#002
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神は真実を見られるが、速やかにはお示しにならぬ。
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それは何と言うか、か細い体躯の女性だった。
矮躯とまではいかないものの、線の細い、女性らしい体をした女性だった。
『ボス』というからには、どれほどの大柄の勇猛な男性が出てくるのかと思っていたけれど、しかし、その予測は大きく的を外れ、期待外れとでも言えるほどそれには似ても似つかない女性であった。
黒長髪で長い睫毛の、およそ見た目だけでは『神』だと判断できない外見に一瞬パニックに陥りそうになってしまったが、それを言うと、比賣もまた外見は人と同じ身であるので驚きはなかったと言ってもいい。
彼女は岩長比賣と言う――比賣の姉にあたる人物だそうだ。
いや、人物という表現は間違えているけれど。
要するに、比賣のお姉ちゃんらしい。
神にも姉妹があるのか、と僕は思った。
何だか、それこそ人間染みていないか?
「そうですねぇ――人に戻る方法ですか」
岩長比賣、もとい、比賣 磐奈は嘆息しつつ言った。
どうやら神様も現世との関わりが少なからずあるようで、その際に用いるために人と同じ名前を有しているそうだ。
郷に入っては郷に従えとは言うが、神にもそのような考えがあるみたいである。
しかし、そもそも、その郷を創造したのが神であるのに、その名前は必要なのだろうか。
例えば僕のように、現世での生活をせざるを得ない身であるならば、それは必要不可欠だろうけれど――比賣も、彼女の姉も、僕と同じ境遇だということはまさかないだろう。
人の身でありながら神だなんて、それを神職の方々が知れば大きな問題が起こりそうだ。
それはともかく。
「ありますよ、勿論」
と磐奈さんは言った。
その言葉に込み上げる嬉しさを抑えつつ、僕の胸中は歓喜に満ち溢れていたけれど、その後に続いた彼女の言葉にそれは悲哀に変わってしまう。
「あなたが死ねば人に戻れます。勿論、人として生きることはできませんけれど」
いやいや。
それだと意味ないのですが。
「少なくとも、最後には人として死ねますよ?」
などと、追い討ちをかける磐奈さんだった。
幟季と同じような、物静かで知的な印象を与える外見ではあるが、どうやらそれとは裏腹にかなりサディスティックのようだ。
「あの……他に、方法はないんですか?」
「ありますよ、勿論」
「あるのかよ!」
「…………?」
磐奈さんは僕の失礼にもほどがある突っ込みに怪訝な様子で首を傾げた。
眉をしかめて、目を細くして、唇を尖らせていた。
「えっと、……すいません。その方法は一体、何ですか?」
「教えて欲しいですか?」
「は、はい……」
「本当に、教えて欲しいですか?」
「お、お、教えて欲しいです……」
何なのだろう。
比賣もそうだが、やはり姉となると性格も似ているのだろうか。
彼女の攻撃的な人格が姉を見て形成されたものだとすれば、それは確かに納得できることかもしれない。
納得というか、ある意味、感心。
「そうですねぇ、教えるのはやぶさかではないんですが――タダで教えるというのも面白くありませんしねぇ。うーん……どうしたものでしょう」
タダで教えるのは面白くない?
