8. 人生の分岐路
ガラヌスは、二日間の懲罰房での懲罰を終えると、元の寮生活へ戻った。
エイリシアへ絡んでいた連中には、ガラヌスよりも長い懲罰房への収容が科されたそうだった。
また、そのうえ、もともと奴らは第二級に属していたそうだが、奴らは通常の査定において第三級へ落ちる基準に達しているかどうかにかかわらず、今回の件によって一律に第三級へ降格させられたという。
それからしばらくして連中も懲罰房から戻ってきたが、以前のようなガラヌスへの嫌がらせはなくなった。
おそらく、よほど教官から叱られたのだろう。
実際、今年の大管区設立記念祭は、これまでの祭りと比べても随分と大規模なものであったようだった。
今回のような騒動も、運営側がそうした規模の催しに慣れておらず、安全管理が十分でなかったために起きた面もあったのだろう。
連中は廊下などでガラヌスの姿を見つけると、むしろ向こうから進路を変えたり、目を合わせないようにして通り過ぎるようになった。
*
――それから、いくらかの日が過ぎた。
ガラヌスの脳裏には、菓子の包みと酒の小瓶を持って懲罰房へ現れたエイリシアの姿が、何度となく浮かぶようになった。
彼女は普段、どんな日々を暮らしているのだろう。
学校では何をして、誰と話し、普段はどんなことを考えているのだろう。
珍しい耳長人であることも、ラギナリア・ベルガルダ家の養子であることも印象に残った理由ではあった。
だが何より、あの夜に突然軍学校の懲罰房へ現れたことが、ガラヌスには強く残っていた。
短い間に知ったことだけでも、エイリシアはガラヌスにとって、謎の多い女子だった。
もっと彼女について知りたかった。
そして、もう一度会って話してみたかった。
――ガラヌスは、自分の現在の優等級と懲戒点を改めて確認した。
乱闘によって加算された懲戒点はやはり重く、このまま以前と同じように必要最低限の成績だけを取り続けていれば、次の査定で第四級へ落とされる可能性が高かった。
だが、今回ガラヌスが気にしたのは、それだけではなかった。
優等級ごとに認められる待遇について改めて確認していると、そこに記されていた外出権へ、以前よりもずっと強く惹きつけられた。
――これがあれば、エイリシアにもう一度会えるのだろうか。
もっとも、単に第二級へ上がり、休日の一部だけ外出を許されたとしても、それだけでは足りないかもしれない。
軍学校は、スカリウムの中心市街からかなり離れた場所に置かれている。しかも、軍学校の学生は普段、ほとんど校内だけで生活させられていた。
周囲には演習地や牧草地、軍用倉庫や厩舎が広がっており、市街へ向かうには、街道を往復する定期馬車を利用するのが普通だった。
そのため、まずは市街まで馬車でどれほど時間がかかり、限られた外出時間の中でどこまで動けるのかを知る必要があった。
だが、外出権を持たないガラヌス自身が市街へ出て確かめることはできない。
だから、校外の事情を知ろうと思えば、外出経験のある上級生から聞くか、食堂や共同室で交わされる話へ耳を傾ける方が早かった。
そこでガラヌスは、以前なら聞き流していた上級生たちの会話にも注意するようになった。
市街行きの馬車がいつ出るのか。
どれほど時間がかかるのか。
帰りの便はいつ頃なのか。
使えそうな話が聞こえてくると、覚えておき、あとで紙へ書き留めた。
そうして調べてみると、普通の外出権では時間がかなり限られることが分かってきた。
休日の朝、外出が許可される時刻になってすぐに学校を出て、最初の定期馬車へ乗ったとしても、市街へ着くまでには結構な時間がかかる。
帰りの便の時間も考えれば、実際にスカリウムの市内で過ごせるのは数刻ほどしかないだろう。
その間に、エイリシアが普段どこにいるのかを探し、さらに本人を見つけなければならないことを考えれば、これはあまり現実的ではなかった。
――ならば、いずれは第一級へ。
第一級になれば、通常の外出権だけでなく、夜まで市街に留まることのできる宿泊外出権も認められる。
そうなれば、エイリシアを探し、そして会って話すために使える時間も大きく増えるはずだった。
できることなら、それ以上――特等級へ行く必要があるだろう。
――そう決めると、ガラヌスはそれまで机や寝台の下の奥へ押し込んでいた教本を、久しぶりに全部引っ張り出した。
以前のガラヌスなら、試験に出そうな箇所にだけ印を付け、そこさえ覚えてしまえば、残りにはほとんど目を通さなかっただろう。
だが今度は、兵法史の教本を最初から読み直し、分からない箇所があれば余白へ印を付け、翌日の授業が終わった後に教官へ尋ねた。
騎兵運用について地形ごとの違いが出てくれば、単に書に書かれている通りに覚えるのではなく、演習地へ向かう途中に実際の斜面や道幅を見て、それが何を意味しているのかを自分なりに確かめ、理解を固めた。
実技訓練に対する態度も変わった。
剣術では、これまで一度できるようになればそれで終わりにしていた動きを、今度は教官に欠点を指摘されなくなるまで繰り返した。
槍術では突いた後の姿勢まで確認し、馬術では騎乗そのものだけでなく、馬へ乗る前の鞍や鐙の点検まで他の学生より早く済ませるようになった。
元々、ガラヌスは身体を動かすことに関しては人より覚えが早かった。
幼い頃から養父に馬や剣、槍を扱わされてきたこともあり、真面目に取り組み始めると、その差はすぐに表れた。
「お前、最近頑張ってるな。何かあったのか?」
ある日の槍術訓練の後、獣人の教官からそう言われた。
