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第089話 登録なき者

 扉は、俺たちを一人ずつ読んだ。


 最初に光を当てられたのは、セリアだった。


 淡い線が盾の縁をなぞり、胸元へ移り、首筋の古い誓約痕で止まる。


 扉の表面に文字が浮かぶ。


 聖騎士登録。

 王国騎士団所属。

 教会補助誓約。


 そこまでは、セリアが生きてきた道だった。


 だが次の行で、光が赤く変わる。


 反逆記録。

 誓約違反。

 通行拒否。


 セリアの指が盾の革紐を握った。


「便利なものだな」


 彼女は静かに言った。


「私が何を守り、誰を助け、どのように裁かれたかは読まない。ただ、反逆とだけ記録する」


 扉は答えない。


 ただ、赤い文字を光らせ続ける。


 次はミュールだった。


 光が彼女の耳、首、手首へ流れる。


 ミュールの身体が一瞬だけ強張った。


 夜爪旧所属。

 暗殺任務登録。

 危険分類。

 命令違反個体。


「個体」


 ミュールの声が冷えた。


「ミュール、個体じゃない」


 扉はまた答えない。


 赤い線が彼女の首元に残っている古い刻印痕を照らし、警告のように点滅した。


 俺は手を伸ばしかけて、止めた。


 使っていいか。


 今は、まだ聞いていない。


 ミュールは俺を見ずに言った。


「大丈夫。まだ、ミュールの声で立ってる」


 次にイリス。


 光は彼女の胸元で揺れた。


 魔塔登録。

 実験体番号。

 魔力炉異常。

 隔離推奨。

 外部接続禁止。


 イリスの唇が震える。


 番号。


 彼女を最初に見た時、魔塔は彼女を人ではなく危険物として扱っていた。


 地下の扉も同じ言葉を使う。


「私は」


 イリスは小さく息を吸った。


「私は、番号ではありません」


 声は弱かった。


 だが、消えなかった。


 ロゼッタが一歩前へ出る。


 扉の光が彼女の手首へ絡みついた。


 商会血統登録。

 債務契約。

 所有権係争。

 資産凍結履歴。

 制限対象。


 ロゼッタは、怒るより先に記録帳を見た。


「興味深いですね。私の商会復権後の記録が反映されていません」


「そこか?」


「重要です。これは最新の社会的事実ではなく、刻印下層に残った古い不利情報を優先している」


 彼女は扉を見上げた。


「つまり、この扉は公正ではありません。都合のよい過去だけを読んでいます」


 最後にナギ。


 扉の光は、彼女に触れた瞬間だけ色を変えた。


 赤ではない。


 青白い。


 神域鍵。

 東雲系統。

 門守補助。


 ナギの目が細くなる。


 そこまでは、おそらく彼女の一門が守ってきたものだ。


 だが、すぐに別の文字が重なった。


 剣奴登録。

 闘技場所有記録。

 死亡予定票。

 鍵権限汚染。


 ナギは黙っていた。


 沈黙が長い。


 俺が声をかけようとした時、彼女は刀の柄から手を離した。


「死亡予定票」


 ナギはその文字を見つめる。


「便利な記録。死ぬことまで、誰かが予定にしていた」


 彼女の声は静かだった。


 静かすぎて、怒りが深いと分かる。


 そして、扉の光が俺へ来た。


 右手が熱を持つ。


 光は俺の胸元、手、足元、額を順に読み取ろうとした。


 だが、表示された文字は一つではない。


 薬師反応。

 治癒師反応。

 斥候反応。

 鍛冶師反応。

 鑑定士反応。

 未確定。

 未分類。

 登録不一致。


 最後に、赤い文字が浮かぶ。


 通行拒否。


 扉は俺たち全員を拒んだ。


 セリアは反逆者として。

 ミュールは危険個体として。

 イリスは実験体として。

 ロゼッタは債務者として。

 ナギは汚染された鍵として。

 俺は未分類として。


 登録なき者、通行を許さず。


 この扉にとって、人は登録でしかない。


 なら、登録から外れた者は存在しない。


 そんな理屈で、俺たちは閉じ込められてきた。


「違う」


 最初に言ったのはセリアだった。


 彼女は盾を下げ、扉の赤い文字へ向かって立つ。


「私は反逆記録ではない。セリア・グランフォードだ」


 ミュールが横へ並ぶ。


「ミュールは、夜爪の個体じゃない。ミュール」


 イリスが震えながら、それでも前に出た。


「私は実験体番号ではありません。イリスです」


 ロゼッタは記録帳を閉じた。


「私は債務記録ではありません。ロゼッタ・ヴェルナー。契約当事者です」


 ナギが胸の前で型を作る。


「私は死亡予定ではない。ナギ。まだ生きている」


 五人の声が、地下の扉の前で重なった。


 大きな声ではない。


 だが、登録名を拒む声だった。


 俺は右手を出した。


 使っていいか。


 五人がこちらを見る。


 セリアが頷く。

 ミュールが頷く。

 イリスが頷く。

