第090話 魔導守衛
横の壁に開いた通路は、正規の道ではなかった。
床幅は狭く、天井も低い。
整った階段ではなく、後から無理やり削り出したような石の坂が続いている。
だが、壁の光は正規通路よりも弱い。
監視の線も薄い。
「抜け道です」
イリスが囁いた。
「中枢が用意したものではなく、判定不能時の保守経路だと思います」
「想定外の時に、術式を詰まらせないための道か」
「はい。けれど、長く使われていない。反応が鈍いです」
ロゼッタが足元を見た。
「埃がありません」
「またか」
「誰かが清掃しているというより、埃を分解する術式が走っています。古い施設ですが、死んだ遺跡ではない」
その言葉の直後、通路の奥で光が走った。
一本。
二本。
三本。
壁の線がつながり、床の文様が起き上がる。
セリアが盾を構えた。
「来る」
石の床から、人型の影が立ち上がった。
いや、人ではない。
鎧に似た外郭。
顔のない兜。
腕に刻まれた分類印。
胸に埋め込まれた青い核。
魔導守衛。
古代術式で動く、防衛機構。
その胸の文字が光る。
未登録者排除。
「話し合いは無理そうだな」
「相手は人ではない」
セリアが一歩前へ出る。
「なら、受ける」
守衛が動いた。
速い。
古い機構とは思えない滑らかさで、腕を槍のように伸ばす。
セリアの盾に衝撃が走った。
金属音ではない。
鐘を地面の中で鳴らしたような低い音。
「重い」
セリアの足が半歩下がる。
だが、崩れない。
盾を斜めに流し、守衛の腕を壁へ逸らす。
「正面は私が止める。貴殿らは核を見ろ」
ミュールが横へ跳ぶ。
彼女は攻撃しない。
まず感知範囲を読む。
守衛の顔はない。
目もない。
だが、反応する方向には癖があった。
「胸の核から前方三歩。腕の印から左右二歩。背中、遅い」
「背中が弱いか」
「弱いけど、近づくと床が鳴る」
ミュールが床を指す。
薄い分類線が足元に走っている。
踏めば、守衛に位置を知らせる線だ。
イリスが観測糸を飛ばす。
「核は命令文を繰り返しています。未登録者排除、未登録者排除、未登録者排除」
「それ以外は?」
「例外条件があります。でも読みにくい」
ロゼッタが目を細めた。
「命令文を見せてください」
「危険です」
「読まなければ穴を探せません」
イリスが短く頷き、術式の光を薄板へ投影する。
ロゼッタはそれを見た瞬間、眉を寄せた。
「未登録者排除。ただし、保守経路通行中の管理権限保持者を除く」
「管理権限保持者?」
「完全な管理者ではなくても、保守経路では一時権限が通る可能性があります」
全員の視線が俺へ向いた。
右手が熱い。
「俺を守衛の味方にするのか」
「違います」
ロゼッタが即答した。
「レオン様を管理者として登録するのではありません。守衛の対象分類を一瞬ずらします。未登録者排除の対象から、私たちを外す」
「危ないな」
「危ないです」
イリスが言った。
「でも、核を止めるには一瞬必要です。ナギさんが届く軌道を作ります」
ナギが刀を抜いた。
地下の薄い光を受けて、刃が白く光る。
「軌道があれば斬る」
「核を壊すな」
イリスが強く言った。
「壊すと通路ごと閉じるかもしれません。核の命令線だけを切ってください」
「細い?」
「とても」
「なら、斬れる」
ナギは迷わなかった。
セリアが二撃目を受ける。
盾に亀裂が走りかけ、俺は反射的に支援を伸ばしそうになった。
使っていいか。
セリアが叫ぶ。
「盾の補強、許可する。刻印には触れるな」
「分かった」
俺は盾の表面だけに支援を流す。
革紐。
金具。
盾板。
セリアの身体には触れない。
補強された盾が、三撃目を受け止めた。
ミュールが守衛の背後へ走る。
床の感知線を踏まないよう、壁を蹴り、セリアの盾の影を通り、守衛の死角へ入る。
「今、背中遅い」
イリスが核の命令文を固定する。
ロゼッタが穴を読む。
「保守経路通行中。管理権限照合中。対象分類を未登録者から一時保留へ」
「レオンさん、境界です」
イリスの声。
俺は右手を出した。
「五人の登録には触れない。守衛の対象分類だけ、一瞬ずらす」
返事を聞く時間は短い。
だが、五人は同時に答えた。
「許可する」
「いい」
「お願いします」
「同意します」
「やって」
俺は守衛の命令文に触れた。
未登録者。
排除。
その間にある線。
