第007話 呪い付き聖騎士の診断
奴隷市場で出会った元聖騎士セリアとの話です。
奴隷制度の描写がありますが、主人公が彼女を支配する物語ではなく、解放へ向かう物語として進みます。
夜明け前、俺は机に突っ伏した姿勢で目を覚ました。
首が痛い。
腕の傷も痛い。
そして、机の上には自分で描いたはずの図が散乱している。
首輪の構造。
呪印の流れ。
セリアの魔力路らしき線。
契約文字の写し。
眠る前にここまで描いた記憶はない。
途中から、手が勝手に動いていたような感覚がある。
ただの勘ではない。
知識とも違う。
勇者パーティで身につけた雑多な経験が、一本の線になって首輪の仕組みを読ませている。
「起きたか」
声に顔を上げる。
セリアは寝台に腰かけていた。
粗末な白布の上から宿の毛布を肩にかけている。
顔色は昨日より少しだけましだ。
それでも、目の下には疲労が残っている。
「寝ていないのか」
「少しは眠った」
「それは俺も同じだ」
「貴殿は椅子で寝ていただけだ」
「机も使った」
「誇ることではない」
セリアの口調は相変わらず硬い。
だが、昨日よりわずかに棘が減っている気がした。
俺は背筋を伸ばし、図面をまとめる。
「診断を続けたい。今度は少し触れる必要がある」
セリアの表情が閉じる。
「どこに」
「首輪の外縁と、呪印の端。直接肌に触れる時間は短くする」
「拒めば?」
「今日はやめる」
「本当に?」
「本当に」
彼女はしばらく俺を見た。
買い主の言葉を信じるのではない。
俺が嘘をついているか、見極めている。
「……わかった」
セリアは毛布を外し、首元を見せた。
黒鉄の首輪。
黒い蔦の呪印。
近くで見るほど、嫌な術式だった。
俺はまず、両手を洗った。
布で拭き、薬草液を指に塗る。
触れる場所を口に出しながら確認する。
「首輪の右側から見る。痛ければ言ってくれ」
「痛みには慣れている」
「慣れていても言ってくれ」
セリアは答えなかった。
だが、拒まなかった。
俺は指先を首輪に触れた。
冷たい。
ただの鉄ではない。
魔力を吸う性質のある黒鋼に、契約文字を焼き込んである。
視界の奥で、文字が意味を持ち始める。
所有。
拘束。
服従。
罰。
譲渡。
一般的な奴隷契約文字だ。
だが、その下に薄く別の文字がある。
隠蔽。
遮断。
証言封鎖。
聖印剥奪。
「ひどいな」
思わず声が漏れた。
セリアの肩がわずかに動く。
「何が見えた」
「奴隷契約の下に、別の封印がある。君の力を抑えているだけじゃない。何かを話せないようにしている」
「話せない?」
「王族暗殺未遂の件に関係があるかもしれない」
セリアの瞳が揺れた。
「私は、王族を殺そうとしていない」
低い声だった。
「覚えているのか」
「断片だけだ。私は護衛についていた。王弟殿下の式典だった。突然、殿下が倒れ、私の剣に毒が塗られていたと言われた」
「実際は?」
「私は剣を抜いていない」
セリアの声が硬くなる。
「だが、証人は全員、私が剣を抜いたと言った。聖騎士団長も、同僚も、民衆も」
「記憶をいじられた可能性は」
「わからない」
彼女の手が膝の上で強く握られている。
「裁判は一日で終わった。聖印を剥奪され、奴隷落ちが決まった。私は何度も弁明しようとした。だが、肝心なところで声が出なかった」
証言封鎖。
俺は図面の文字に目を落とす。
「呪印のせいだ」
「やはり、そうか」
セリアの顔に怒りはなかった。
むしろ、どこか諦めに近い。
その表情が腹立たしかった。
「まだ終わってない」
「何?」
「証言を封じられていたなら、君が黙ったわけじゃない。冤罪の証拠になる」
「証拠を出せるのか」
「今は無理だ。でも、この術式を写せば手がかりになる」
俺は首輪から指を離し、今度は呪印の端に触れた。
セリアの体がびくりと震える。
「痛むか」
「少し」
「やめるか」
「続けろ」
命令口調だった。
だが、自分から選んだ言葉でもある。
俺は慎重に魔力を流す。
流す、と言っても、俺に魔導師のような大きな魔力があるわけではない。
薬草液を媒介に、指先から微細な刺激を入れるだけだ。
しかし、反応はすぐに出た。
黒い蔦が、肌の下でうごめく。
セリアの呼吸が詰まった。
「すまない」
「続けろと言った」
「なら、続ける」
呪印は聖属性の流れを塞いでいる。
聖騎士としての力を封じ、筋力と反応も落としている。
さらに、過去の特定記憶に触れると痛みを走らせる構造。
封印というより、枷だ。
いや、もっと悪い。
セリア本人の魔力を利用して、セリア自身を縛っている。
「君の力で、君を縛っている」
「どういう意味だ」
