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第006話 命令はしない

奴隷市場で出会った元聖騎士セリアとの話です。

奴隷制度の描写がありますが、主人公が彼女を支配する物語ではなく、解放へ向かう物語として進みます。

 奴隷市場を出た途端、セリアは足を止めた。


 夕暮れの通りを、冒険者や商人が行き交っている。

 誰もが一瞬だけこちらを見る。

 粗末な白布を着た金髪の女。

 黒鉄の首輪。

 鎖。

 そして、その隣を歩く血まみれの新米冒険者。


 目立たないほうが難しい。


「どうした」


 俺が尋ねると、セリアは無表情のまま言った。


「宿はどこだ」


「まだ決めていない」


「では、先に決めろ。私は逃げない」


 逃げない。

 その言葉の平坦さが、逆に痛かった。


 逃げられない、ではない。

 逃げない。

 彼女は自分でそう言った。


「鎖は」


「持て」


 セリアは短く言った。


「そのほうが周囲に説明しやすい」


「俺は持たない」


「買い主が奴隷の鎖を持たずに歩けば、不審に思われる」


「思われてもいい」


「よくない。貴殿はこの町の事情を知らない。奴隷を連れている者が管理責任を放棄していると見られれば、商会か衛兵が口を出す」


 言っていることは正しい。


 俺は周囲を見た。

 市場の門番らしき男が、こちらをちらちら見ている。

 確かに、このままでは面倒になる。


「なら、鎖を俺の腰に結ぶ。引かない。持たない。ただ、形式だけだ」


 セリアは少しだけ眉をひそめた。


「奇妙な妥協だな」


「奇妙な状況だからな」


 俺は鎖の端を腰のベルトに軽く通した。

 引けばすぐ外れる。

 拘束というより、ただの合図だ。


 セリアはそれを見て、何か言いたげに口を開き、結局閉じた。


 通りを歩き出す。


 彼女の足取りは思ったより不安定だった。

 背筋だけはまっすぐだが、膝に力が入っていない。

 奴隷市場で見た時から気づいていたが、かなり消耗している。


「少し休むか」


「必要ない」


「必要に見える」


「命令か」


 言葉が鋭い。


 俺は立ち止まった。


「命令じゃない。提案だ」


「奴隷に提案する買い主などいない」


「ここにいる」


「ふざけているのか」


「わりと真面目だ」


 セリアは俺を見た。

 青い瞳の奥に、苛立ちと困惑が混じっている。


 彼女にとって、買い主とは命令する者なのだろう。

 従うか、逆らうか。

 その二択しかない。


 俺がそのどちらにも乗らないせいで、彼女は対応に困っている。


「宿を探す」


 俺はそう言って歩き出した。


 北通りの安宿は満室だった。

 鉱山で大きな仕事が入ったらしく、冒険者たちが部屋を押さえている。

 二軒目は奴隷連れを嫌がった。

 三軒目は値段が高すぎた。


 四軒目の《錆びた鐘》という宿で、ようやく部屋が取れた。

 ただし一部屋。

 寝台は二つ。


 宿の女将は俺とセリアを見比べ、何かを察したような顔をした。


「騒ぎは困るよ」


「騒がない」


「首輪付きは地下の共同部屋に入れる客が多いけど」


「同じ部屋でいい」


 セリアがこちらを見た。


 俺は女将に銀貨を渡し、水と食事を頼んだ。


 部屋に入ると、セリアは入口近くに立ったまま動かなかった。


 狭い部屋だ。

 寝台が二つ。

 小さな机。

 洗面桶。

 窓は通りに面している。


 俺はまず、腰に通していた鎖を外した。


「座ってくれ」


「命令か」


「頼みだ」


「……」


「立っていると倒れそうだ」


 セリアは少しだけ唇を結び、奥の椅子に腰を下ろした。

 座る動作だけでも、痛みに耐えているのがわかる。


 俺は洗面桶に水を注ぎ、布を濡らした。


「傷を見てもいいか」


「断る」


「わかった」


 俺は布を机に置く。


 セリアが怪訝そうに見る。


「無理に見ないのか」


「断られたからな」


「私は奴隷だ」


「そういう扱いをしたいなら、もっと金持ちの男に売られていた」


 言った瞬間、少し言葉が強すぎたかと思った。


 だが、セリアは怒らなかった。

 ただ、目を伏せた。


「あの男に買われていれば、私はおそらく首輪で殺されていた」


「なぜそこまで逆らう」


「屈服するよりましだ」


 即答だった。


 その声は冷たい。

 だが、冷たさの下に、燃え残った誇りがある。


 俺は椅子の向かいに座った。


「俺はレオン・グランヴィル。元勇者パーティの雑用係だ」


 セリアの瞳がわずかに動く。


「勇者パーティ?」


「昨日、追放された」


「……なぜ」


「戦闘で役に立たないからだそうだ」


「貴殿が?」


「俺が」


 セリアは俺の外套の裂け目、腕の傷、腰の道具、背嚢の中身を見た。


「その割には、一日で私の代金を稼いだ」


「戦わずに逃げ回っただけだ」


「生きて戻るのも技量だ」


 意外な言葉だった。


 俺は少し驚いて彼女を見た。


 セリアはすぐに視線を逸らす。


「聖騎士団では、撤退判断も戦術のうちだった」


「なら、俺は聖騎士向きかもしれない」


「冗談を言う余裕はあるのだな」


「痛み止めが効いている」


「飲んだのか」


「飲んでいない」


「では効いていない」


「気のせいで効いている」


