第30話
ファズオラ南第一支部の支部長であるジェリフにとって、朝という時間は本来なら一日の仕事を始めるための準備をする時間でしかなかった。
支部長という立場に就いてからというもの、朝一番にギルドへ顔を出し、その日の依頼状況や冒険者の出入りを確認し、部下から上がってくる報告へ目を通すことが日課になっていたため、一般的な冒険者や職員が一日の始まりを迎える頃には、すでに彼の仕事は始まっている。
しかし、この日の朝だけは事情が違った。
そもそもジェリフは、前日の夜までギルドに詰めていたのである。
冒険者ギルドの支部長という仕事は、書類に判を押して部下へ指示を出していれば務まるようなものではない。冒険者同士の揉め事から依頼人との交渉、危険度の高い依頼の判断、他支部との情報交換、治安維持部隊や都市を管理する各組織との折衝まで、その仕事は多岐にわたる。忙しい時期には帰宅すること自体を諦め、ギルドの仮眠室で夜を明かすことも珍しくなかった。
だからこそ、この日は久しぶりに自宅へ戻り、ようやくまともに身体を休められると思っていた。
それが、まだ空が白み始めるよりも早い時間に、玄関のドアベルを何度も鳴らされる羽目になった。
最初は夢の中で何かが鳴っているのだと思った。
けれど、何度も何度も繰り返される音に意識を引き戻され、ジェリフは重い瞼を開いた。寝ぼけた頭で時計へ目を向ければ、針はまだ四時にも届いていない。
「……こんな朝早くにどうした? 何か問題でも起きたのか?」
寝室から出たジェリフが玄関を開けると、そこには息を切らしたギルド職員が立っていた。早朝の冷えた空気をものともせず走ってきたらしく、額には汗が浮かび、肩も大きく上下している。
「就寝中申し訳ありません! ですが、すぐにギルドへ来て頂けないでしょうか!」
その切迫した様子を見れば、ただ事ではないことくらいはジェリフにも分かった。
ジェリフは大きな溜息を吐きながらも、文句を言っている場合ではないと判断し、簡単に身支度を整えることにした。もともと自宅からギルドまでは徒歩で五分程度しか離れていない。職員がわざわざ迎えに来るほどの事態ならば、寝ぼけた頭を起こしながら歩いている間にも情報を集めておいた方がいい。
まだ夜の名残を残す通りを歩きながら、ジェリフは隣を歩く職員へ視線を向けた。
「簡潔に話せ」
「は、はい!」
職員が口を開くより早く、ジェリフの頭の中ではいくつもの可能性が浮かび始めていた。
まず考えられるのは、冒険者同士のいざこざだ。
それ自体は珍しいことではない。ファズオラの冒険者ギルドには、それこそ毎日のように腕に覚えのある連中が集まり、依頼の報酬や酒の席での些細な言い争いから、殴り合いへ発展することもある。ギルド内には冒険者同士の交流を促す意味もあって酒場まで併設されているため、酔った冒険者が問題を起こすことなど日常茶飯事だ。
大抵の場合は職員が間に入れば収まるし、それでも収まらない場合には副支部長のタレスが対応する。それこそ死人が出るほどの大事にでもならない限り、支部長であるジェリフ自身が夜中に叩き起こされることなど滅多にない。
ましてジェリフがギルドに泊まっているのであればともかく、今日は久しぶりに自宅へ戻っていたのだ。副支部長のタレスがいる以上、よほどの事態でなければわざわざ自分を呼びに来る必要はない。
(タレスでも対応出来ない事態が起こったってのか? まさか喧嘩で死人でも出たか?)
