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第002話 俺がいなくても困らない、はずだった

追放されたレオンが、王都を離れて新しい場所へ向かう序盤です。

勇者パーティ側にも、少しずつ綻びが出始めます。


 王都の朝は、俺が思っていたよりも冷たかった。


 安宿の薄い毛布から身を起こすと、窓の外では荷馬車の車輪が石畳をきしませていた。

 昨夜はほとんど眠れなかった。

 眠れなかったというより、何度も目が覚めた。


 火の番をしなければ。

 聖剣の浄化をしなければ。

 リリアの祈祷具を乾かさなければ。

 フィーネの手首に湿布を貼り替えなければ。


 そんな考えが癖のように浮かび、そのたびに思い出す。


 もう、俺の仕事ではない。


「……慣れないな」


 声に出すと、狭い部屋に自分の声だけが落ちた。


 勇者パーティの旅では、朝は一番忙しい時間だった。

 誰よりも早く起き、湯を沸かし、昨夜のうちに浸しておいた豆を煮る。

 保存食をそのまま出せば文句が出るから、香草と乾燥肉で味を整える。

 その間に馬の脚を見て、車輪に油を差し、魔物除けの香を焚き直す。

 アルベルトが起きる頃には、朝食と装備点検と出発順路ができている。


 それが当たり前だった。


 誰も礼は言わなかった。

 だが、礼を言われない仕事ほど、崩れたときの穴は大きい。


 俺は身支度を整え、背嚢を背負った。

 中身は少ない。

 薬師道具、裁縫道具、砥石、短剣、小鍋、携帯食、地図の写し。

 五年間の旅の荷物としては、笑えるほど軽かった。


 宿の受付に銅貨を置いて外へ出る。

 王都の大通りでは、まだ昨夜の祝勝の余韻が残っていた。

 花飾り。

 勇者の名を掲げた布。

 魔王軍幹部討伐を祝う号外。


 そこに俺の名前はない。


 あっても困る。

 そう思うことにした。


 西門へ向かう途中、俺は高級宿《白鷲亭》の前を通りかかった。

 別に見に行くつもりはなかった。

 ただ、西門へ向かうにはその通りが一番近い。


 宿の前では、ちょうど勇者パーティの馬車が準備されているところだった。


 いや、準備されている、というには少し違った。


「だから、魔石箱はどこにあるんだ!」


 クラウスの苛立った声が聞こえた。


「知らねえよ。いつもレオンが積んでただろ」


 ダリオが面倒そうに答える。


「あの箱がないと、予備杖の調整ができないんだぞ」


「じゃあ自分で探せ」


「君たち、喧嘩している場合ではありません」


 リリアが二人をなだめている。

 だが、彼女自身も困った顔で荷台の前に立っていた。


 荷物の積み方が悪い。


 俺は遠目で見ただけでわかった。

 重い保存食の樽が上にある。

 薬箱が横倒し。

 祈祷具の入った木箱が湿気を吸いやすい位置に置かれている。

 弓弦の予備袋が剣の金具に擦れている。


 左後輪には、やはり油が差されていない。

 軸が乾いた音を立てていた。


 俺は足を止めかけた。


 止めてどうする。


 口を出すのか。

 昨日、クビだと言われた相手に。


 便利なだけの男を仲間とは呼ばない。


 アルベルトの言葉が、胸の中で冷たく響いた。


「アルベルト様、出発を少し遅らせたほうが」


 リリアが言う。


 アルベルトは白い外套を羽織り、苛立ちを隠しきれない顔で馬車の前に立っていた。


「たかが荷物の準備で遅れるわけにはいかない。王宮への報告がある」


「ですが、薬箱が」


「薬なら買えばいい」


「途中の沼地を通るなら、解毒薬が多めに必要です。レオンさんがいつも」


「その名前を出すな」


 アルベルトの声が低くなる。


 リリアが口を閉じた。


 俺は建物の陰に身を寄せた。

 別に隠れる必要はなかったが、見つかれば面倒になる。


「あいつがいなくても、俺たちは勇者パーティだ」


 アルベルトは言い切った。


「荷物持ちが一人抜けたくらいで困るような連中じゃない」


 その言葉に、誰も反論しなかった。


 だが、誰も頷かなかった。


 フィーネが黙って右手首を押さえているのが見えた。

 湿布を貼っていない。

 昨日の熱が引いていなければ、今日の弓の精度は落ちる。


 ダリオは剣を腰に吊っている。

 あの剣は、まだ芯が歪んだままだ。

 強く打ち合えば、たぶん折れる。


 クラウスは予備魔石がないまま杖を背負っている。

 魔力残量を過信すれば、午後には息切れするだろう。


 リリアの祈祷具は湿気を含んだ箱の中。

 祝福術の効きが鈍る。


 アルベルトの聖剣は、昨夜の浄化をしていない。

 遠目でも、鞘の隙間から濁った聖光が漏れていた。


 俺は息を吐いた。


 全部、わかる。

 直し方もわかる。


 だが、それを俺がやる理由はもうない。


 それに、俺が手を出せば、アルベルトはきっとこう言う。

 ほら見ろ。お前は結局、俺たちに必要とされたいのだ、と。


 俺は背嚢の紐を握り直し、西門へ向かった。


 王都の外へ出ると、空気が少しだけ軽くなった。


