第004話 奴隷市場の元聖騎士
奴隷市場で出会った元聖騎士セリアとの話です。
奴隷制度の描写がありますが、主人公が彼女を支配する物語ではなく、解放へ向かう物語として進みます。
檻の中の女は、俺を見ても表情を変えなかった。
淡い金髪は肩口で乱暴に切られている。
白銀の鎧も、紺のマントも、聖騎士団の徽章もない。
身につけているのは粗末な白布と、首に嵌められた黒鉄の首輪だけ。
それでも、彼女は膝を抱えて震えてはいなかった。
背筋を伸ばし、顎を引き、檻の中から周囲を見ている。
その姿勢だけで、かつて彼女が何者だったかがわかる。
「セリア・アルトレイン」
俺が名を呼ぶと、彼女の青い瞳がわずかに細まった。
「……その名を、どこで知った」
声は低く、かすれていた。
何日もまともに水を与えられていないのかもしれない。
「王都で。式典の警護をしているのを見たことがある」
「なら、人違いだ」
即答だった。
「セリア・アルトレインは死んだ。ここにいるのは、罪人奴隷だ」
奴隷商が横から笑った。
「そういうことだ。元聖騎士だなんて噂もあったが、今じゃ王国公認の奴隷よ。王族暗殺未遂の大罪人だそうだ」
「王族暗殺未遂?」
俺は奴隷商を見た。
「この人が?」
「記録にはそうある。もっとも、詳しい事情なんぞ俺は知らん。こっちは正規の証文で仕入れただけだ」
奴隷商は腹を揺らしながら、檻に吊るされた木札を叩いた。
セリア・アルトレイン。
成人女性。
元騎士。
呪い付き。
反抗傾向あり。
価格、金貨二枚。
元聖騎士団副長にしては、異様に安い。
呪い付き。
俺は木札から視線を下げ、彼女の首元を見た。
鎖骨のあたり、白布の隙間から黒い痣が覗いている。
蔦のように枝分かれし、肌の下を這うような模様。
ただの痣ではない。
魔力の流れが歪んでいる。
俺は目を細めた。
視界の奥で、何かが噛み合う感覚があった。
勇者パーティにいた頃、魔物の毒や呪詛を見分けるために身につけた知識。
薬草師としての観察。
治療補助としての経験。
リリアの祈祷具を整備するうちに覚えた聖術の癖。
クラウスの魔導書を整理していて拾った封印術式の断片。
それらが、頭の中で重なった。
黒い蔦。
肌表面ではなく、魔力路に絡む封印。
外から力を抑え込むだけではない。
何かを隠している。
「自然呪いじゃない」
思わず口に出していた。
セリアの瞳が揺れた。
「何?」
「その呪いは、魔物に受けたものじゃない。人為的な封印に見える」
奴隷商の笑顔が薄くなる。
「兄ちゃん、買う気があるなら値段の話をしよう。診断ごっこならよそでやれ」
「診断ごっこじゃない」
俺は檻に近づいた。
セリアが警戒して身を硬くする。
「触らない。見せてくれ」
「断る」
「無理にはしない」
俺がそう言うと、彼女は少しだけ奇妙な顔をした。
奴隷に対して許可を求める買い主候補など、ここにはいないのだろう。
俺は手を伸ばさず、距離を保ったまま呪印を見る。
黒い蔦は鎖骨から首筋へ伸びている。
首輪の内側へ潜り、そこからさらに見えなくなる。
首輪が呪印を固定している。
奴隷契約と封印術式が絡んでいるのか。
厄介だ。
普通に首輪を壊せば、呪印が暴走する可能性がある。
「おい」
奴隷商の声が低くなった。
「買うのか、買わないのか」
周囲の見物人がこちらを見ている。
「金貨二枚だったな」
「ああ。ただし呪いの治療費はこっちで持たん。返品不可。反抗して怪我をしても自己責任だ」
金貨二枚。
俺の手持ちは、銀貨と銅貨だけ。
王都を出る時に持っていた銀貨十七枚は、馬車代、入市料、宿代、食費でさらに減っている。
到底足りない。
わかっていた。
わかっていても、口が勝手に動いた。
「分割は」
奴隷商は露骨に笑った。
「うちは慈善事業じゃない」
「担保なら、道具がある。薬師道具、砥石、短剣、地図」
「二束三文だな」
正しい。
俺の持ち物は、使う者にとっては価値がある。
だが市場で売れば安い。
セリアが静かに言った。
「やめろ」
俺は彼女を見る。
「貴殿が誰かは知らない。だが、私を買う必要はない」
「必要かどうかは、まだ決めてない」
「私は呪われている。王国に罪人とされた。買えば面倒に巻き込まれる」
「もう少し早く言ってくれ。面倒には昨日から巻き込まれている」
セリアの眉がわずかに動いた。
笑ったわけではない。
だが、ほんの一瞬だけ、凍った表情にひびが入った気がした。
その時、背後から別の男の声がした。
「金貨二枚なら安いじゃねえか」
振り返ると、鉱山主らしき太った男が立っていた。
指輪をいくつもはめ、護衛を二人連れている。
「呪い付きでも元騎士だろ? 鉱山の監督役に使える。反抗するなら首輪で締めればいい」
セリアの顔から、感情が消えた。