 セリアは本当にわずかだが、呆れた顔をした。


 そこへ女将が食事を運んできた。

 黒パン、豆の煮込み、干し肉入りのスープ。

 豪華ではないが、温かい。


 セリアは食卓を見ても手を伸ばさなかった。


「食べてくれ」


「命令か」


「頼みだ」


「買い主が奴隷に頼むな」


「では、俺が困る。君が倒れると、首輪を外す相談ができない」


「……理屈をつけるのがうまいな」


 ようやくセリアはスープに手を伸ばした。


 最初の一口を飲んだ瞬間、彼女の指が震えた。

 顔は変えない。

 だが、空腹だったのだろう。


 彼女はゆっくり、けれど確実に食べた。


 俺も向かいでパンをかじる。

 腕の傷がじくじく痛む。

 だが、先にやることがある。


 食事が終わると、俺は机に道具を並べた。

 残った薬草。

 小型ナイフ。

 針。

 魔力測定用の銅線。

 安宿で借りた燭台。


「首輪を見せてくれ」


 セリアは手を止めた。


「外せるのか」


「見ないとわからない」


「外そうとして失敗すれば、首が締まる」


「だろうな」


「呪印も反応する」


「それもたぶん」


「なら、やめておけ」


「やめたら外れない」


 セリアは俺を睨んだ。


「なぜそこまでする」


「俺が買ったから」


「なら、私は貴殿の所有物だ。所有物を壊さないよう管理すればいい」


「違う」


 自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。


 セリアが黙る。


「俺が買ったのは、君の命じゃない。少なくとも俺はそう思っていない」


「では何を買った」


「あの檻から出す機会」


 言葉にすると、少し青臭かった。

 だが、それ以外に言いようがなかった。


「その先は、君が決めればいい」


 セリアは長く黙った。


 窓の外で、酔った冒険者の笑い声が聞こえる。

 宿の階下では、食器のぶつかる音。


 やがて彼女は、ゆっくりと首元の布をずらした。


 黒鉄の首輪。

 内側に刻まれた契約文字。

 そして鎖骨から伸びる黒い蔦の呪印。


 近くで見ると、予想以上に複雑だった。


 奴隷契約。

 封印術。

 聖属性の遮断。

 記憶封鎖らしき術式。


 混ざっている。


 普通の奴隷首輪ではない。


「これは……」


 俺が呟くと、セリアが静かに言った。


「私を買ったことを後悔したか」


「いや」


「強がるな」


「後悔するには、まだ調べ足りない」


 俺は銅線を燭台の火で温め、首輪の外縁に近づけた。

 直接触れない。

 魔力の反応だけを見る。


 銅線が黒く変色する。


 呪詛。


 次に薬草の汁を一滴垂らす。

 液体が弾かれ、細い煙を上げた。


 封印。


 最後に、俺は自分の指先を首輪の手前で止めた。


 その瞬間、頭の奥で何かが開いた。


 線が見える。

 首輪の契約線。

 呪印の流れ。

 セリアの本来の魔力路。


 それらが絡まり、黒い結び目になっている。


 外すなら、順番がいる。

 首輪を先に壊せば呪印が締まる。

 呪印を先に剥がせば首輪が所有権を主張する。

 契約線を切るには、封印の中心を見つけなければならない。


 俺は息を止めた。


 これは、俺に見えているのか。


 なぜ。


「レオン」


 セリアの声で我に返る。


 彼女が俺の手元を見ていた。


 俺の指先に、薄い光の線が浮かんでいる。

 白、青、金、淡い緑。

 複数の性質の魔力が、同時に重なっていた。


「貴殿は……何者だ」


 セリアの声には、初めて明確な動揺があった。


 俺にも答えはなかった。


 ただ、わかることが一つだけある。


 この首輪は、今すぐ力任せに外せるものではない。

 そして、セリアの呪印はただの呪いではない。


「すぐには外せない」


 俺は正直に言った。


 セリアは少しだけ目を伏せた。


「そうか」


「だが、外す方法はある」


 彼女の瞳が戻る。


「本当か」


「たぶん。必要なのは素材と道具。それから、君の体力だ」


「命令すればいい。休め、食え、従えと」


「命令はしない」


「なぜ」


「君が自分で選ぶ必要があるからだ」


 セリアは俺を見ていた。


 疑いは消えていない。

 当然だ。

 昨日まで檻の中にいた相手に、今日いきなり信じろと言うほうが無理だ。


 けれど、彼女は布を戻さなかった。


「……なら、私はどうすればいい」


「まず寝る」


「それは命令か」


「頼みだ」


「貴殿は本当に面倒な男だな」


 セリアはそう言って、初めて自分から寝台へ向かった。


 俺は椅子に座り直し、首輪の写しを紙に描き始めた。


 眠気は来ない。


 頭の中で、複数の知識がまだ重なり続けている。


 薬師。

 治癒師。

 錬金術師。

 聖職者。

 鑑定士。


 どれも俺の正式な職業ではない。


 それなのに、今夜の俺は、そのすべてに似た何かを少しずつ使った気がする。

 ただ、それが何なのかを呼ぶための言葉は、まだ俺の中になかった。


レオンは命令ではなく、食事と休息を差し出しました。

次回、セリアの首輪と呪いを診る中で、レオン自身の異常な適性も見え始めます。

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