 ロゼッタが頷く。

 ナギが頷く。


「境界に触れる。登録を壊すんじゃない。扉の読み方の境目だけをずらす」


「許可する」


「いい」


「お願いします」


「同意します」


「一緒に」


 俺は扉へ触れた。


 深く入らない。


 登録の中身を変えない。


 五人の過去を消さない。


 ただ、扉がそれだけを唯一の答えとして読む境界に触れる。


 赤い文字が揺れた。


 反逆者。

 個体。

 実験体。

 債務者。

 剣奴。

 未分類。


 その下に、別の線が浮かぶ。


 自称名。

 相互承認。

 共同行動。

 命令権なし。

 所有権なし。


 扉の術式が迷う。


 登録された分類と、今ここに立つ名前。


 どちらを通行判定に使うべきか、古い仕組みが判断できずにいる。


 イリスが叫んだ。


「いけます。分類外の経路が出ています」


 扉の中央に、見たことのない文字が浮かんだ。


 未登録共同体。


 通行経路、想定外。


 赤い光が消える。


 扉は正面ではなく、横の壁を開いた。


 本来の通路ではない。


 管理された者が通る道でもない。


 登録されていない者たちのために、古い術式が誤って開いた抜け道。


 俺たちは顔を見合わせた。


 誰かの記録ではない名で立った結果、扉は俺たちを分類できなかった。


 分類できないものを、古い仕組みは拒みきれなかった。


「行こう」


 俺が言うと、五人が頷く。


 未登録共同体。


 それはたぶん、この世界が想定していなかった関係の名前だった。


 俺たちは横の通路へ入る前に、一度だけ扉を振り返った。


 赤い文字は消えている。


 だが、消えたからといって過去がなくなったわけではない。


 セリアは冤罪を着せられた。

 ミュールは命令で動かされた。

 イリスは番号で呼ばれた。

 ロゼッタは債務で縛られた。

 ナギは死を予定された。


 それらは事実だ。


 事実だからこそ、消してしまえばいいわけではない。


 消せば楽になるかもしれない。


 だが、消された過去はまた誰かに利用される。


 大事なのは、過去の記録を唯一の名前にしないことだ。


 反逆者で終わらせない。

 危険個体で終わらせない。

 実験体番号で終わらせない。

 債務者で終わらせない。

 剣奴で終わらせない。


 俺自身も、未分類の雑用係で終わらない。


 扉は過去を読んだ。


 俺たちは今の名を返した。


 それだけのことなのに、古い仕組みは道を間違えた。


 もしかすると、この世界の檻は強固であるほど、自分が想定していない関係に弱いのかもしれない。


 所有でもない。

 命令でもない。

 血統でもない。

 登録でもない。


 互いに名を呼び、互いに隣に立つこと。


 そんな単純な関係を、扉は処理できなかった。


「未登録共同体、か」


 ロゼッタが小さく呟く。


「法的には非常に曖昧です」


「だめか?」


「いいえ」


 彼女は微笑んだ。


「曖昧なものは、時に一番自由です」


 俺たちはその自由な抜け道へ足を踏み入れた。


 通路に入った直後、セリアが小さく息を吐いた。


「反逆者と呼ばれることには慣れたつもりだった」


「慣れるものじゃないだろ」


「ああ。慣れたと思うこと自体が、傷の深さなのだろうな」


 ミュールは自分の首元を撫でた。


「個体って言われると、身体が先に反応する。頭では違うって分かってるのに」


 イリスが頷いた。


「番号も同じです。忘れたと思っても、呼ばれた瞬間に戻される」


 ロゼッタは記録帳を見ずに言った。


「だから、呼び返す必要があります。違う名で」


 ナギが短く言う。


「ナギは、ナギ」


「そうだ」


 俺は頷いた。


「俺たちは、何度でもそう呼ぶ」


 扉は一度、古い記録を読んだ。


 なら俺たちは何度でも、今の名前を呼び直せばいい。


 分類に勝つ方法は、壊すことだけではない。


 呼び続けることも、たぶん戦いだ。


 横の通路は暗い。


 だが、五人の足取りは止まらなかった。


 未登録共同体。


 その奇妙な名前は、地下の冷たい空気の中で、少しだけ温かく感じられた。


 俺はその温かさを、右手ではなく胸の奥で感じていた。


 管理者の鍵かもしれない手。


 だが、今この道を開いたのは俺一人の力ではない。


 五人が自分の名を言い、互いにそれを認めたからだ。


 地下の扉は、俺の力だけでは開かなかった。


 それを忘れた瞬間、俺はまた主人になってしまう。


 だから、歩きながら何度も思い返した。


 これは俺が開けた道ではない。


 俺たちが開けた道だ。


 その違いを、地下へ進むほど忘れてはいけない。


 俺は五人の背中を見て、もう一度うなずいた。


 ここからが本番だ。



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