人民諸族のもとへと歩み寄る。
そして、神々から授かった神力を分け与えるように、跪く人々の頭上へ順々に手をかざしていく。
笛の旋律に合わせて、神々から神使へ、神使から人民へと神力が分け与えられていく様子が、舞台の上で演じられていった。
「されど、いかに神々の恩恵を受けようとも、か弱き人の身にて、魔族の軍勢に抗うことは叶わず」
それまで穏やかに続いていた笛の音が途切れ、代わって、舞台の脇に置かれていた太鼓が低く打ち鳴らされた。
その音に合わせて、舞台の右手から、黒い胴衣に赤い帯を巻き、獣の牙や角を模した仮面を被った――魔族役の学生たちが現れた。
彼女たちは、黒く塗られた槍や剣を手に、太鼓の音に合わせて足を踏み鳴らしながら、大天国の者たちへと迫っていく。
さらに、その後ろからは、灰色の長衣を纏い、顔に白い仮面を着けた不死族たちが続いた。
その仮面には黒く窪んだ眼窩や剥き出しの歯が描かれており、彼女たちは両腕をだらりと垂らし、足を引きずるような足取りで、魔族たちの後ろをゆっくりと進んでいった。
神使族を演じる学生たちは人民を背後へ下がらせると、自らは前へ進み出て剣や槍を構える。
そして、太鼓の音が速まると同時に、両軍の役者たちは舞台の中央で武器を打ち合わせ始めた。
木製の剣や槍がぶつかる音が幾度も響き、神使族たちは魔族の攻撃を受け止めながら応戦したものの、やがて一人、また一人と倒されていく。
その間にも不死族たちは神使族の脇をすり抜け、逃げ遅れた人民へと近づいていった。
さらに、人民を守ろうと進み出た神々の一人が孤立したとき、数人の魔族に取り囲まれ、槍で突かれるとその場に倒れ込んだ。
「神々の庇護を失いし人民。彼らはときに闇炎の贄とされ、あるいは魔族、不死族へと姿を変えられ、またあるいは奴隷として仕えることを強いられた」
やがて最後の神使族が倒れると、魔族たちは残された人々を舞台の端へと追い立て、捕らえられた者たちは次々と膝をつかされて、両手を縄で縛られていった。
そのうちの何人かは、舞台の隅に設けられた小さな祭壇の前へ連れていかれ、黒い布を掛けられると、その下で身体をよじらせながら倒れ込んだ。
また、別の者たちは頭や肩へ黒い粉を振りかけられると、衣装の内側から獣の顔を模した仮面を取り出して顔へ着け、唸り声を上げながら、先ほどまで自分たちを襲っていた魔族や不死族の列へ加わっていく。
舞台の中央に残された人々も次々と連れ去られ、最後には、黒い衣装を纏った魔族と不死族たちだけが残された。
「しかるに戦のさなか、同胞を失いたる憤りに堪えず、太陽神ヘリオスを始めとする幾柱かの神々は、始祖神に告ぐることなく、南へ馳せ下り、闇炎の始祖神を討たんとした」
すると、舞台の左手から、先ほどまでレウカリアの玉座の傍らに控えていた神々の役者たちが現れた。
彼女たちは白い長衣の上に銀色の胸当てを着け、さらにその肩からは、神々の身分を示す赤い外套を垂らしていた。
そのうちの一人が武器を高く掲げると、他の神々もそれに応じるように剣を掲げ、やがて一団となって舞台の右手へと進んでいった。
「同胞の仇、闇炎神を討つは、始祖神の子であるこの私、太陽神ヘリオスよ!」
しかし、その先には、先ほどまで人民を襲っていた魔族たちがすでに待ち構えていた。
神々は一斉に武器を構えて魔族たちへ突進し、たちまち舞台の中央で木製の剣や槍が激しく打ち合わされる。
神々は幾人もの魔族を倒しながら次第にその奥へと進み、ついには敵の隊列を押し崩してゆく。
「一方の闇炎の始祖神。かの神は永きにわたり、その力を他に分かつことなく、ひたすら己が身に蓄え続けていた」
その言葉とともに、太鼓が大きく三度鳴らされた。
舞台の奥から現れたのは、赤黒い大きな外套を纏い、曲がった二本の角を持つ仮面を着けた――闇炎神ヴァルダロスの役者だった。
彼女は他の者たちよりも一回り長い黒い大斧を手にしており、その刃には赤く染められていた。
ヴァルダロスがゆっくりと舞台の中央へ進むと、先ほどまで戦っていた魔族たちは左右に道を開け、一斉に片膝をついて頭を垂れる。
それに対し、神々は剣や槍を構え直すと、互いに顔を見合わせ、ヴァルダロスへ向かって一斉に襲いかかる。
「闇炎神!我らが同胞を殺めた報い、今こそ受けよ!」
「愚かな!その程度の兵を率いて、この我を討とうというのか!」
――しかし、ヴァルダロスが手にした大斧を大きく振ると、正面から迫っていた神々はその場で後ろへ跳ね退き、別の方向から斬りかかった神々も、次々と斧の一撃を受けて倒れていった。
