第084話 マルチジョブ再鑑定
レオンの《マルチジョブ》を再鑑定する回です。
便利なチートだと思っていた力の正体が、少しずつ別の意味を持ち始めます。
宿の一室に、紙が一枚置かれた。
契約書ではない。
同意書だった。
「再鑑定実施同意書」
ロゼッタが読み上げる。
「対象者、レオン様。鑑定者、イリス様。立会人、セリア様、ミュール様、ロゼッタ、ナギ様。目的は、第零礼拝堂入口封印への反応原因の確認。禁止事項は、本人同意のない深層干渉、刻印下層への誘導、外部術式との接続」
「ずいぶん本格的だな」
「本格的にしなければなりません」
ロゼッタは淡々としていた。
「レオン様の力が誰かの自由に触れる可能性があるなら、気分や善意だけで扱ってはいけません」
その言葉は重かった。
俺はうなずき、紙に署名した。
字を書くだけなのに、妙に手が重い。
同意書に自分の名前を書くのは、ただの手続きではなかった。
俺はこれまで、契約書の外側にいることが多かった。
勇者パーティでは、俺の仕事は記録する側だった。
買い出しの帳面。
荷物の一覧。
壊れた装備の修繕表。
誰かが決めたことを、後から整える役。
だが今、この紙は違う。
俺自身が対象者で、俺自身が危険になり得る。
そして、五人は見届ける者として名前を書く。
それは俺を疑うためではなく、俺を一人の主人にしないための手続きだった。
俺はこれまで、自分の《マルチジョブ》を便利な力だと思っていた。
雑用係だった俺が、追放されても生きていけた理由。
セリアを助け、ミュールを治し、イリスを調律し、ロゼッタと契約し、ナギの檻を壊すための力。
だが、第零礼拝堂の封印は、俺の手に反応した。
あれは、治癒師や薬師に反応したのではない。
もっと別の何かを見ていた。
「レオン」
セリアが言った。
「危険だと思ったら止める。貴殿が望んでも止める」
「頼む」
「頼まれた」
ミュールが俺の左側に座った。
「レオンの匂いが変わったら言う」
「匂いで分かるのか」
「分かる。嘘つく時と、無理する時と、誰かを助けようとして自分を後回しにする時、ぜんぶ違う」
「最後のやつは困るな」
「よくある」
ナギは扉のそばに立ち、静かに刀を抱いていた。
「私は術式は読めない。だが、型の乱れは見る」
「型?」
「人が何かを越えようとする時、身体にも出る。境界を踏む足、門を開く手。無理に進めば、止める」
ロゼッタは同意書の余白に立会人の署名を入れていく。
最後に、イリスが羽根ペンを置いた。
「始めます」
彼女の声は少し震えていた。
でも、逃げてはいない。
「今回は、通常の鑑定ではありません。ギルドの判定石だけでは浅すぎます。登録庁で見た刻印測定の反応と、古文書庫の共通文様、第零礼拝堂の封印反応を照合します」
「痛いか?」
「たぶん、痛くはありません。ただ、気持ち悪いかもしれません」
「その説明の方が怖いな」
「私も怖いです」
イリスは正直に言った。
それで、こちらも少し落ち着いた。
彼女は小さな水晶片を三つ並べた。
一つ目はギルド判定用。
二つ目は魔塔式の魔力観測用。
三つ目は、刻印測定具から外した補助結晶。
もちろん、勝手に盗んだものではない。
ロゼッタが証拠保全の名目で借用手続きを取ったものだ。
「補助結晶の使用範囲は、表層から中層までです」
ロゼッタが念のために読み上げた。
「深層に触れる場合は中止。外部術式が応答した場合も中止。対象者本人が中止を求めた場合は理由を問わず中止」
「俺が言えなかったら?」
ミュールが即答した。
「ミュールが言う」
「俺が大丈夫だと言っても?」
「匂いが違ったら止める」
セリアも頷いた。
「貴殿の言葉だけでなく、状態を見る」
イリスは結晶の位置をわずかに直す。
「ありがとうございます。鑑定者は、反応に集中すると対象者の表情を見落とすことがあります。皆さんが見ていてください」
誰か一人が全部を見るのではない。
それぞれが、自分に見えるものを見る。
その形が、今の俺たちには合っていた。
「手を置いてください」
俺は三つの結晶の前に右手を置いた。
イリスが息を吸う。
「まず浅層。薬師反応」
結晶が淡く緑に光る。
「治癒師反応」
白い光が混じる。
「鑑定士、斥候、鍛冶師、錬金術師、聖職補助……」
光が次々と変わる。
それは見慣れた《マルチジョブ》の反応だった。
だが、イリスは眉を寄せた。
「やっぱり違います」
「何が」
「普通なら、複数ジョブの反応は並ぶはずです。薬師、治癒師、鍛冶師、というふうに。でもレオンさんの反応は、並んでいません」
彼女は紙に線を引いた。
横に並ぶ丸ではない。
丸と丸の間を通る一本の線。