 西門の外には、辺境方面へ向かう乗合馬車が並んでいる。

 商人、傭兵、巡礼者、故郷へ帰るらしい親子連れ。

 誰も俺を知らない。

 それがありがたかった。


「ラグノール行きは?」


 御者に尋ねると、日に焼けた男が顎で奥の馬車を示した。


「あと一人乗れる。銀貨三枚」


 高い。

 だが歩けば三日では済まないし、途中の森を一人で抜けるのは危険だ。


 俺は銀貨を渡し、荷台の端に腰を下ろした。


 馬車はすぐには出ない。

 積み荷の確認を待つ間、俺は地図を広げた。


 王都から西へ。

 平原を抜け、白石の橋を渡り、浅い森を越えれば辺境都市ラグノール。

 魔物は多いが、薬草と鉱石の産地。

 冒険者の入れ替わりが激しく、過去を詮索されにくい。


 ただし奴隷市場も大きい。


 地図の端に、昔の商人から聞いた注意を書き込んだ跡がある。


 ラグノールでは金がものを言う。

 腕があれば食える。

 腕がなければ売られる。


 物騒な町だ。

 今の俺には、かえって都合がいい。


 馬車が揺れ始めた。


 王都の城壁が少しずつ遠ざかる。


 俺は振り返らなかった。


 振り返れば、たぶんまだ考えてしまう。

 聖剣の浄化。

 薬箱の位置。

 馬車の車軸。

 仲間だったはずの連中のこと。


「兄ちゃん、王都帰りかい」


 隣の商人が話しかけてきた。


「そんなところです」


「勇者様の凱旋、見たか? すごい騒ぎだったな」


「ええ」


「ああいう人らは、やっぱり違うんだろうな。選ばれた連中ってやつは」


 俺は返事に困り、曖昧に笑った。


 選ばれた連中。


 アルベルトは確かに選ばれた。

 聖剣に。

 王国に。

 民衆に。


 では、選ばれなかった俺は何なのか。


 荷物持ち。

 雑用係。

 便利なだけの男。


 考えても答えは出なかった。


 馬車は街道を進む。

 昼前、王都の影が完全に見えなくなった頃、遠くで黒い煙が上がった。


 御者が眉をひそめる。


「妙だな。あの辺りは勇者様の一行が通る道じゃなかったか?」


 胸の奥が、わずかに跳ねた。


 俺は地図を見た。


 黒煙の方角には、小さな沼地がある。

 昨日、俺が整備メモに書いて暖炉へ投げ込んだ場所だ。


 北門を避けて西門から出発。

 沼地は迂回。


 俺は唇を引き結んだ。


 商人が呑気に言う。


「まあ、勇者様なら大丈夫だろう」


「……ええ」


 俺は地図を畳んだ。


 大丈夫だ。

 たぶん。


 彼らは勇者パーティだ。

 俺がいなくても困らない。


 そう言ったのは、アルベルトだ。


 そう言われたのは、俺だ。


 それでも、手は勝手に背嚢の横を探っていた。


 予備の解毒薬。

 折り畳み式の副木。

 火傷用の軟膏。


 全部、もう置いてきた。

 正確には、パーティ共有の薬箱に残してきた。

 だから俺の手元にはない。


 昔からそうだった。

 誰かが怪我をした瞬間、俺の体は薬箱の位置を探す。

 誰かが喉を鳴らせば水袋を出し、誰かの靴音が乱れれば足を引きずっていないか見る。

 それは優しさというより、癖だった。

 五年間、そうしなければ旅が続かなかった。


「気になるなら戻るかい?」


 隣の商人が、こちらの顔を覗き込んだ。


 俺は首を振った。


「俺が戻っても、たぶん迷惑になります」


「喧嘩別れか」


「そんなところです」


「なら、なおさら戻らんほうがいいな。善意ってやつは、受け取る気のない相手に投げると石になる」


 商人は何でもないことのように言った。


 妙に胸に残る言葉だった。


 俺は黒煙の方角を見ないようにして、馬車の床板に視線を落とした。

 床板の釘が一本浮いている。

 踏めば靴底に引っかかる。


 俺は短剣の柄でそれを軽く叩き、押し戻した。


「兄ちゃん、そういうの気づくんだな」


「癖です」


「いい癖だ。旅じゃ、そういう癖が一番人を生かす」


 勇者パーティでは、誰もそんなふうには言わなかった。


 馬車は西へ進んだ。

 俺はもう一度だけ黒煙を見て、それから目を逸らした。


 この先で俺を待っているものが何なのかは知らない。

 だが少なくとも、昨夜までの俺に戻ることはできない。


 戻ってはいけない。


 そう思わなければ、また誰かの荷物を拾いに戻ってしまいそうだった。


 馬車の揺れに身を任せながら、俺は目を閉じた。


 次に目を開ける時には、王都の雑用係ではなく、ただのレオンとして動く。

 そう決めなければ、何度でも同じ場所へ引き返してしまう。


 荷物を拾う手を、今度は自分のために使う。


 それができるかどうかは、まだわからない。


 だが、試す場所はもう王都ではない。


 西へ進む馬車の音が、その区切りのように響いていた。


レオンは王都を離れ、自分のために動く一歩を踏み出しました。

次回、辺境都市ラグノールで物語が大きく動き始めます。

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