「これが光の神力か!?なんと貧弱な!」
最後に残った神が槍を構え、ヴァルダロスの胸元へ突き出したが、ヴァルダロスはその穂先を片手で受け止める。
「レウカリアの子らよ、聞くがよい。我に刃を向けた報いは、貴様らの神国を滅ぼすことで償わせてくれよう!」
そして、もう一方の手で斧を振り下ろし、相手を床へ倒した。
すべての神々が倒れると、ヴァルダロスは大斧を高く掲げた。
「――嗚呼、計画は成らず。かの神々は闇炎神の手に斃れぬ。ここに至りて、二神族の間に残れる和も、ついに尽きたり。かくして、神々の世を焼き尽くす終末の大戦始まれり!」
語り手はその最期を嘆くように声を震わせ、最後の一節を高く張り上げた。
それに応じるように、舞台の両脇から太鼓と笛が一斉に鳴り始め、先ほどまでの演奏とは異なる、速く激しい旋律が広場へ響き渡った。
倒れた神々は魔族たちによって舞台の外へ運び出され、入れ替わるようにして、黒い旗を掲げた魔族や不死族たちが次々と現れる。
彼らは闇炎神の両脇に並ぶと、一斉に槍を叫んで高く突き上げた。
「「闇炎神に栄光あれ!」」
「かくして、闇炎神の率いる軍勢は、神々の治めし神国へと攻め入り、その強大なる神威の前に、幾柱もの神々が相次いで敗れた」
舞台の奥に立てられていた城壁の模型の前、そこに、再び白い長衣に赤い外套を纏った神々が現れると、彼らは押し寄せる魔族の軍勢を迎え撃った。
弓を構えた神使族や人民たちも並び立ち、下では剣や槍を携えた神々が敵の侵入を防ごうとしていたが、魔族たちは倒されても後ろから次々と現れ、黒い旗を押し立てながら城壁へ迫っていった。
さらに、今度は、その軍勢の後方から、ヴァルダロス自身が大斧を肩に担いで現れた。
彼女が城壁へ向かって進み始めると、前方の魔族たちは左右へ道を開け、ヴァルダロスはその間を抜けて軍勢の先頭に立った。
ヴァルダロスが手にした大斧を振るうたびに、城壁の前に立ちはだかる神々は次々と倒されていく。
「貧弱!柔弱!薄弱っ!!」
正面から槍を突き出した神は、斧の柄で穂先を払いのけられると、続く一撃を受けて後ろへ倒れ込んだ。さらに闇炎神の左右から斬りかかった神々も、大斧を横薙ぎに振るわれて相次いで床へ倒れていった。
やがて、最後まで城門を守っていた神が大斧の一撃を受けて倒れると、魔族たちは城門の模型を押し開き、一斉に舞台の奥へなだれ込んだ。
「光の神国は一つ、また一つと闇の軍勢に呑み込まれ、かつて神々の栄えし地にも、原初の闇炎が燃え盛るに至った!」
その朗誦に合わせ、舞台の背後では城壁を描いた板が乱暴に取り外され、その跡へ黒地に赤い紋様を描いた旗が掲げられた。
さらに、舞台の両脇から赤や黒の長い布を携えた学生たちが現れ、布を大きく波打たせながら、倒れた神々や城壁の跡を覆っていく。
かつて神々が治めていた神国は、すっかり闇炎の支配する地へと変わっていく様子が描かれていった。
「かくて闇炎神は、その威をますます天下に轟かせ、万物をその掌中に収めんとす」
ヴァルダロスは玉座の前へ進み出て、周囲の魔族たちが一斉に跪く中、ゆっくりと玉座へ腰を下ろした。
笛と太鼓による短い演奏が響き、黒い旗を掲げた学生たちが玉座の左右へ並ぶ。
しばらくして演奏が静まると、舞台の端に立つ語り手が、今度は少し声を落として語り始めた。
「されど、万物を屈服せしめる力とて、おごれる神も久しからず。その命運を変えしは、光神族に嫁ぎし槍神族の女神、計略を司りしヴェローナなり」
その言葉に合わせ、舞台の左手から、白い長衣に青い肩掛けを纏った耳長人の――しかし、エイリシアではない女学生が現れた。
――まだエイリシアは出てこないのか。
計略の女神ヴェローナは、耳長人を生み出したグウェル神族の系譜に連なる女神だ。
ガラヌスは、このヴェローナをエイリシアが演じるのではないかと期待していたが、どうやら違ったらしい。
ガラヌスは小さく息を吐くと、次に現れる役者たちの中に彼女の姿がないかと、舞台の脇へ目を向けた。
しかし、舞台の両脇には大きな布幕が吊るされており、その向こうで出番を待つ学生たちの姿までは見えなかった。
仕方なく舞台へ視線を戻したものの、正直なところ、ガラヌスはすでに演劇に飽き始めていた。
そもそも、演じられているのは大天国史の授業で何度も教えられてきた物語であり、登場する神々の名前はもちろん、どのような戦いが起こり、誰が殺されるのかということまで、すでに知っている。
それでも、エイリシアがいつ姿を現すのか分からない以上、途中で席を立つわけにもいかなかった。




