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第005話 彼女の値段は、彼女の価値ではなかった

奴隷市場で出会った元聖騎士セリアとの話です。

奴隷制度の描写がありますが、主人公が彼女を支配する物語ではなく、解放へ向かう物語として進みます。


「無茶です」


 ギルド受付のマルタは、俺が事情を説明し終える前にそう言った。


「まだ全部話していません」


「顔に書いてあります。短時間で大金を稼ぎたい。危険でもいい。理由は言えない。そういう顔です」


 丸眼鏡の奥の目が、容赦なく俺を刺す。


「理由はあります」


「理由があれば死なないわけではありません」


「死ぬつもりはありません」


「死ぬ人はだいたいそう言います」


 正論だった。


 俺は受付の前で息を吐いた。

 奴隷市場で前金を入れた時点で、後戻りはできない。

 道具の多くも預けてしまった。

 残っているのは最低限の薬草、短剣、地図、針と糸の小箱くらい。

 腰の内側に縫い込んでいた非常用の小袋も、昨日の前金で空になっている。


 金貨一枚と上乗せ分。

 普通の薬草採取では到底足りない。


「高額で、今日中に報酬が出る依頼はありますか」


「あります」


 マルタは即答した。


「ただし、あなたには出せません」


「内容だけでも」


「西森手前の廃道で、荷馬車が横転しました。積み荷は魔力を帯びた薬草と鉱石。回収できれば高額。ただし周辺に泥牙狼が出ています」


「泥牙狼……」


 森と湿地の境に出る魔物だ。

 群れで動く。

 牙に腐食毒を持ち、普通の革鎧なら噛み裂く。

 単独冒険者が相手にする魔物ではない。


「討伐依頼ではありません。回収依頼です。ですが、遭遇すれば戦闘になります」


「荷馬車の位置は」


「聞こえませんでしたか。出せません」


「場所を教えてください」


 マルタの眉間にしわが寄った。


「あなたは戦士ではないと言いました」


「はい」


「前衛向きではないとも」


「はい」


「では、なぜ行けると思うのですか」


 俺は少し考えた。


 行ける。

 そう断言できるほど、俺は強くない。

 だが、泥牙狼の習性は知っている。

 湿った土を好み、強い薬草臭を嫌う。

 群れの中で最初に吠える個体は囮で、本命は横から回る。

 腐食毒はアルカリ灰で応急中和できる。


 勇者パーティでは、そういう知識を使ってきた。


「戦わない前提で組みます」


「遭遇したら?」


「逃げます」


「逃げられなければ?」


「足を止める道具を作ります」


 マルタは俺をじっと見た。

 昨日の登録時、俺が依頼票を欲張らなかったことも覚えているのだろう。

 彼女は無謀な新人を見る目ではなく、無茶を無茶と理解した上でやろうとしている相手を見る目をしていた。


 受付の周囲では、冒険者たちがこちらを面白そうに見ている。

 新入りが高額依頼を求めている。

 よくある無謀な話に見えるのだろう。


「なぜ、そこまで急ぐんです」


 マルタの声が少しだけ低くなった。


 俺は迷った。

 奴隷市場で元聖騎士を買うためです、などと言えば、余計な誤解を招く。

 だが嘘をつけば、彼女は見抜く気がした。


「人を一人、買い戻すためです」


 ざわめきが少し小さくなった。


 マルタは表情を変えない。


「奴隷を?」


「はい」


「所有したいのですか」


「いいえ」


 即答できた。


「首輪を外したい」


 マルタは羽根ペンを置いた。


 しばらく沈黙があった。


「……あなた、変な人ですね」


「よく言われます」


「でしょうね」


 彼女は受付の下から依頼票を一枚出した。


「正式には出しません。あなたが勝手に場所を聞いて、勝手に素材を回収し、ギルドへ売りに来た。そういう扱いにします」


「助かります」


「助けていません。死なれると後味が悪いだけです」


 依頼票の端に、場所が書かれている。

 西門から半刻。

 古い石橋の手前。

 廃道の脇。


「それと」


 マルタは小瓶を二つ差し出した。


「腐食毒の応急薬です。代金は報酬から差し引きます」


「ありがとうございます」


「感謝するなら生きて帰ってください」


 俺は小瓶を受け取り、ギルドを出た。


 西門を抜ける頃には、昼を過ぎていた。

 夕刻までに戻らなければ、セリアは売られる。

 時間は少ない。


 廃道へ向かいながら、俺は道端の草を摘む。

 苦灰草。

 火打ち蔓。

 煙根。


 全部、泥牙狼が嫌う匂いを出す素材だ。


 道具は少ないが、ないなら作る。


 枯れ枝を削り、薬草を潰し、携帯用の油を混ぜる。

 簡易の刺激煙玉が三つ。

 足止め用の粘着罠が二つ。

 腐食毒対策の灰袋が一つ。


 準備を終える頃、風に血の匂いが混じった。


 廃道の先。

 横転した荷馬車が見える。

 車輪は外れ、木箱が散らばっている。

 周囲の地面には、泥を引きずった足跡。


 泥牙狼。


 しかも一頭ではない。


 俺は姿勢を低くし、風下へ回る。

 荷台の下に、まだ無事な箱が三つ。

 割れた箱からは青白い薬草がこぼれている。

 月光蘭。

 高く売れる。


 だが、あれだけを拾って終わりでは金が足りない。


 鉱石箱も必要だ。


 俺は泥の足跡を読む。

 群れは四頭。

 一頭は大きい。

 餌を食い終え、近くの茂みに潜んでいる。