ガラヌスは槍を肩へ担ぎながら、
「いや、俺もそろそろ頑張らないといけないと思いまして……」
とだけ答えた。
「そう思っただけで毎回上位に入れるやつなんて、中々いないぞ。何かきっかけがあったんじゃないか?」
「……別に、何も」
ガラヌスは少し考えてから、
「それに、第四級には落ちたくないので」
と答えた。
実際、それは嘘でもなかった。
――それからガラヌスは、これまで面倒だと避けていた上級生たちとも話すようになった。
もっとも、誰彼構わず付き合ったわけではなかった。
馬術で成績の良い上級生がいれば、実技試験で教官がどこを見て評価しているのかを聞いた。
兵法の講義で何度も優秀答案に名前が載っている者には、食べずに取っておいた配給の飴菓子を持っていき、前年の試験ではどの分野が問われたのかを尋ねた。
食堂でも、以前なら一人で空いている席を探していたところを、話を聞きたい上級生を見つければ、自分から同じ長机へ座るようになった。
最初のうちは、そんな自分を可笑しく思った。
以前は、教官や上級生とのつながりを作ろうとする学生たちを見て、面倒なことをしていると思っていたはずだった。
それなのに、今では自分も同じように上級生へ近づき、試験や訓練について尋ねている。
――結局、俺も同じようなことしてるじゃないか。
そう思って、自嘲気味に笑ったこともあった。
だが、少なくとも今のガラヌスには、その遠い先に欲しいものがあった。
それに、実際に話してみれば、上級生のすべてが家柄や貢献点のことばかり考えているわけでもないことに気づいた。
中には単純に馬が好きで、騎士学科へ進めたことそのものを喜んでいる者もいれば、地図を眺めながら軍隊の配置を考えることを好む、学者肌の者もいた。
そして、そうした者たちは、一々おべっかを使わなくとも、彼ら自身が得意としていることや好きな分野について尋ねれば、ガラヌスが思っていた以上に色々なことを教えてくれた。
また、軍学校に関すること以外についても、ガラヌスは熱心に聞いた。
「スカリウムの総合学部って、どの辺りに集まってるんですか」
ある休日の昼、ガラヌスは以前、市街へ何度も外出したことがあるという第一級の上級生へ尋ねた。
「総合学部? うーん……あれはだいぶ学科にもよるぞ」
「人文科です」
「人文? いや、人文って言っても、あそこはかなり科目が多くてばらついてるけど」
「……演劇目です」
そこで、上級生が僅かに眉を上げた。
「えぇ~、お前、演劇なんか興味あったのか?」
「……いや、まぁ、ちょっとだけ」
「女目当てか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど」
ガラヌスが気まずそうに顔を背けると、上級生は面白がるような顔をした。
だが、それ以上は大して興味もないというように追及せず、そのまま食堂の机へ指を置いた。
そして、木目を街道に見立てながら、軍学校から市街までのおおよその位置関係を教えてくれた。
軍学校から馬車で西へ進めば、まず外郭の門を通り、その先に兵站倉庫や工房が並ぶ地区がある。
朝早く学校を出れば、その辺りを通る頃にもまだ朝の時間で、そこからさらに中心部へ進んでいくことになる。
中心市街へ着く頃には街も動き始めており、そこからさらに先へ進んだところに、総合学部の校舎がいくつも置かれているらしい。
――演劇目がよく使っている劇場と校舎についても、おおよその場所までは分かった。
ガラヌスはその日のうちに、聞いた内容を紙へ書き起こした。
だが、こうして調べていくうちに、やはり第二級の外出権だけでは厳しいだろうという考えは強くなっていった。
いずれは、第一級へ上がる必要があるだろう。
しかし、その第一級へ今期中に上がることも、おそらく難しい。
目指すとすれば、次の期の終わり頃になるだろう。
少なくとも今から半年以上は先であり、場合によっては一年以上かかるかもしれなかった。
――その頃には、エイリシアは俺のことなんて忘れてるんじゃないか。
そんな考えも浮かんだ。
そもそも、ガラヌスはエイリシアが何年生なのかすら聞かなかった。
見た目だけなら、自分よりも少し年上のようには見えた。
ガラヌス自身はつい最近十四歳になったばかりだったが、エイリシアは少なくとも十五歳よりは上、もしかすると十六歳くらいなのではないかと思っていた。
人間の女子であれば、家や学科、その時々の社会情勢によっては、卒業して間もなく結婚する者もいる。
もっとも、エイリシアは耳長人だった。
耳長人は人間より長命で、成長も遅いと聞いたことはあったが、それ以上の制度や慣習について、ガラヌスはほとんど何も知らなかった。
彼女があと何年学校にいるのかも、卒業した後にどうするのかも分からない。
――一年後、そしてそのもっと後には、まだ同じ場所にいるのだろうか。
そう考えると、少し不安になった。
それでもガラヌスは、「あと一度会って話せれば、それだけでも十分だ」と、半ば自分へ言い聞かせた。
実際、残りの半分では本当にそう思っていた。
もし次にエイリシアへ会えたなら、自分があの夜からその日までに、どんな景色を見て、どんなことをしてきたのかを話したい。
そして、自分が知らない間に、エイリシアがどんな景色を見て、どんな日々を過ごしていたのかも聞いてみたかった。
それだけでも、もう一度会う意味は十分にあるように思えた。
つい投稿してしまいました(^_^;)
でも、学生という身分上、更新頻度は高くしないつもりです




