表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
83/145

第083話 第零礼拝堂

 旧市街は、王都の中でいちばん古い顔をしている。


 大通りのような華やかさはない。

 王城前のような整った広さもない。


 石畳は所々で沈み、建物の壁は増築を重ねて歪み、路地はまっすぐ進む気が最初からないように曲がっている。


 人の暮らしが長く積もった場所だった。


 その足元に、第零礼拝堂がある。


 そう考えるだけで、石畳の一枚一枚が口を閉ざした古い証人に見えた。


「現在の地図では、この倉庫街です」


 ロゼッタが小さく畳んだ地図を袖の内側で開く。


「ですが、百年前の地図では旧礼拝堂。その前の地図では、文字が潰れています。さらに古い写しだと、第零礼拝堂と読める」


「礼拝堂なのに、教会の記録にはないのか」


「ありません。少なくとも公開記録には」


 ロゼッタの言い方は冷静だった。


 だが、冷静であればあるほど異常さが際立つ。


 王都の教会は、寄付金の少額な礼拝所まで記録する。


 それなのに、第零礼拝堂だけがない。


 最初から存在しなかったことにされたのか。


 それとも、存在を消す必要があったのか。


「礼拝堂を消すには、二つ方法があります」


 ロゼッタは地図を畳み直しながら言った。


「一つは、建物を壊すこと。もう一つは、名前を変えることです」


「ここは後者か」


「両方です。建物は失われ、名前は別の用途に上書きされています。倉庫街、共同井戸、地区保管所。どれも実務的で、誰も由来を気にしない名前です」


 王都は古いものを大切にする街だと思っていた。


 大聖堂の尖塔。

 王城の白壁。

 英雄像が並ぶ広場。


 だが、それは見せたい古さだけだ。


 見せたくない古さは、倉庫の床下に押し込められる。


 俺たちは、そういう場所を探している。


「巡回は?」


 俺が聞くと、ミュールが路地の影へ目を向けた。


「表の巡回兵が二人。地下管理局の職員が一人。あと、見物人のふりをした人が三人」


「多いか?」


「多く見せて少ない。ここへ来ると思ってる。でも、今日入るとは思ってない」


 ミュールの耳が小さく動いた。


「それと、地下管理局の人、巡回兵より偉そう」


 セリアが眉を寄せた。


「王都の治安を預かる巡回兵より、地下の役人が偉そうにしているのか」


「そう」


「気に入らんな」


「セリアが気に入らないもの、増えてる」


「貴殿らといると、世の中の不正がよく見える」


 その言葉は冗談のようで、冗談ではなかった。


 俺たちは倉庫街の入口で足を止めた。


 昼下がりの旧市街には、荷車を押す男、洗濯物を抱えた女、道端で豆を売る老人、走り回る子どもがいる。


 その中で、セリアは目立つ。


 だから彼女は、あえて前へ出すぎず、俺たちの少し横を歩いた。


 人の流れを乱さず、それでいて誰かが急に近づけば一歩で割り込める位置。


 盾を構えない前衛。


 それが今の彼女の役目だった。


 道端の老人が、豆の袋を並べながら俺たちを見た。


「観光かい」


 ロゼッタが自然に微笑む。


「古い井戸の位置を見ています。商会で水路の記録が必要になりまして」


「井戸なら、そこの奥だよ。けど使えん。地下の役所が蓋をした」


「地下の役所?」


「灰色の連中さ。昔は子どもが落ちるからって言ってたが、そんなに深い井戸じゃなかった。蓋をした後の方が、巡回が増えた」


 老人は豆を量りながら、何でもないことのように言った。


 この街の人々は、異常を日常として受け入れている。


 なぜ蓋をしたのか。

 なぜ巡回が増えたのか。

 なぜ誰も中を見ないのか。


 そういう問いは、暮らしの中で少しずつ削られていく。


 ロゼッタは豆を一袋買い、礼を言って離れた。


「井戸も候補に追加します」


「倉庫、井戸、旧礼拝堂跡。入口を複数にしているのか?」


「もしくは、入口だった場所を複数潰しているのかもしれません」


「レオン」


 イリスが小声で言った。


「支援は使わないでください」


「分かってる」


「完全に使わない、ではなく、反射で使わないようにしてください。危険があった時、いつもの癖で身体強化を入れると、入口の封印が反応するかもしれません」


「それは難しいな」


「難しいから、言っています」


 イリスは真面目だった。


 俺が誰かを助けようとする時、支援術はもう癖になっている。


 だが、その癖が地下中枢の鍵になるなら、焦りは命取りだ。


「抑える」


「はい。抑えてください。必要になったら、私が言います」


 そう言われると、不思議と楽になった。


 一人で抑えるのではない。


 見ていてくれる者がいる。


 それだけで、力を使わないことも選択になる。


 ナギがふと立ち止まった。


 場所は、倉庫と古い井戸の間だった。


 石畳の一枚に、ほとんど消えかけた傷がある。


