現実と非現実
何とか逃げ延びたピンク色の宇宙船は、とある星を目指していた。そこに、オアシスから送った物が届いているはずだからだ。
しばらく宇宙を漂うと、一際明るい星が見えてきた。
その星は、完全な球体ではなく、時が経つに伴れアメーバの様に形が変化する。
寄り星に近づくと、その星が摩訶不思議な存在だと認識出来る。小さな光の集合体。丸い光が列を成し、一定方向に流れて、星の形を形成していた。
インターネットサーバー『ピープ』。
仮想現実世界、ヴァーチャルワールドを運営している大型サーバーの一つだ。
銀河中の人々が、ピープと呼ばれるこのサーバーに接続し、様々な仮想現実の世界に没入している。ウネウネと動く光の波の一つ一つが、ピープに接続している人の多さを表している。
ピープは、カシューにとって第二の故郷とも言える場所だ。幼い頃、体を失って以来、ほとんどの時間をピープで過ごした。
ピープには、研究者が集まる区画がある。その名もヴァルハラ。世界の終末に備え、現実では不可能な実験を行なっている。
その一つが、NUTSだ。(ニューロン アンボディ テレパス システム?)
体を失い、脳すらも無い彼女たちの研究。どういう訳か、電気信号だけとなった彼女たちには、意思や記憶が有った。その魂は、仮想空間のアバターや現実の人工素体といった擬似身体の中に宿ると、まるで生きている人間と変わらない様に活動を行う。
彼女たちは、人間なのか、幽霊なのか、はたまた人工知能の様な存在なのか。この時代でも、定義が難しい問題だった。
この話を他人に話すと、いつも同情や哀れみの言葉を受ける。なので、カシューは、必要以上に話をしなくなり、次第と無口となった。困った事に、人は他人の生い立ちを知りたがるものなのだ。
カシューたちは、別に自分の事が不幸だとか、悲しいなどとは思っていない。家族や友人たちと決別する事になったのは、悲しかったが、他の点では何も不自由がない。
本当は、事故で死んでいるはずだったのだ。生きているだけで充分だった。それに今は、家族の様な仲間たちがいる。一人は、殺しに掛かって来る様な奴だが、それでもカシューにとってダミアンも大事な仲間だ。今頃、クルミにこってり絞られていることだろう。
カシューの運転するピンク色の船は、ピープのヘソの穴を通り中心へと向かう。光に包まれたトンネルは、いつ見ても壮観だ。
「すげー。まるでクラゲの中みたいだな。」
カナタは、目をキラキラさせて周囲を眺める。
「外は電磁波の嵐。生身の人間では、ここを通る事は不可能なのよ。」
カシューは、興味なさ気に座席にもたれ掛かっている。それでも楽しそうにするカナタに説明をした。
「え…。さらっと恐ろしい事を言うな。この体だと大丈夫だと言うのか?」
カナタは、窓から離れて自身の体に目を向けた。
「逆に、この体でないと無理よ。ロボットの遠隔操作も、波の嵐に遮断されてしまうから、点検も大変らしいわ。」
「へー。人を選ぶって事だもんな。そりゃ大変だ。」
誰しもが人工素体に意識を投影出来る訳ではない。出来たとしても、そうコロコロ身体を乗り替える訳にはいかない。
カシューやカナタの様に、別の体から別の体へとフェイズするのにも、それなりの適正がいる。態々この星のメンテナンスの為だけに人工素体を使う人は、そうはいないはずだ。
「ってことは、パープルミストやナイツが近づけないって事か?」
カナタが閃いたように言った。カナタにしては、冴えた発言だった。
「そういうことよ。それに、こんな場所に人が居るとは思わないでしょ?」
「そんな場所にホワイトホールを送って、ちゃんと受け取れているのかよ?」
カナタは、光のトンネルの先に見えて来た鉛の球体を見て、不安そうにした。
「大丈夫よ。ここには、私たちの教官が居るの。今も私の未来の後輩たちを、叩き上げてるんじゃないかしら。」
そう言ってカシューは、体を起こした。そろそろ到着する気配を感じ取ったみたいだ。
