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第003話 辺境都市ラグノール  

追放されたレオンが、王都を離れて新しい場所へ向かう序盤です。

勇者パーティ側にも、少しずつ綻びが出始めます。

 辺境都市ラグノールは、王都とはまるで違う匂いがした。


 王都の匂いが香水と石畳と焼き菓子の甘さだとすれば、ラグノールは鉄と土と汗の匂いだ。

 西の森から吹く風には湿った草の匂いが混じり、南の鉱山通りからは煤と金属の熱が漂ってくる。


 城壁は古く、修繕の跡が多い。

 門番の鎧も王都の衛兵ほど磨かれていない。

 だが、目は鋭かった。


「名前」


「レオン・グランヴィル」


「職は」


 一瞬、答えに詰まった。


 勇者パーティの雑用係。

 そう言いかけて、やめる。


「冒険者志望です」


 門番は俺の背嚢と腰回りの道具を見た。

 短剣、薬瓶、砥石、糸、針、地図筒。


「戦士には見えないな」


「薬と修理なら多少」


「多少で森に入ると死ぬぞ」


「覚えておきます」


 門番は鼻を鳴らし、入市料として銅貨を取った。


 門をくぐると、すぐに喧騒が押し寄せてきた。


 通りの左右には、武器屋、薬草屋、獣肉を焼く屋台、革鎧の修理屋、鑑定屋、宿屋、両替商が並んでいる。

 王都の店のような上品さはない。

 その代わり、どの店も実用の匂いがした。


 通りを歩く者たちも、貴族や役人ではなく冒険者が多い。

 大盾を背負った男。

 杖を抱えた老魔導師。

 血のついた外套のまま肉串を食う女剣士。

 荷車を押す鉱夫。

 治療院へ担ぎ込まれる負傷者。


 ここでは、誰が何をできるかが顔より先に見られる。

 たぶん王都よりずっと乱暴で、ずっと正直な町だ。


 俺はまず冒険者ギルドへ向かった。


 ギルドは町の中心にあった。

 石造りの大きな建物で、入口の上に剣と羽根ペンを組み合わせた紋章が掲げられている。

 中に入ると、酒場、掲示板、受付、査定場が一体になっていた。


 昼前だというのに、すでに騒がしい。


「薬草採取、三束で銅貨六枚だってよ」


「安すぎる。西森の手前でも魔物が出るんだぞ」


「昨日の鉱山護衛、死人が出たらしい」


「闇市で剣奴の競りがあるって聞いたか?」


 耳に入る言葉は物騒だが、情報は多い。


 俺は受付の列に並んだ。

 しばらくして、丸眼鏡の女性がこちらを見上げる。


「新規登録ですか」


「はい。レオン・グランヴィルです」


「身分証は?」


 王都で使っていたパーティ証を出しかけ、手を止める。

 それには勇者パーティ所属の記載がある。

 今出せば、余計な詮索を受ける。


「旅の途中で失効しました。仮登録からお願いします」


 女性は俺をじっと見た。

 茶色の髪を後ろでまとめ、丸眼鏡の奥の目は眠そうなのに鋭い。


「私は受付兼査定員のマルタ・フィンです。仮登録はできますが、身元保証なしの場合は最低ランクからです。高額依頼は受けられません」


「構いません」


「得意分野は」


「薬草採取、簡単な治療、装備修理、野営、地図読み、荷運び」


 マルタは羽根ペンを止めた。


「戦闘職では?」


「短剣は使えます。前衛向きではありません」


「正直なのは結構です」


 褒められた気はしなかった。


 マルタは紙にいくつか印をつけ、銅製の仮証を渡してくる。


「では、最初は採取か雑用依頼を勧めます。無理に討伐へ行く人は、だいたい三日以内に治療院送りです」


「覚えておきます」


「覚えるだけでなく従ってください。死体の登録抹消は面倒なので」


 辛辣だが、実務的な親切だった。


 俺は掲示板へ向かった。


 薬草採取。

 下水掃除。

 外壁補修の手伝い。

 荷運び。

 低級魔物の素材解体。


 地味な依頼が並ぶ。

 だが、地味な仕事ほど飯になる。


 俺は薬草採取と装備修理補助の依頼票を取った。


 マルタに見せると、彼女は少しだけ眉を上げた。


「欲張りませんね」


「初日ですから」


「その判断ができる人は長生きします」


 今度は少し褒められた気がした。


 手続きを終え、ギルドを出る。

 まずは宿を探し、その後で町を見て回るつもりだった。


 財布の中身は心細い。

 王都からの馬車代と入市料で、銀貨はさらに減った。

 今日中に何か稼がなければ、三日後には野宿になる。


 通りを歩きながら、俺は町の構造を頭に入れる。


 北はギルドと宿屋街。

 東は市場と食料品。

 南は鍛冶屋と鉱山通り。

 西は森へ向かう門。


 そして、北西の一角。


 そこだけ、空気が違った。


 背の高い塀。

 黒い鉄柵。

 看板には、合法奴隷商会《赤鎖》の文字。


 奴隷市場。


 ラグノールに大きな奴隷市場があることは知っていた。

 辺境は危険が多い。

 借金を背負った者、戦で捕まった者、犯罪者、流民、冒険者崩れ。

 さまざまな者がここへ流れ着き、買われていく。


 王都では建前として隠されていたものが、この町では堂々と通りに面している。