 普通なら、荷車の車輪跡にしか見えない。


 だが、ナギは膝をつき、その線を指でなぞらずに見つめた。


「ここ」


「鍵紋か?」


「似ている。東雲では、門に触れる前に足を置く印」


 ナギは石畳に触れなかった。


 触れずに、指の影だけで線を追う。


「右足を置いて、左手で空を切る。けれど、これは東雲の型より古い。逆向きに刻まれている」


「逆向きだと、何が違う」


「開く型ではない。閉じる型」


 ナギの答えに、背筋が冷えた。


「外から入る者を通すのではなく、中から出るものを止めるための型。東雲で習った形は、その逆だった。たぶん、後の時代に変えられている」


「何かを封じた後、鍵の使い方だけ残った?」


「かもしれない」


 ナギは淡々と言った。


 しかし、その横顔は硬い。


 彼女の一門が守っていたものは、神聖な門だったのか。


 それとも、誰かを閉じ込める檻だったのか。


 まだ答えはない。


 イリスが少し離れた場所に立ち、目を細めた。


「触れないでください。術式が眠っています」


「見えるのか」


「見えます。いえ、見えないのに、あるのが分かる感じです」


 イリスは額に汗を浮かべていた。


 彼女は魔力を流していない。


 ただ、古文書庫で覚えた文様と、石畳に残る鍵紋を頭の中で重ねている。


「線が地下へ落ちています。表面の石畳はただの蓋です。でも、下に封印の流れがある」


「入口か」


「入口候補です。今開けるのは無理です」


 ロゼッタが地図を見比べる。


「この位置、旧地図の中央ではありません。礼拝堂なら祭壇があったはずの場所から少し外れています」


「なぜ外す?」


「本当の入口を祭壇に置くと分かりやすいからです」


 ロゼッタは唇を引き結んだ。


「隠す側の発想ですね」


 その時、近くの倉庫の扉が開いた。


 灰色の外套を着た男が一人、木箱を抱えて出てくる。


 地下管理局の職員。


 袖には崩した文字の印。


 彼は俺たちを見た。


 見たが、何も言わなかった。


 ただ一瞬だけ、ナギの足元と、俺の手を見た。


 ぞっとした。


 相手は鍵紋を知っている。


 そして、俺がそれに反応する可能性も知っている。


「移動しましょう」


 ロゼッタが静かに言った。


「ここで立ち止まり続けるのは不自然です」


 俺たちは歩き出した。


 ナギは最後に一度だけ、石畳を見た。


 その目は、闘技場の檻を見ていた時とは違う。


 もっと遠いものを見ていた。


「ナギ」


「大丈夫」


「本当に?」


「分からない。でも、逃げたい感じではない」


 それは彼女にとって、大きな言葉だった。


 逃げたいのではなく、知りたい。


 死に場所を探していた剣奴が、失った一門の意味を知ろうとしている。


 それだけで、第零礼拝堂へ降りる理由は一つ増えた。


 路地を抜ける直前、イリスが足を止めた。


「待ってください」


「どうした」


「封印が、今、反応しました」


 誰も石畳に触れていない。


 ナギも鍵紋から離れている。


 俺も支援術を使っていない。


「誰に反応した」


 イリスは俺の手を見た。


 俺の手の甲に、薄い熱があった。


 見ると、皮膚の下で淡い線が一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。


 ナギの鍵紋ではない。


 東雲流の型でもない。


 封印は、俺にも反応していた。


「レオン様」


 ロゼッタの声が硬くなる。


「地下へ入る前に、貴方の力をもう一度調べる必要があります」


 俺は自分の手を握った。


 何かを開ける鍵。


 それが救いの鍵なのか。


 それとも、檻を管理するための鍵なのか。


 まだ分からなかった。


 俺は右手を背中側へ隠した。


 隠しても熱は消えない。


 むしろ、見ないことで余計にはっきり分かる。


 皮膚の下にある線が、石畳の下の線と呼び合っている。


 呼び声は言葉ではなかった。


 許可でもない。

 命令でもない。


 ただ、照合される感覚。


 お前は何に登録されている。

 お前はどこへ属している。

 お前は通行を許された者か。


 そう問われている気がした。


 俺はその問いに、まだ答えを持っていない。


 旧市街の路地を抜けると、王都の鐘が鳴った。


 いつもなら、時刻を知らせるだけの音だ。


 だが今は、地下から響いているように聞こえた。


 地上の人々は何も変わらず歩いている。


 その足元にあるものを知らない。


 俺たちも、まだ知らない。


 けれど第零礼拝堂は、もうこちらを見つけている。


 入口を探しているつもりだった。


 だが、本当は違うのかもしれない。


 入口の方が、俺たちの中にある鍵を探していた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