いやいや、素直に教えて下さい、とは勿論言えず。
「あなたが考えているほど、そう簡単な話ではないんですよねぇ。神産巣日神をあなたが継承した時は偶然にも色々と特殊でしたから――ねぇ?『シロ』さん?」
「……ふんっ」
シロは露骨に不愉快な表情をする。
「ともかく、早う説明してやれ。でないとすれば、我が先に話してしまうぞ」
「あらあら、元神様はせっかちですねぇ」
そこで、磐奈さんは両の手を合わせて音を鳴らした。
ならこうしましょう、と名案が浮かんだらしかった。
「『敵』がいると、いずれにしてもあなたは人には戻れませんし、まずは手始めに、『敵』の陣地を壊滅させちゃいましょう」
「……『敵』?」
丁寧な口調ではあったものの、言葉の内容は恐ろしいものだった。
それも、神の身であるが故に発言できる言葉なのだろう。
そんなことを簡単に発言できるのも、神が故ということだ。
「既に御存知でしょう、『敵』ですよ。話を聞くに、あなたの腕を三度も切り落とした、あの『敵』ですよ」
それは。
神楽坂 美耶子のことだった。
僕を『敵』と見做し、宣戦布告し、腕を何度も切り落として、挙句の果てには体中を小刀でめった刺しにした彼女――神楽坂 美耶子。
「いや、でも――壊滅、って……」
「……何か?」
「いえ――」
それはここで言うことではないのかもしれない。
比賣やシロ、磐奈さんを前にして言うべきことではないのかもしれない。
いくら『敵』だからといって、いくら腕を切り落とされたからといって、《人》である彼女らを壊滅させるなんて幾らなんでもやり過ぎだ、なんて言うべきことではないだろう。
そんな発想が簡単に出てくるのも、彼女らが神であるが故なのか。
或いは、何か別の目的があってお互いを敵視しているのか。
それはわからないけれど――
「神楽坂は――神職の方は、あなたたちにとって『敵』なんですか?」
僕は訊いた。
「そうですねぇ、そうとも言えます。少なくとも、あちらさんは『敵』と見做してますからねぇ」
「でもそれは、荒魂というのを懸念しているからであって、僕みたいな所謂『成り立て』だけを狙っているということではないんですか?」
神楽坂は言った。
『成り立て』は不安定で、いつ傾くかわからないと――いつ荒魂を背負い、世界に災厄を招くかわからないと。
だから僕は『敵』と見做され、敵視された。
そうならば、彼女たちを敵視する理由がわからない。
「その通りです。彼女たちは人の子を守るべく、あなたのような不安定な存在を敵視しています。けれど、世界に災厄を招くのは何も荒魂だけとは限りません。だから、私たちも含め、敵対関係は明確です」
「……荒魂だけとは限らない、と言うと?」
「私たちが――いえ、究極神が世界を創りかえる力を持つからですよ。勿論、それは災厄でも何でもないんですけどね、どうも人の子はそれが理解できないようで」
「世界を創りかえる、ですか」
僕は磐奈さんの言葉を反復するしかなかった。
想像を超える途方もない会話が続いているせいで、だんだん頭が痛くなってくる。
人の子には理解できない、って僕にも理解できないんですけど。
理解デキナインデスケド。
「世界を再構築するなんて、私や咲夜のような一神に過ぎない存在ができるわけではありませんけどね。究極神と呼ばれる一部か、或いは《国産みの神》か、ですね」
そう言えば、究極神とやらに神産巣日神は含まれているんじゃなかったけ。
これも神楽坂が言っていたような気がする。
「そうですよ、あなたがその究極神です。だからと言って、それも簡単ではないんですけど――まぁ、それは追々、後々でも構わないでしょう。で、『敵』についてですが――別に人を殺せなどと言うつもりはありません。無用な殺生はあってはならないことですし。あぁ、でも、あちらさんは殺しにくるかもしれませんけどねぇ……ふふふ」
不気味な笑みと共に続ける磐奈さん。
「そうですねぇ、あなたには伊勢に行ってもらいましょう。『敵』を制圧するのではなく、単純に挨拶回りに行ってもらいましょう」
「…………?」
「おいおい、それはいささかマズイんじゃないかのぉ。よりにもよって、アマテラスのところにいきなり赴くのは――」
シロは僕と磐奈さんの会話を横から制した。
何処となしか冷め切った声調だ。
「いえいえ、なぁに、心配に及びませんよ。だって、ただの『挨拶』ですもの」
「はぁ……まったく……」
嘆息。
溜息。
えっと……どういう状況なのかさっぱり理解できていないんですけど。
伊勢?
アマテラス?
何のこと?
「えっと、磐奈さん。どうして僕が伊勢に……?」
「だから単なる挨拶回りですよ。神産巣日神を新たに継承したあなたの、ね」
ふむ。
新入りである僕が他の神にも挨拶をしなければいけない、ということなのだろうか。
「アマテラスに会ったらこう挨拶してくださいね。『どうも初めまして、岩長比賣の紹介で来ました』ってね」
「は、はぁ……」
何と言うか。
成り行きのまま事が進んでしまっている気がするのだが、大丈夫なのだろうか。
磐奈さんに言われるがまま、事を進めても大丈夫なのだろうか。
うーん……。
「それじゃ……うん、わかりました」
多少の疑念と不安と、そして未だに自分が置かれている状況を理解できないまま、僕は頷いた。
伊勢。
どうやらそこに、天照大御神がいるらしい。




