11. チュール神殿にて
老人からエイリシアについての話を聞いてから、さらに数か月が過ぎた。
ガラヌスはその間も、外出が許される休日にはスカリウム市へ出て、神殿の掲示や演劇目の学生たちの動向を調べ続けていた。
だが、学校側が男子学生と女子学生の休日をなるべく重ならないようにしていたこともあり、肝心のエイリシアがいつ舞台に立つのかについては、なかなか確かな情報を得られずにいた。
もちろん、女子学生と接触する機会がまったくないわけではなかった。
演劇目の学生たちが神殿で発表を行う日には、会場の周辺を歩き回り、話しかける機会がないかと探していた。
しかし、女子学生たちの傍には教官が付き添っていることも多く、男子軍学生が不用意に近づけば、余計な疑いを招きかねなかった。まして、何か問題になって外出権を取り消されでもすれば、これまでの努力が水の泡になってしまう。
そのためガラヌスは、教官や学生の集団から離れた女子学生を見かけても、周囲の様子を確かめてからでなければ、中々声をかけることができなかった。
しかし、そんなある日のこと。
いつものように演劇が催されている神殿の周辺を歩いていたガラヌスは、何かの用事で学生たちの集団から離れ、一人で荷物を運んでいる女子学生に無事声をかけることができた。
最初は、二年生を中心とする次回の公開演劇について、どのような演目が予定されているのか、また開催場所がどこになるのかを尋ねていたのだが、話が進むうちに、駄目元でエイリシアの名前を出してみた。
「エイリシアちゃん? あぁ、知ってるよ。耳長人の子でしょ?」
思いがけない返事にガラヌスは驚き、さらに彼女のことについて尋ねたところ、その女子学生は、エイリシアが次回の公開演劇に出演する予定であることを教えてくれた。
開催場所は忠誠の神チュールの神殿で、日程もすでに決まっているようだった。
ガラヌスは早速その日付を手帳へ書き留めると、以前から気になっていた、彼女がラギナリア・ベルガルダ家の養女であるという話についても尋ねてみた。
「うーん……別に普通な感じ、かな。あの子も自分から家のことを話したりしないし、周りもそんなに気にしてないよ。もちろん、最初は珍しがる子もいるみたいだけどね」
その返答は、ガラヌスにとって少し意外なものだった。
軍学校では家柄や成績が学生たちの間で度々話題になる。
ましてベルガルダ家ほどの名門であれば、その養女というだけでも周囲から特別な扱いを受けていても不思議ではないと思っていた。
しかし、どうやらエイリシアについては、家柄はそれほど重要なことでもないらしかった。
もっとも、彼女自身が家柄をひけらかすような人物でないのかもしれない、とガラヌスには何となく思えた。
ガラヌスは女子学生に礼を言って別れると、軍学校へ戻ってから、早速次の外出許可の日程を確認した。
そして、驚いたことに、次の公開演劇が行われる日は、ちょうど自分にも外出が認められる休日だった。
*
――公開演劇の当日となった。
ガラヌスは朝早くから軍学校を出発し、定期馬車を乗り継いでスカリウム市へ向かうと、午前中のうちに、今回の開催場所である忠誠の大神チュールの神殿へ到着した。
チュール神殿は、街路から数段高くなった石造りの基壇の上に建てられた、古いながらも立派な建物だった。
周囲には太い石柱が等間隔に並び、その上部には赤や青で彩色された装飾が施されている。
剣と盾を携えた大神チュールを中心に、その周囲をエルダードワーフ、ハイエルフ、ハイヒューマン、そして聖獣人などの神使族が取り囲む姿が彫られており、柱の間にも、それぞれの種族の戦士たちを模した石像が置かれていた。
巨大な青銅の扉で隔てられた神殿の奥には、大神チュールの神像を安置する内陣がある。
また、入口の両脇には、かつての戦役で功績を立てた軍人たちが奉納したという盾や武具が幾つも掲げられている。それらの中には、随分と古びたものもあれば、比較的新しく奉納されたと思われるものもあった。それらの下にある青銅の銘板には、奉納者の名前や戦役の名が刻まれている。