 真正面から行けば死ぬ。


 俺は刺激煙玉を一つ、風上へ転がした。

 火打ち石で着火。

 白い煙が低く広がる。


 茂みの奥で、低い唸り声がした。


 来る。


 俺は荷馬車へ走った。


 薬草箱を背負い袋に詰める。

 鉱石箱は重い。

 全部は無理だ。

 価値の高い魔鉄鉱だけを選ぶ。


 泥を蹴る音。


 左。


 俺は振り向かず、粘着罠を投げた。

 湿った地面で袋が破れ、黒い粘液が広がる。

 飛びかかってきた泥牙狼の前脚が絡まった。


 獣じみた悲鳴。


 振り向いた瞬間、別の一頭が右から来た。


 囮は左。

 本命は右。

 知っている。


 俺は煙玉を足元に叩きつけ、身を低くして転がった。

 牙が肩の上を掠める。

 外套が裂けた。


 短剣で戦うな。

 戦えば負ける。


 俺は荷馬車の下を潜り、反対側へ抜けた。

 背嚢が木片に引っかかる。

 一瞬、動きが止まる。


 その背後で、唸り声。


 大きい。

 群れの長だ。


 振り返る。


 泥をまとった黒い牙が、目の前にあった。


「くそっ」


 俺は灰袋を裂き、魔物の顔に投げつけた。

 灰が目と鼻に入り、泥牙狼がのけぞる。

 その隙に背嚢を引き剥がし、全力で走った。


 森の中で逃げるな。

 追いつかれる。


 開けた石橋へ。

 そこなら一頭ずつしか来られない。


 足が重い。

 背嚢が肩に食い込む。

 だが、ここで捨てればセリアは買えない。


 石橋へ飛び込む。

 背後から泥牙狼が迫る。


 俺は最後の粘着罠を橋の中央に叩きつけた。

 一頭目が滑る。

 二頭目がぶつかる。

 群れの動きが詰まった。


 その隙に橋を渡りきり、あらかじめ切り込みを入れておいた古い欄干を蹴った。

 腐った木材が崩れ、橋の端が落ちる。


 泥牙狼たちは追ってこられない。


 俺はしばらく走り、やがて膝をついた。


 息が肺を焼く。

 肩が痛い。

 外套は裂け、腕には浅い傷がある。


 それでも背嚢の中には月光蘭と魔鉄鉱がある。


「……便利なだけの男でも」


 俺は荒い息の中で呟いた。


「これくらいは、できる」


 ギルドへ戻った時、日は傾き始めていた。


 マルタは俺の姿を見るなり、眼鏡を押し上げた。


「死体ではないですね」


「報酬査定をお願いします」


「先に治療です」


「査定を」


 俺が背嚢をカウンターに置くと、彼女は中身を見て絶句した。


 月光蘭。

 魔鉄鉱。

 荷馬車の積み荷証。


 査定員としての顔に戻るまで、少し時間がかかった。


「……無茶です」


「はい」


「二度としないでください」


「たぶん」


「たぶん?」


 マルタは睨んだが、手は早かった。

 素材は高額で買い取られた。

 回収報酬と合わせれば、金貨二枚には届かない。

 だが、前金分と合わせれば足りる。


 俺は血のにじむ腕に布を巻き、金を受け取った。


「奴隷市場へ行くんですね」


「はい」


「その人を買って、どうするつもりですか」


「まず、首輪を外します」


「外せなかったら?」


「外す方法を探します」


 マルタはため息をついた。


「本当に変な人です」


「自覚はあります」


 俺はギルドを出て、奴隷市場へ走った。


 夕刻の鐘が鳴っている。

 ぎりぎりだ。


 市場の檻の前で、奴隷商がにやにや笑って待っていた。


「逃げなかったか」


「残金だ」


 俺は金貨と銀貨を差し出す。


 奴隷商は一枚ずつ噛むように確認し、ようやく鍵束を取り出した。


「契約成立だ。今日からこいつはあんたの所有物だ」


 檻が開く。


 セリアが立ち上がった。

 足元はふらついているが、背筋は曲がらない。


 奴隷商が鎖を俺に渡そうとする。


 俺は受け取らなかった。


「何だ?」


「彼女は自分で歩ける」


 奴隷商が笑った。


「買ったばかりで甘やかすとつけ上がるぞ」


「商品としては買った」


 俺はセリアを見た。


「だが、彼女の価値を買ったつもりはない」


 セリアの青い瞳が、わずかに揺れた。


 俺は檻の外へ一歩下がり、彼女の通る場所を空ける。


「行こう」


「どこへ」


「宿だ。水と食事がいる。それから」


 俺は彼女の首輪を見た。


「まず、その首輪を外そう」


 セリアはしばらく俺を見ていた。


 信じたわけではない。

 そう顔に書いてある。


 それでいい。


 信頼は、金貨で買えるものではない。


 彼女は檻から出た。


 鎖が石畳を引きずる音がした。

 その音が、やけに耳に残った。


 周囲の見物人たちは、少しだけつまらなそうな顔をした。


 反抗的な奴隷が買い主に跪く場面でも、首輪で罰を受ける場面でもなかったからだろう。

 ただ、疲れ切った女が檻から出て、貧乏そうな男の隣に立っただけ。


 だが俺にとっては、それだけで十分だった。


 少なくとも今、彼女は檻の中にはいない。


レオンはセリアを買いました。

けれど、それは彼女を所有するためではなく、檻の外へ出すための一歩です。

次回、買い主と奴隷では終わらない二人の関係が始まります。

少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。


挿絵(By みてみん)

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