俺の腹の奥が冷えた。
「お客さん、見る目がありますねえ」
奴隷商が揉み手をする。
「こいつは姿勢がいい。見栄えもする。鉱山で使うには少々もったいないくらいで」
「なら買おう」
男が懐に手を入れる。
俺はその手を見た。
金貨袋。
重そうな音。
俺には出せない額だ。
理屈では、ここで引くしかない。
セリアは俺の知り合いではない。
式典で一度見ただけの相手だ。
王国が罪人としたなら、関わるほど危険だ。
金もない。
腰の内側に縫い込んだ非常用の小袋はあるが、それを足しても奴隷一人を買うには到底足りない。
力もない。
それでも。
人が値段をつけられ、反抗すれば首輪で締めればいいと言われている。
その光景を見て、何もしない理由を探す自分が嫌だった。
「待ってくれ」
俺は言った。
奴隷商と鉱山主がこちらを見る。
「金貨二枚。今すぐ全額は無理だ」
「話にならん」
「だが、明日まで待て。俺が稼ぐ」
奴隷商が声を上げて笑った。
「一日で金貨二枚? 兄ちゃん、夢を見るなら酒場でやりな」
「半金を今入れる」
「半金?」
俺は背嚢を下ろし、中身を取り出した。
短剣。
薬師道具。
砥石。
小鍋。
予備の靴。
地図の写し。
保存していた希少薬草。
そして、腰の内側に縫い込んでいた小袋を出す。
非常用の金。
勇者パーティ時代、報酬の端数や素材売却の余りを少しずつ残していたものだ。
銀貨にして三十枚。
全部合わせても金貨一枚に届くかどうか。
奴隷商は品物を見て、嫌そうに鼻を鳴らした。
「足りんな」
「明日、残りを払う」
「払えなければ?」
「道具は返さなくていい」
「それでも足りん」
鉱山主が苛立ったように割り込む。
「おい、こっちは払えると言っているんだ。貧乏冒険者の相手をするな」
奴隷商が迷う。
金払いのよい客を逃す理由はない。
その時、檻の中からセリアが言った。
「私は、その男には従わない」
鉱山主の顔が歪む。
「奴隷が買い主を選ぶ気か?」
「選べないことは知っている。だが、私は従わない。首輪で締めればいい。命が尽きるまで、何度でも逆らう」
静かな声だった。
だからこそ、本気だとわかった。
鉱山主は舌打ちした。
「面倒な女だ」
奴隷商も顔をしかめる。
反抗的な奴隷は商品価値が落ちる。
しかも呪い付き。
買い主に怪我でもさせれば、商会の評判に関わる。
俺はもう一歩前に出た。
「明日まで待ってくれ。逃げない」
「保証は」
「冒険者ギルドの仮証がある。依頼報酬を直接こちらへ回してもいい」
奴隷商は俺の仮証を見た。
しばらく考え、にやりと笑う。
「いいだろう。ただし明日の夕刻までだ。残金が払えなければ、前金も道具も没収。こいつは別の客へ売る」
「わかった」
「それと、保管料を上乗せする」
汚い。
だが、ここで文句を言えば話が流れる。
「わかった」
セリアが俺を見た。
「なぜだ」
その問いに、すぐ答えられなかった。
正義感。
同情。
元聖騎士への敬意。
どれも少し違う。
俺は黒い蔦の呪印を見た。
「その呪いが、どうしても気になる」
「それだけか」
「今は、それだけだ」
セリアは俺を見つめた。
青い瞳の奥に、疑いと疲労と、ほんのわずかな困惑がある。
奴隷商が檻に札をかけ替えた。
商談保留。
明日夕刻まで。
俺は空になりかけた背嚢を背負い直した。
残金を稼がなければならない。
一日で。
金貨一枚以上。
無茶だ。
だが、勇者パーティで五年も雑用係をやっていたのだ。
無茶な予定を現実にするのは、慣れている。
「待っていてくれ」
俺が言うと、セリアは目を伏せた。
「期待はしない」
「それでいい」
俺は奴隷市場を出た。
稼げる仕事。
すぐに換金できる素材。
危険だが、時間のかからない依頼。
頭の中で、地図と掲示板の依頼が重なっていく。
その途中で、一度だけ振り返った。
檻の中のセリアは、もうこちらを見ていなかった。
目を閉じ、背筋を伸ばしたまま座っている。
祈っているようにも、何かを耐えているようにも見えた。
期待はしない。
彼女はそう言った。
たぶん、本当に期待していないのだろう。
期待すれば、裏切られた時に折れる。
檻の中で折れないためには、何も待たないほうがいい。
なら、俺は彼女の期待ではなく、予定を裏切る。
明日の夕刻までと言われた。
なら、今日中に金を作る。
奴隷商の計算より早く戻る。
まずはギルドだ。
マルタなら、無茶な依頼ほど嫌な顔をして止めるだろう。
だが、今は止められている時間も惜しい。
檻の中にいたのは、かつて王国最強と呼ばれた元聖騎士セリアでした。
次回、レオンは彼女を檻の外へ出すために動きます。
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