神殿の外壁や石柱には、長年の風雨によって表面が削れた箇所も多く見られるが、一方で、傷んだ石材を取り替えたり、彩色を塗り直したりした跡もあり、古い建物ながらも、現在まで大切に維持されてきたことがうかがえる。
――このチュール神殿は、スカリウム市の中でも、とりわけ古い歴史を持つ神殿の一つだった。
かつて東部大天国回復戦争の最前線に位置していたスカリウムでは、軍人たちが戦場へ赴く前に大天国への忠誠を誓い、また戦いから帰還した後に神々へ感謝を捧げる場所が必要とされていた。
そのため、忠誠と誓約を司るチュールを祀る神殿は、市街の形成された初期から存在しており、その後のスカリウムの発展に伴って、幾度となく増改築が行われてきたという。
チュール神殿は市街の中でも比較的古くから開かれた地区にあり、その周囲には軍人や退役兵のための住宅街、日用品を扱う商店、それに小規模な工房などが並んでいた。
――そんな歴史あるこの神殿も、この日は普段とは少し様子が違っていた。
神殿の正面には、祭礼や集会のために設けられた広い前庭があり、そこでは今回の公開演劇に向けて、仮設舞台の設営が進められていた。
舞台は木材を組み合わせて作られた簡素なもので、背後には大きな布幕が張られ、左右には役者が出入りするための仕切りが設けられている。
舞台の前には観客用の長椅子が何列か並べられていたが、まだその半分ほどは積み重ねられたままで、前庭の隅には運び込まれた大道具や衣装箱が置かれていた。
すでに学生たちが何人も集まり、舞台の上では二人の女子学生が木組みを固定し、別の学生たちは布幕を張ったり、衣装や小道具を運んだりしていた。
神殿の関係者と思われる人々もその中に混じっており、神官らしい服装をした鉄矮人の男が、舞台の前で何やら指示を出している。
また、学生でも神殿の関係者でもなさそうな市民たちも、長椅子を運んだり、舞台の周囲を掃いたりしている姿も見えた。
中には年老いた退役兵らしい男や、近所の商店で働いていると思われる若者の姿もあり、どうやら今回の公開演劇の準備にも、近隣の住民が手を貸しているらしかった。
――ガラヌスはそれらを眺めながら、まずはエイリシアの姿がないかと辺りを見回した。
舞台の脇には女子学生たちが何人か集まり、衣装の裾を縫い直したり、木箱から取り出した仮面を並べたりしている。
その中に、見覚えのある金髪と長い耳がないかと目を凝らしたが、遠目にはそれらしい人物は見当たらなかった。
まだ来ていないのだろうか。
もっとも、出演者全員が朝から舞台設営に参加するとも限らない。
演目ごとの負担や事前準備の進み具合によっては、衣装や道具の確認だけを行う学生もいるだろうし、そもそも舞台の設営は別の学生や神殿関係者が引き受けているのかもしれなかった。
ガラヌスは、ひとまず舞台の周辺を歩きながら、行き交う学生たちの中にエイリシアがいないか探してみることにしたが、やはりその姿は見つからなかった。
「おい、そこのお前!手が空いているなら、椅子を運ぶのを手伝ってくれや」
不意に声をかけてきたのは、白い祭服を纏った、いかめしい顔つきの神官だった。
ガラヌスは少し悩んだが、すぐに頷き、近くで作業をしていた学生とともに、広場の隅に積み重ねられた長椅子を運び始めた。
もともとスカリウムでは、こうした公共の行事に居合わせた人々が準備や片付けを手伝うことは珍しくない。ガラヌスにとっても、何もせずに広場を歩き回っているよりは、作業に加わっていた方が自然だった。
――それに、ここで手伝っていれば、準備に来ているエイリシアと顔を合わせる機会もあるかもしれない。
そう考えると、ガラヌスはいつも以上に手際よく椅子や木箱を運び、周囲の女学生たちに頼まれるまま、いくつかの作業を引き受けた。
しかし、演劇の準備が一段落するまでの間、結局エイリシアの姿を見つけることはできなかった。




