第三章:翻訳された咆哮
安岡の「仕組み」の魔の手は、私と水面下で激しい冷戦を続けていた二十一歳のサブリーダーにまで、すでに深く及んでいた。
その日の夜、いつもなら私の指導に対して陰で不満を漏らすだけだったサブリーダーが、私の前に真っ直ぐに立ち、驚くほど冷静に、しかし飾らない自分の言葉で直言をぶつけてきたのだ。
「リーダー。お前が『自分がこのお寺をダメにしたらどうしよう』って、ものすごいプレッシャーを抱えて必死にやってるのは分かってる。この役割を押し付けられた立場で、よくここまでやってると思う」
サブリーダーの口から出た、初めての肯定的な言葉に、私は思わず目を見開いた。
「でもさ」彼は静かに続けた。「人が言うことを聞く方法は、世界に四つしかないんだって。インセンティブ、教育、宗教、そして暴力。今のあなたの指導は、住職と同じ安易な『暴力(威圧)』になってる。暴力は一番タイパがいいから、未熟な人間が使っちゃうんだよ。周りをビクつかせて萎縮させて、本当に良い道場になると思うか? もっと僕らを信頼して、違うやり方を試そうよ」
彼の口から出た「四つの動機付け」という圧倒的な構造論に、私は完璧に論破され、反論の言葉を失った。
後から知ったことだが、安岡は私に直接正論を言えば、私が年齢差やプライドから防衛本能を働かせて心を閉ざすことを完全に見抜いていた。だからこそ、同じ悩みを抱えていたサブリーダーの視点の角度を少しだけ変え、彼の言葉に翻訳させて私に届けたのだ。部外者のくせに、どこまで計算しているというのか。悔しさと、それ以上の圧倒的な敗北感が私の心を支配した。
そして五日目の午後、ついに恐れていた「週に一度の住職来山」の日が訪れた。安岡の七日間の修行期間の中で、住職が実際に現場に現れたのは、後にも先にもこの一回きりだった。その日の課題は、全員での「作務(作業)」だった。
案の定、住職は「あそこを綺麗にしろ」と抽象的で曖昧な指示を出し、私たち常住がその真意を掴めずにテンパりかけた、まさにその瞬間だった。
安岡が、あまりにも自然に、住職と私たちの間に滑り込んできた。
「住職の狙いはあそこの排水を良くすることだから、君はこっちのルートの泥を上げて。リーダー、全体の配置と時間配分はこれで問題ないでしょうか?」
決して出しゃばって自分が仕切るのではない。住職を上司として完璧に立て、私をリーダーとして尊重しながら、水面下ですべての人間を的確に動かしていく。いつもなら住職の怒声と緊張感で息が詰まる境内に、スコップの心地よい音と、若者たちの前向きな返事だけが響き渡る。
気がつけば、あれほど狂犬のように怒鳴っていた住職の顔から険しさが消え、機嫌よさそうに目を細めて私たちの作業を眺めていた。作業は予定の半分の時間で完璧に終わった。
「あの作務、いつもの作務じゃなかった……」
作業の後、私は張り詰めていた肩の力を抜き、サブリーダーにポツリと漏らしていた。
「いつもは住職が怒鳴り散らしているのに、今日はすごく楽しかった。住職も機嫌が良かったし、私も……本当に、作務が楽しいなんて思ったの、初めてかもしれない」
リーダーシップとは、恐怖で支配することではない。安岡のように、みんなが動きやすいように知恵を使い、現場を楽しい空間に変えることなのだと、私は生まれて初めて「生きた本物の手本」を目撃したのだった。
座禅の時間。私は、姿勢の崩れた体験者の耳元にそっと近づき、周囲の張り詰めた空気を一切壊さないように、その本人だけに聞こえる小さな声で的確に指摘した。
「――ウイスパー(小声)の指導」
威圧しなくても、相手に寄り添えば人は動く。隣のサブリーダーが、私の変化に気づき、小さく、本当に小さく頷いたような気がした。