 近づくつもりはなかった。


 俺に奴隷を買う金などない。

 それに、買ったところで何ができる。


 そう思いながらも、足はなぜかそちらへ向いた。


 市場の入口には、見物人が集まっていた。

 冒険者、商人、鉱山主らしき男。

 中には、ただ珍しいものを見るためだけに来たような若者もいる。


 俺は人垣の端から中を覗いた。


 石畳の広場に、いくつもの檻が並んでいる。

 粗末な服を着せられた者たちが、値札のついた木板を首から下げていた。


 胸がざわつく。


 人に値段がついている。


 知識としては知っていた。

 だが、実際に見ると、胃の奥が重くなる。


「本日の目玉だ!」


 奴隷商の太い声が響いた。


「元騎士、元魔術師、獣人の若い労働奴隷もいる! 辺境で使うなら今が買い時だ!」


 周囲がざわめく。


 俺はもう離れようとした。


 その時だった。


 その前に、檻の一つで若い男が笑われていた。


 鉱山労働に向かないほど痩せている。

 戦闘奴隷にするには怯えすぎている。

 値札には、借金奴隷、読み書き可、とあった。


「字が読めても腕が細けりゃなあ」


 見物人の一人が笑う。


 別の檻では、年老いた女が薬草の知識を売り文句にされていた。

 隣の檻では、片足を引きずる男が荷運び用として値踏みされている。


 能力も、傷も、過去も、全部が値札の横に書かれている。

 まるで道具の状態欄だ。


 俺は無意識に、首元を押さえた。


 もし勇者パーティを追放された直後、金も職もなく倒れていたら。

 借金を負い、身元を証明できず、誰かに捕まっていたら。


 俺もこの檻の中にいたかもしれない。


 その想像は、思ったより簡単に形になった。


 雑用係。

 荷運び可。

 薬草知識あり。

 戦闘力低。

 反抗傾向なし。


 値段はいくらになるだろう。


 胃の奥が冷えた。


 人を商品として見る場所にいると、自分まで値段をつけられる気がする。


 俺は背を向けようとした。


 本当に、今度こそ離れるつもりだった。


 だが、その時だった。


 広場の奥、日陰に置かれた檻の中で、淡い金色が揺れた。


 不揃いに切られた髪。

 背筋を伸ばした姿勢。

 粗末な白布を着せられてなお、膝を折らない気配。


 俺は息を忘れた。


 知っている。


 あの横顔を、俺は王都で見たことがある。


 聖騎士団の式典。

 王宮前の広場。

 民衆の歓声の中、白銀の鎧をまとっていた女。


 王国聖騎士団副長。


 その式典で、俺は彼女の背中を遠くから見ていた。


 勇者パーティの荷物を抱え、王宮前の人混みの端に立っていた俺は、前へ出ることなど許されなかった。

 だが、白銀の鎧をまとった彼女だけはよく見えた。


 王族の馬車が通る時、群衆の中で子供が転びかけた。

 警備兵たちは誰も気づかなかった。

 だが彼女だけが一歩動き、馬車の進路を乱さず、子供を人波から押し戻した。


 その動きがあまりに自然で、俺は覚えていた。

 剣を抜くより先に、守るべきものへ足が動く騎士。


 その人が今、檻の中にいる。


「セリア・アルトレイン……?」


 呟きは、人混みのざわめきに消えた。


 檻の中の女が、ゆっくりとこちらを見た。


 澄んだ青い瞳。

 だが、その奥に宿る光はひどく冷えている。


 首には奴隷の首輪。

 鎖骨のあたりには、黒い蔦のような痣が覗いていた。


 奴隷商が笑う。


「お目が高い! そいつは呪い付きだが、顔と体つきは上物だ! 元騎士だから護衛にも使えるかもしれんぞ!」


 俺の足は、もう動いていた。


 離れるためではない。


 檻へ近づくために。


 近づくにつれて、周囲の声が遠くなる。


 値段。

 呪い付き。

 元騎士。

 反抗的。


 そんな言葉だけが、やけにはっきり耳に残った。


 だが俺が見ていたのは、値札ではない。

 檻の中でも曲がらない背筋だった。


 自分でも、なぜ足が動いたのかわからない。


 正義感と呼ぶには、俺は昨日まで自分のことで精一杯だった。

 同情と呼ぶには、彼女の瞳は同情など受けつけないほど冷えていた。

 知り合いと呼ぶには、俺たちは一度も言葉を交わしたことがない。


 それでも、見過ごせなかった。


 たぶん俺は、彼女の中に自分と同じものを見たのだ。

 役目を果たしてきたはずなのに、最後には値札一枚で片づけられる者の姿を。


 檻の前に立つと、鉄の匂いが濃くなった。


 彼女の視線が、まっすぐ俺を射抜く。


 助けを求める目ではない。

 むしろ、近づくなと告げる目だった。


 だからこそ、俺は最初の言葉を選ばなければならなかった。


 間違えれば、きっと彼女は二度とこちらを見ない。


 そんな確信があった。


辺境都市ラグノールで、レオンは見覚えのある金髪の女性を見つけました。

次回、檻の中にいた彼女の正体が明らかになります。

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