未登録であることと、排除対象であることを結ぶ境界。
そこを、一瞬だけずらす。
守衛の胸の光が揺らいだ。
セリアへの攻撃が止まる。
ミュールが叫ぶ。
「今」
ナギが走った。
刀が抜け道の薄闇を裂く。
核そのものではなく、核から腕へ伸びる細い命令線。
そこだけを斬る。
青い火花が散った。
守衛の腕が落ちる。
イリスが術式を反転させる。
「停止命令、入ります」
ロゼッタが読み上げる。
「未登録者排除、実行不能。保守経路安全確認へ移行」
守衛の動きが止まった。
鎧のような外郭が崩れ、床の文様へ戻っていく。
誰もすぐには動かなかった。
息が荒い。
俺の右手は熱い。
だが、五人の刻印は暴走していない。
同意があった。
範囲を決めた。
記録もある。
それでも危険だった。
ロゼッタが震える指で記録帳へ書き込む。
「境界干渉、対象分類一時変更。本人同意あり。下層反応、軽微」
「軽微で済んだのが怖いな」
「同感です」
イリスが壁を見る。
「でも、進めます」
守衛が消えた先の壁に、文字が浮かんでいた。
分類一覧。
勇者。
奴隷。
貴族。
ジョブ。
聖職者。
そして、一番下に別の文字。
管理者。
俺の右手が、また熱を持った。
今度の熱は、扉や封印の時よりも強い。
まるで、壁の文字が俺を見つけたようだった。
勇者。
奴隷。
貴族。
ジョブ。
聖職者。
管理者。
その分類の中で、管理者だけが淡く光っている。
俺は息を呑んだ。
守衛は崩れた。
だが、倒したという感覚はなかった。
鎧の破片も、血も、叫びも残らない。
ただ床の線へ戻っただけだ。
人ではない。
命令文が動き、命令文が止まった。
それだけ。
「これが管理の兵、か」
セリアが盾を下ろした。
盾の縁には、今の衝撃でついた細い傷がある。
「敵意がない分、厄介だな」
「敵意がない?」
「ああ。あれは私たちを憎んでいない。ただ排除した。憎しみより冷たい」
その言葉に、俺は守衛がいた床を見た。
もし地上の制度も同じなら。
誰かを奴隷にする時も、勇者として登録する時も、貴族の血統を認める時も、ジョブを分ける時も。
中枢は憎んでいないのかもしれない。
ただ処理する。
だからこそ、人は自分が何に傷つけられたのか分からなくなる。
相手が怒っていれば怒り返せる。
相手が嘲笑っていれば、いつか見返せる。
だが、相手がただの手順なら。
痛みは、手順の外へこぼれ落ちる。
イリスが分類一覧を見上げた。
「この先に、もっと大きな表があります。これは入口の警告みたいなものです」
「警告でこれか」
ミュールが耳を伏せる。
「奥、嫌な匂いがする。命令の匂い」
ナギは刀を鞘に戻した。
「でも、道はある」
ロゼッタが記録帳を閉じる。
「進みましょう。ここで立ち止まれば、守衛の停止記録がどこかへ送られる可能性があります」
俺は右手を握った。
管理者という文字は、まだ淡く光っている。
自分がどこに分類されるのか、まだ分からない。
だが、この壁はもう、俺をただの未分類として扱ってはいなかった。
それが救いなのか、罠なのか。
答えは、次の広間にある。
俺たちは守衛のいた場所を越えた。
床の文様は沈黙している。
だが、完全に死んだわけではない。
薄い線が、まだ床の奥で脈打っている。
この施設は、壊れた部分を覚えている。
次に同じ方法が通じるとは限らない。
「今の戦い、記録されたと思うか」
俺が聞くと、イリスは頷いた。
「おそらく。少なくとも、守衛停止と対象分類変更は残ります」
「つまり、奥はもうこちらを知っている」
「はい」
ミュールが鼻を鳴らした。
「さっきより匂いが強い。向こう、起きてる」
ロゼッタが記録帳を鞄へしまう。
「なら急ぎましょう。ただし雑には進まない。ここからは、相手が私たちを未登録共同体として見ている可能性があります」
「それはいいことか?」
「分かりません。想定外は自由ですが、想定外は排除対象にもなります」
セリアが盾を構え直した。
「なら、自由であるうちに進む」
ナギが頷く。
「道が閉じる前に」
分類一覧の光が、奥の広間へ続いていた。
俺たちはその光を追う。
管理者という文字の熱を、俺の右手に残したまま。
次の広間で、その熱の意味を知ることになる。
それが祝福ではなく、権限の反応だとしても。
進まなければ、何も分からない。
だから進む。
奥へ。