「外から押さえつけるだけなら、外の術式を壊せばいい。でもこれは、君の聖騎士としての魔力を逆流させて鎖にしている。力を取り戻そうとするほど、呪印が締まる」
セリアは黙った。
青い瞳が、机の上の図面に落ちる。
「だから、私は剣を握れなかったのか」
「たぶん」
「守るべき者を前に、足が動かなかった」
「呪印のせいだ」
「それでも、動けなかったのは私だ」
その言葉に、返す言葉を少し探した。
「俺は昨日、勇者パーティを出た」
セリアがこちらを見る。
「追放されたと言ったな」
「ああ。戦闘で役に立たないと言われた。俺も、少しはそう思っていた」
「今もか」
「わからない」
正直に言う。
「でも昨日、泥牙狼から逃げて素材を持ち帰った。戦い方は一つじゃないと思った」
「私に慰めを言っているのか」
「俺にも言っている」
セリアは少しだけ目を細めた。
「正直すぎるな」
「嘘をつく余裕がない」
俺は図面に新しい線を書き加えた。
解呪には順番が必要だ。
まず体力回復。
次に首輪と呪印の接続を緩める。
その後、聖属性を少しずつ本来の流れへ戻す。
最後に契約線を切る。
必要な素材。
聖銀草。
月光水。
浄化塩。
細工できる聖銀の輪。
聖銀の加工は鍛冶師が必要だ。
「すぐには無理だ」
俺は言った。
「素材と道具が要る。あと、聖銀を扱える鍛冶師」
「金は」
「ない」
「だろうな」
「今日から稼ぐ」
「私も行く」
即答だった。
「無理だ。体力が戻っていない」
「貴殿一人では危険だ」
「君が倒れるほうが危険だ」
「私は騎士だ」
「今は怪我人だ」
セリアの眉が吊り上がる。
怒らせた。
だが、ここは譲れない。
「騎士として扱ってほしいなら、まず回復してくれ。弱ったまま無茶をされると、俺の作戦が崩れる」
「……作戦?」
「そうだ。君を守るためじゃない。勝つために必要だから休んでほしい」
セリアは口を開きかけ、閉じた。
守られるだけだと言えば、彼女は反発する。
だが、戦力として必要だと言えば、少しだけ届く。
彼女はそういう人間だ。
「貴殿は、人の扱いがうまいのか下手なのかわからないな」
「俺もわからない」
その時、俺の指先に再び光が集まった。
図面の上に、白、青、金、緑の細い魔法陣が重なる。
薬草液が反応し、首輪の構造図の上で淡く光った。
セリアが息を呑む。
「それは、何の術式だ」
「わからない」
俺は自分の手を見る。
治癒の流れ。
錬金の変換。
聖職者の浄化。
鑑定士の解析。
全部が少しずつ混じっている。
勇者パーティ時代、俺はどれも正式には名乗れなかった。
だが、必要に迫られて覚えた。
仲間が怪我をすれば治療を手伝い、薬がなければ作り、装備が壊れれば直し、呪詛を受ければ文献を漁った。
その全部が、今ここにある。
「レオン」
セリアは俺の名を呼んだ。
昨日までの「貴殿」ではない。
俺は顔を上げる。
「貴殿は、本当に何者だ」
答えられない。
だが、少なくとも昨日までの俺よりは、少しだけ知りたいと思った。
自分が何者なのか。
そして、この力で彼女の首輪を外せるのか。
俺は図面の端に、必要なものをもう一度書き出した。
聖銀草。
月光水。
浄化塩。
聖銀の緩衝輪。
封印に詳しい者の助言。
どれも簡単には手に入らない。
だが、順番は見えた。
勇者パーティにいた頃、俺はいつも誰かの無茶を予定に落とし込んでいた。
アルベルトが明日には出発すると言えば、今夜中に食料と薬と馬具を整えた。
クラウスが新しい魔法を試すと言えば、暴発した時の避難位置を先に考えた。
ダリオが剣を酷使すれば、折れる前提で予備の短剣を用意した。
今度は、誰かに押しつけられた予定ではない。
俺が自分で選んだ予定だ。
その違いだけで、同じ雑務の山が少しだけ軽く見えた。
セリアは寝台の上で目を閉じている。
眠っているのか、眠ったふりをしているのかはわからない。
ただ、呼吸は少し落ち着いていた。
俺は燭台の火を小さくした。
明日からは、金を稼ぎ、素材を探し、鍛冶師を見つけなければならない。
やることは多い。
だが、不思議と頭は澄んでいた。
誰かに「雑用」と呼ばれた作業が、今は一人の首輪を外すための道筋になっている。
それが少しだけ、救いのように思えた。
窓の外が白み始める。
新しい一日が来る。
王都で失った肩書きの代わりに、俺は一枚の図面を手にしていた。
それは、俺が初めて自分で選んだ仕事の設計図だった。
雑用として積み上げてきた知識が、セリアの首輪を外すための設計図になりました。
次回、レオンの力に名前がつきます。
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