嫌な予感を覚えながら職員を急かす。
「あ、あの……レースガーデンのロッツさんが戻って来たんですが……」
「ロッツが?」
その名前を聞いた瞬間、ジェリフの脳裏に一つの依頼が浮かんだ。
スラム街のダンジョン。
つい最近、ファズオラの南側にあるスラム街で確認された異変である。
都市の内部に突然ダンジョンが発生するなど、前代未聞の極めて珍しい現象だった。普通ならば街中にダンジョンが発生した時点で都市そのものを揺るがす大事件として扱われるところだが、今回ばかりは場所が悪かった。
スラム街。
そこはファズオラの中でも特に治安が悪く、正式な住民登録を持たない者も多く住み着いている場所である。正規の住民として扱われない違法移民や、都市の表側からこぼれ落ちた者たちが集まるその場所で多少の被害が出たところで、表立って声を上げる者はほとんどいない。
ジェリフ自身、その事情を好ましいとは思っていなかったが、都市を運営する側からすれば優先順位が低くなるのも理解できてしまう。
それでも、ダンジョンが発生した以上、放置するわけにはいかなかった。
都市内で人間や亜人種などの人類種が起こした問題ならば、基本的にはファズオラの治安維持部隊が対応する。しかし、都市の中に存在しているからといって、モンスターまで彼らの管轄になるわけではない。
人類種以外の存在を相手取ることこそ冒険者たちの領分であり、今回も最初に異変を調査したのは治安維持部隊だったものの、スラム街がすでにダンジョンへ変貌していること、内部をモンスターが徘徊していること、そして調査に赴いた部隊から少なくない被害が出たことが判明した時点で、依頼は冒険者ギルドへ回ってきた。
集められた情報から判断すれば、内部に出現するモンスターはアンデッド系が中心であり、ならばダンジョンの奥に存在するボスもアンデッド系ではないかというのが大方の予想だった。
「グラディアスやプロミネンスと一緒のスラムのダンジョンだったか? もう戻って来たのか、流石に仕事が早いな。って事は何か凄いお宝でも出たのか?」
ジェリフはそう口にしたものの、半ば冗談だった。
今回の依頼には三つのパーティが投入されている。
白金級冒険者で構成された【グラディアス】
金級上位であり、白金級に最も近いと評される【プロミネンス】
そして、二つのパーティと比べれば実力では一歩劣るものの、バランスの取れた編成と優れた判断力を持つ【レースガーデン】
これだけの戦力をまとめて投入したのは、単純にダンジョンの危険度が分からなかったからだ。
アンデッドが中心だという情報がある以上、炎系の魔術師を擁するプロミネンスは相性がいいし、グラディアスは魔術師こそいないものの、率いるガイアスがベテランの冒険者であり、以前にもリッチ討伐という危険な依頼を成功させている。
レースガーデンもまた、他の二つに比べれば若いパーティではあるが、メンバーの役割が偏っておらず、何よりリーダーであるロッツは危険を察知する勘に優れている。
ジェリフはこの三つのパーティならば今回の依頼も問題なくこなせるであろうと考えていた。
少なくともロッツのレースガーデンは、そう遠くないうちに白金級へ届くのではないか――そんな評価すらしていたのである。
「いえ……お宝とかではなく……あの……直接見て頂かないと……」
ところが、職員の返答は妙に歯切れが悪かった。
ジェリフはその時点で、胸の奥にあった嫌な予感が一段深くなったのを感じていた。
やがてギルドへ到着すると、職員に案内されるまま支部長室へ入る。
「ジェリフさん、お休みの所お呼びだてしてすみません」
そこには、長めの金髪を中央で分けた、いかにも神経質そうな顔立ちの男が立っていた。
副支部長のタレスである。
「おう、直接見るものって何だ?」
ジェリフが尋ねると、タレスは答える代わりに応接用の革張りのソファへ視線を落とした。
その意味を理解したジェリフも、ゆっくりとそちらへ目を向ける。
そこに、一人の少年が座っていた。
人間の子供にしか見えない。
少なくとも、何も知らずに見ればそう判断するだろう。だが、その少年の表情はあまりにも異様だった。ソファへ身体を沈めたまま、焦点の合わない目で虚空を眺めている。顔色は悪く、身体も小刻みに震えているように見える。
「ロッツか。どうしたんだ? 呆けた顔して……」
いつもの調子で声をかけながら、ジェリフは親しい冒険者へするように肩を叩こうと近づいた。
だが、その手が触れるより先に違和感が目に入った。
「お前……その腕どうしたんだ?」
ロッツの右肩から伸びているものは、明らかに人間の腕ではなかった。
浅黒い肌。
ロッツの身体に対して明らかに大きすぎる手。
そして、皮膚に刻まれた独特の赤い刺青。
肩口はまるで別の身体から無理やり切り取ってきたものを縫い付けたように見えるというのに、不思議なことに血は一滴も流れていない。傷口が塞がっているというより、最初からそこに存在していた腕だったかのように、異質な右腕はロッツの身体へ馴染んでいる。
「あ、あ……天使のば、化け物……」
ロッツが何かを呟いた。
しかし、声は小さく、言葉も途切れ途切れで、その内容をまともに聞き取ることすら難しい。
ジェリフはタレスへ目を向けた。
「あの右腕は?」
「さっきからあまり要領を得ない受け答えなのですが……ロッツさんの話から推測すると……ダンジョンのボスが天使の様な姿をした化け物らしくて……」
「天使の姿をしてるのに化け物?」
その言葉にジェリフは眉を寄せた。
確かに事前情報に天使の姿を見たとあったが……