「職能そのものではなく、職能を分ける境界が光っています」
イリスは別の紙に、俺がこれまで使った力を書き出した。
薬草の調合。
毒の中和。
傷の治癒。
装備の補修。
罠の発見。
魔力の流れの鑑定。
「一つ一つは、専門職の真似に見えます。でも、出力はどれも浅い。高位治癒師ほど深く治せるわけではない。鍛冶師のように一から名剣を打てるわけでもない」
「器用貧乏ってことか」
「悪く言えば。よく言えば、必要な表層機能を横断的に引き出せる」
イリスは線の上を指でなぞった。
「問題は、その横断の仕方です。普通はジョブ登録を通って力を使う。レオンさんは、登録の境目から力を引いている」
俺は、自分の過去の行動を思い返した。
なぜ、あの時できたのか。
なぜ、誰にも教わっていないことが、少しだけ分かったのか。
それは才能ではなく、境界に手をかけていたからなのかもしれない。
胸の奥が冷えた。
イリスは二つ目の結晶へ魔力を流す。
「中層。登録層接続」
三つの結晶が同時に震えた。
セリアの盾を持つ手に力が入る。
ミュールの耳が伏せる。
ロゼッタがすぐに記録を取る。
「止めるか?」
セリアが問う。
「まだ大丈夫」
俺は答えた。
気持ち悪い、というイリスの説明は正しかった。
痛みではない。
自分の手が、どこか遠くの書類棚に触れているような感覚。
名前ではなく番号で探されるような、嫌なざらつき。
「深層は見ません」
イリスが言った。
「見る必要がありません。もう反応しています」
三つ目の結晶。
刻印測定具の補助結晶が、黒に近い青で光っていた。
「未分類管理反応」
部屋が静まり返った。
ロゼッタのペンだけが、紙を走る。
「意味は」
俺の声がかすれた。
イリスは唇を噛み、それから顔を上げた。
「レオンさんは、全ジョブを持っているわけではありません」
その言葉は、思っていたよりも深く刺さった。
俺は便利なチートを失うのが怖かったのではない。
自分が何者なのか、別の言葉で定義されるのが怖かった。
追放された時、俺は無能な雑用係だった。
その後、《マルチジョブ》という名前を得た。
名前が変わるだけで、息ができた。
役立たずではない。
誰かを助けられる。
俺にも意味がある。
そう思えた。
だが今、その名前すら仮のものだと言われている。
マルチジョブ。
それは俺を救った言葉であると同時に、俺の正体を覆う薄い布だった。
布の下にあるものが、支配側の仕組みと同じ形をしているかもしれない。
それが怖かった。
「じゃあ、何だ」
イリスは結晶の光を見た。
「これ、ジョブをたくさん持っているんじゃありません」
彼女は紙に引いた線を指した。
「ジョブを分けている線に触れています」
俺の手の甲が、かすかに熱を持った。
境界。
分類。
登録。
俺の力は、ずっとその間にあった。
助けるための手だと思っていたものが、檻の鍵穴にも合う手だった。
イリスは結晶から手を離した。
「今日はここまでです。これ以上見ると、向こうから見られる可能性があります」
「向こう?」
「地下中枢です。レオンさんの反応は、こちらが調べているだけでは済まない。照合が返ってくるかもしれません」
ロゼッタが同意書に終了時刻を書き込む。
セリアは結晶を布で覆い、ミュールは窓の外を確認した。
ナギは俺の手を見て、短く言う。
「鍵は、鍵穴に近づくと鳴る」
俺は右手を握った。
鳴っている。
俺自身には聞こえない音で。
だからこそ、次はこの力が何を開けるのかを知らなければならない。
俺は同意書の自分の署名を見た。
そこには、主人とも、管理者とも、勇者とも書かれていない。
ただ、レオン。
その名前だけがある。
どんな権限が反応しても、どんな分類が光っても、俺がその名前を手放したら終わりだと思った。
マルチジョブという名が剥がれても、まだ俺は俺でいられるのか。
それを確かめるためにも、地下へ降りる前に、もう一つだけ決める必要があった。
この力を使う時、俺は誰かを対象として見るのではなく、相手の返事を聞く。
当たり前のことを、当たり前では済まさない。
その決意は、強そうな言葉ではなかった。
むしろ頼りない。
だが、頼りない確認を何度も重ねることが、命令ではない関係を作るのだと思った。
地下へ降りる前に、その弱さを手放してはいけない。
強い鍵より、確かめながら開ける手でいたい。
レオンの力は、ジョブをたくさん持つことではなく、ジョブを分ける線に触れる力でした。
地下へ降りる前に、命令ではない確認を積み重ねる必要があります。
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