鉛の球体は、大きく口を開き宇宙船を呑み込もうとしている。カナタは、遊園地のアトラクションに乗っている様な感覚だった。
「へー。ここで訓練してるのか。そういうのって、機密情報とかじゃないのか?」
黒いトンネルを通ると、ケーブルだらけの灰色の壁に囲まれた。
「そうね。」
「言うなよ…。」
「いいの、いいの。こんな話、他で誰に話すって言うのよ。」
宇宙船が動きを止め、目的地に到着した所で、カシューは席を立ち始めた。
「確かにそうだが……駄目だろ。」
カナタは、平然と言うカシューに呆れた。
+
格納庫に船を置き、二人はピープの内部に降り立った。
そして、無駄に広い格納庫から出て、通路を進んで行く。
「人が居ないって言ってたけど、意外といるじゃないか。」
通路を進んでいると、何人かの職員とすれ違った。白衣を着た研究者の様な人達やメンテナンスをしているであろう作業員の人達だ。
「どう考えても少ないでしょ?ここは、宇宙規模の施設なのよ。」
「普通の施設ってのも見たことないからな。デスペアは、普通じゃないだろ?あそこは、監獄みたいなものだからな。」
カナタは、キョロキョロと辺りを見渡しながら、手を仰いで言った。
「着いたわよ。」
カシューが一つの扉の前で足を止めた。
そして、腕の端末をかざすと扉が開く。
カナタは、カシューの後ろから中を覗き込んだ。扉の向こうの景色を見て驚きの声を上げる。
「なんだよ…ここは……。」
扉の先は、絵本の中の様な森の中だった。
在り得ない場所に、濃く色付いた虹が架り、陽の光を受けた葉が幻想的な煌めきのエフェクトを放つ。
広大な青空の下に、樹齢数千年はあろうか、物語の世界樹とも呼ばれる様な大木が聳え立つ。
その巨大な幹には、大きな槍の様な宇宙船が突き刺さっている。
小さな鉄塊であるピープの中だとは思えない光景が、目の前に広がっていた。
「曖昧な部屋よ。」
現実と仮想現実が入り混じる世界。現実世界とよく似た、仮想世界を投影した認識実験施設。ここでは、触れようとした物が単なる映像だったり、映像だと思った物が実在したりする。
カシューは、地面から小ぶりな石を拾い上げ、カナタに見せた。
「ここに石がある。と、認識すれば、石が存在してしまう。」
当たり前の事を言われ、カナタは首を傾げた。
「だけど、一度この石が単なるグラフィックだと分かると――。」
カシューが石を手放した。
床に落ちると思われた石は、空中で固まってピクリとも動かない。空中に留まる石に、カシューが指先で触れると、指は石を通り抜けた。先程まで手に持っていたはずの石は、『3Dの映像』と化してしまった。
それを見せられたカナタは、目を丸くした。
「え!?手品みたいなもんか?」
カナタは、不思議そうに空中で静止した石の映像を眺めた。
「少し違うわね。集団心理とか、そういった物の方が近いかもしれないわ。思い込みは、時に思いがけない現象を引き起こす。体を離れた私たちの様な存在も、その現象の一つだと言われてるわ。」
「ん?そうなのか?」
カナタは、ピンと来ず、不思議に思った。
「多くの人々が利用する転送技術だけど、出来てしまっているだけで、根本的な原理は解明されていないわ。色々な説は、唱えられているけど。私たちの存在自体、本当は曖昧なのよ。」
家の電化製品の仕組みを理解して使っている人が然程居ないように、今も人々は安全で便利と言う不確かな言葉の上で生活を続けている。
宇宙船が宇宙空間を操行する方法も然り、今見ているこの画面の表示方法でさえもあやふやな事だろう。常識化、日常化する事で、仕組みなど度外視するのが文明社会の光と闇だ。
カシューの説明を聞いてもカナタは理解出来なかった。難し過ぎて、直ぐに考えるのを止めてしまった。
そこにタイミング良く、大きな木の根元から、一人の女性が歩いて来るのが見えた。
「お、誰か来たぞ。」




