第008話 マルチジョブ
翌朝。
マルタは、俺の話を最後まで聞く前に眉間を押さえた。
「また無茶をする相談ですね」
「今回はまだ相談の段階です」
「相談で終わる人の顔ではありません」
朝の冒険者ギルドは、昨日より混んでいた。
討伐帰りの冒険者が素材を運び込み、採取組が掲示板の前で言い合い、酒場では夜勤明けらしい連中が朝から酒を飲んでいる。
そんな中、俺はセリアを連れて受付へ来ていた。
セリアは外套で首輪を隠している。
だが、立ち姿で目立つ。
粗末な服装でも背筋がまっすぐで、周囲の冒険者たちが自然と視線を向ける。
「登録ですか」
マルタがセリアを見る。
「現状では無理だ」
セリアが答えた。
「奴隷身分のままでは、個人登録はできないのだろう」
「できますが、所有者の同意と責任保証が必要です」
「所有者ではない」
俺が言うと、マルタの視線がこちらへ移った。
「法的には所有者です」
「法的には、な」
「その言い方を役人の前でしないでください。面倒が増えます」
正しい。
マルタは書類を一枚出した。
「一時同行者としてなら登録できます。依頼達成時の報酬配分はあなたに入りますが、ギルド側の記録には彼女の名前も残せます」
セリアの表情がわずかに変わった。
「名前が残るのか」
「はい。奴隷番号ではなく、申告名で」
マルタは淡々と言った。
「ただし、犯罪歴照会が入れば止まります」
「構わない」
セリアの声は静かだった。
「セリア・アルトレイン。元聖騎士だ」
受付周辺の空気が固まった。
誰かが小さく「元聖騎士?」と呟く。
別の誰かが「王都で罪人になった女じゃ」と囁く。
セリアは視線を逸らさなかった。
マルタも表情を変えず、書類に名前を書いた。
「申告名、セリア・アルトレイン。同行責任者、レオン・グランヴィル」
羽根ペンの音が妙に大きく聞こえた。
「で、相談とは」
「解呪素材と聖銀加工について知りたい」
俺は昨夜の図面を出した。
マルタはそれを見て、眼鏡を押し上げる。
「あなた、これを描いたんですか」
「たぶん」
「たぶん?」
「途中から記憶が曖昧で」
「不安になる答えですね」
彼女は図面を読み込む。
専門家ではないが、ギルド受付として呪い付き装備や契約書を見る機会は多いのだろう。
「聖銀草、月光水、浄化塩。聖銀加工なら南通りのガレス工房です。ただし、ガレスさんは偏屈です」
「偏屈」
「腕はいいですが、気に入らない客の仕事は金貨を積んでも断ります」
「紹介状は」
「書けます。あなたが昨日、荷馬車の積み荷を回収した件がありますから」
「助かる」
「助けてはいません。素材が無駄にならず、ギルドの記録がきれいになっただけです」
マルタはそう言いながら、紹介状を書いてくれた。
その時、隣の窓口で冒険者が声を荒らげた。
「だから、毒消しが効かなかったんだよ!」
若い槍使いが腕を押さえている。
袖の下から黒紫の腫れが覗いていた。
受付の職員が慌てる。
「治療院へ」
「金がねえって言ってんだ! 低級毒だって聞いたから市販薬で」
俺は思わず立ち上がった。
癖だった。
勇者パーティでも、誰かが怪我をすれば体が先に動いた。
「見てもいいか」
槍使いがこちらを睨む。
「誰だよ」
「薬の心得が少しある」
マルタが俺を見る。
「レオンさん」
「悪化が早い」
腫れの色、血管の浮き方、汗の匂い。
低級毒ではない。
泥牙狼の腐食毒に似ているが、もっと遅効性。
「赤喉蛇の変異毒だ」
俺が言うと、周囲がざわついた。
「赤喉蛇は森の奥だぞ」
「昨日、薬草場に出たって話があった」
「市販の毒消しじゃ効かないな」
俺はマルタを見る。
「灰塩、苦根草、強い酒はありますか」
「あります」
「借ります」
「代金は」
「あとで払います」
マルタはため息をつきながらも、すぐに職員へ指示した。
俺は槍使いの腕を机に置かせる。
布で縛り、毒の広がりを遅らせる。
灰塩と苦根草を潰し、酒で溶く。
ただ塗るだけでは足りない。
熱がいる。
俺は燭台の火に小型ナイフをかざした。
その瞬間、指先にまた光が灯った。
緑。
薬草師の調合。
淡い白。
治癒師の促進。
鈍い銀。
錬金術師の変質。
それぞれが別々の感覚なのに、同時に動く。
俺は毒の流れを見た。
血管に沿って広がる黒い線。
その手前に薬を入れる。
熱で開き、灰塩で中和し、苦根草で毒を吸わせる。
「痛むぞ」
「もう痛えよ!」
「なら少し増える」
槍使いが文句を言う前に処置した。
悲鳴。
周囲の冒険者が顔をしかめる。