タレスもまた困惑した表情を浮かべながら首を振る。
「あの右腕は…….その天使に切り取られ交換された、と言っているんです」
「切り取られて……交換? はっ、そんな人形でもあるまいし……」
ジェリフの感想は至極もっともだった。
人間の身体から腕を切り落とし、その代わりに別の生物の腕を接合する。そんなことが本当に可能なのか。治癒魔法によって傷を塞ぐことと、異なる生物の身体を接続することはまるで意味が違う。
だが、目の前で虚ろな目をしているロッツと、その右肩に付いている異形の腕を見れば、笑い飛ばして済ませるわけにもいかなかった。
「しかもこれ……魔族の腕なんですよね。このままだとマズイですよね?」
タレスの声が低くなる。
ジェリフは返事をする前に、もう一度その腕を見た。
魔族の腕であることは一目で分かる。
浅黒い肌だけならば、似たような肌色を持つ種族は他にもいる。だが、皮膚に刻まれた赤い刺青は別だった。魔族が固有の魔法を行使する際、その補助となる魔術回路として身体へ刻む独特の紋様である。
つまり、これは単なる異形の腕ではない。
正真正銘、魔族の身体の一部なのだ。
「……ああ、マズイな」
ジェリフは短く答えた。
魔族が人類にとってどのような存在として扱われているのかを考えれば、この腕を堂々と見せて歩くなど論外だった。ロッツ自身の身体が草原小人であったとしても、右腕だけは明らかに人類種ではない。
事情を知らない者が見れば、激しく嫌悪感わ抱く者もいるだろう。それが冒険者ギルドに所属する人間ともなれば、どれほど面倒な問題へ発展するか分からない。
「とりあえず、手の長さは隠しようもないな……包帯でも巻いて刺青と肌の色を隠しておけ」
タレスが頷く。
しかし、ジェリフの頭の中では別の問題がすでに大きくなっていた。
「……それで、他のメンバーやパーティは?」
ロッツ一人だけが戻ってきた。
タレスは何も言わず、ただゆっくりと首を横へ振った。
「そりゃあ…………まいったな」
ジェリフは無意識に自分のスキンヘッドへ手をやった。
普段ならば癖として何気なく撫でるだけの頭を何度も擦りながら、天井を仰ぐ。白金級の冒険者パーティが一つ、戻ってきていない。
そして、金級上位のプロミネンスも姿を見せていない。レースガーデンも、帰還したのはリーダーであるロッツだけ。
最悪の可能性が、頭の中へ浮かび上がってくる。
だが、それを口にする者は誰もいなかった。
それからのジェリフは、休む暇もなかった。
ファズオラ南第一支部にとって、白金級パーティであるグラディアスを失った可能性は、大きな損失だった。だが、問題はギルドの人材だけではない。今回の一件によって、スラム街に発生したダンジョンの危険度そのものが、それまでの想定を遥かに上回っていたことになる。
これまでの情報では、アンデッド系のモンスターが徘徊する比較的小規模なダンジョンであり、実力のある冒険者を投入すれば制圧できると判断されていた。しかし、白金級のグラディアスが帰還せず、唯一戻ってきたロッツもまともな会話すらできない状態である以上、その前提そのものを捨てなければならない。
もし本当にダンジョンの奥に、それほどの冒険者たちをまとめて葬り去る何かがいるのだとすれば、次に送り込む人間を選び間違えれば同じ結果になる。
いや、それどころか──
ダンジョンが都市の中に存在している以上、被害が冒険者だけで済む保証すらなかった。
ジェリフはファズオラ内の他の冒険者ギルドへ緊急の通達を出し、上位冒険者の確保と情報共有を急がせた。貴重な遠距離通信魔導具も、このときばかりは惜しみなく使われ、各支部へ次々と連絡が送られていく。
それと同時に、もう一つ面倒な仕事が残っていた。
ファズオラを実質的に統治している賢人会への報告である。
「ちっ、先ずはアポを取らねーとな……緊急事態だってのに面倒くせぇな」
報告書へ目を通しながら、ジェリフは露骨に顔をしかめた。
タレスもまた、いかにも嫌そうな表情を浮かべる。
「賢人会など名ばかりで実質老害どもの集まりですからね」
「はっ、全くだ」
そんな会話を交わしていた、そのときだった。
支部長室の扉が勢いよく開いた。
入ってきた職員は、先ほどロッツを連れてきた者とは別の人間だったが、それ以上に目を引いたのは、その顔に浮かんでいる狼狽だった。息を切らし、何かを伝えようとしているのに、呼吸が整わず言葉が出てこない。
「し、支部長! 大変です!」
「……どうした?」
ジェリフは思わず自分のスキンヘッドを叩いた。
さすがに今度は何だ、と言いたくなる。ロッツの帰還、グラディアスたちの消息不明、ダンジョンの危険度再評価、他支部への緊急連絡、そして賢人会への報告。たった数時間の間に処理すべき問題が次々と増えているというのに、まだ何か起こったというのか。
しかし、職員の次に口から出た言葉は、ジェリフが想定していたどんな事態とも違っていた。
「スラムが……ダンジョンが……全部、全部消えてしまいました!」
「はっ?」
ジェリフとタレスの声が、綺麗に重なった。
この度はラビリントスを読んで頂きありがとうございます。
読者の皆様に楽しんで頂ける物語を紡げなかったようで、自分の実力不足を痛感致しております。
次はどうか皆さまに楽しんで頂ける物語を書けるように努力致しますので、今作ラビリントスはキリの良いこのお話しで一旦お終いとさせて頂きます。
もしも、再開を望む声がありましたら再開するかもしれませんが、新作の為にまたしばらく投稿は控えると思いますので、いつか新作が目につきましたらご一読お願い申し上げます。