だが、黒紫の腫れは少しずつ薄くなった。
「治療院へ行け。完全には抜けていない。今日は酒を飲むな」
「今、酒で薬作ってなかったか」
「飲むのと塗るのは違う」
槍使いは汗だくで頷いた。
マルタが静かに言った。
「薬師、治癒師、錬金術師。今の処置、どれですか」
「……全部少しずつ」
そう答えるしかなかった。
セリアが俺を見ている。
昨日と同じ目だ。
疑いではなく、探る目。
「レオン。貴殿の職業は本当に雑用係なのか」
「少なくとも、勇者パーティではそうだった」
「ギルドの職業判定を受けますか」
マルタが提案した。
「簡易判定ならここでできます。正確なものではありませんが、登録職の参考にはなります」
俺は少し迷った。
自分の職業。
これまで、正式に調べたことはない。
勇者パーティでは、俺が何者かなど問題にされなかった。
便利に使えればよかったからだ。
「受けます」
判定石は受付奥の小部屋にあった。
手のひらほどの透明な石。
触れると、適性の強い職業が光として浮かぶらしい。
俺は手を置いた。
石が白く光る。
治癒師。
次に緑。
薬師。
赤茶。
鍛冶師。
青。
魔導師。
金。
聖職者。
灰。
斥候。
黒。
罠師。
紫。
錬金術師。
光が次々と変わり、やがて石全体がひび割れそうなほど明滅した。
マルタが無言で記録板を落とした。
セリアは息を呑んでいる。
「これは」
俺は手を離した。
判定石はまだ淡く光っている。
マルタが慎重に言った。
「通常、適性は一つ。多くて二つ。三つあれば希少です」
「今のは」
「数えきれません」
部屋の中が静かになる。
俺は自分の手を見た。
勇者パーティでは、何でも少しずつできる男だった。
だが、何か一つに秀でた者ではないと思っていた。
違ったのか。
「複数職業適性」
マルタが呟く。
「いえ、これは……マルチジョブ?」
聞いたことのない言葉ではなかった。
古い冒険譚に出てくる伝説級の適性。
複数の職業を扱い、状況に応じて切り替える者。
だが、実在は疑われている。
「俺が?」
「少なくとも、この判定石はそう反応しました」
セリアが静かに言う。
「だから、私の呪印が読めたのか」
「たぶん」
俺はまだ信じきれなかった。
もし本当にそうなら。
勇者パーティで五年間、俺は何をしていたのだろう。
無能だと言われ、雑用係として扱われ、便利なだけの男だと思い込んでいた。
だが、その雑用の一つ一つが、全部職業の断片だったのかもしれない。
マルタは判定石を布で覆った。
「この結果は、今は記録に残しません」
「いいのか」
「残せば騒ぎになります。王都にも届くでしょう」
王都。
アルベルト。
勇者パーティ。
胸の奥がざわついた。
「助かる」
「助けてはいません」
マルタはいつものように言った。
「面倒を避けているだけです」
ギルドを出ると、セリアが隣に並んだ。
首輪の鎖は、外套の下で短くまとめてある。
「レオン」
「何だ」
「私はまだ、貴殿を信じたわけではない」
「ああ」
「だが、貴殿が私の呪いを解ける可能性は認める」
「それは信用に近いのか」
「利害の一致だ」
「十分だ」
セリアは前を向いたまま言った。
「依頼を受けるのだろう。素材と金が要る」
「体は」
「歩ける」
「戦えるか」
「少しなら」
「倒れたら」
「貴殿が担げ」
「命令か」
セリアは一瞬だけこちらを見た。
「頼みだ」
その言い方が、妙にぎこちなかった。
俺は笑いそうになり、こらえた。
「わかった」
彼女はまだ俺を信じていない。
俺も、自分の力を信じきれていない。
だが、二人で進む理由はできた。
まずは素材と金。
そして、聖銀を扱える鍛冶師。
雑用係だった俺の新しい仕事は、どうやら簡単には終わらないらしい。
ギルドの外では、昼の鐘が鳴っていた。
通りを歩きながら、俺はまだ自分の手を見ていた。
マルチジョブ。
その言葉は、やけに大きい。
自分には似合わない。
だが、セリアは俺の手ではなく、前を見ていた。
「浮かれるな」
「浮かれているように見えるか」
「戸惑っているように見える。だが、力の名前がわかっただけだ。貴殿自身が急に別人になったわけではない」
「厳しいな」
「騎士団では、称号に酔う者から死んだ」
言い方は硬い。
けれど、忠告だった。
俺は頷く。
全ジョブ適性だろうが、マルチジョブだろうが、今の俺には金も素材も足りない。
首輪も外せていない。
セリアの呪印も残っている。
名前だけで救えるものはない。
それでも、何ができるかわからなかった昨日よりはましだ。




