第076話 刻印測定
「該当者五名、旧式命令系統に接続履歴あり」
登録官の声は、そこで止まった。
測定具の青白い石が、赤黒く明滅している。
部屋の空気が重くなる。
登録官の一人が、反射的に測定記録板を伏せようとした。
「伏せないでください」
ロゼッタの声が飛ぶ。
柔らかくはない。
完全に商談の場で相手の不正を見つけた時の声だった。
「そのまま。表示を消さない。記録官、現在時刻と反応文言を読み上げてください」
「しかし、これは異常表示で」
「異常表示だから記録するのです」
ロゼッタは机に手を置いた。
「故障なら故障として、故障時の表示を記録する。正常なら正常として、反応を記録する。どちらにせよ、今消す理由はありません」
登録官は教会の立会人を見た。
その視線だけで分かった。
この部屋の実権は、登録官ではなく教会側にある。
立会人は一拍置いてから頷いた。
「記録を」
登録官はようやく筆を取った。
ロゼッタはそれを見届けてから、俺にだけ聞こえる声で言う。
「今の一瞬で、消す手順があると分かりました」
「異常表示を?」
「ええ。慣れています」
背筋が冷えた。
これが初めてではない。
少なくとも、測定具が都合の悪い反応を示した時の扱いを、彼らは知っている。
セリアの手元。
ミュールの肩。
イリスの腕輪。
ロゼッタの手首。
ナギのうなじ。
五人のどこかで、同時に小さな熱が走った。
「測定を止めろ」
俺は言った。
登録官は我に返ったように首を振る。
「いえ、これは測定具の故障の可能性があります。再測定を」
「止めろ」
今度はセリアが言った。
盾は持っていない。
だが、その声だけで登録官は手を止めた。
教会の立会人が一歩前へ出る。
「異常反応時こそ、正確な確認が必要です」
「異常反応が出た器具で、さらに測るのか」
俺は立会人を見る。
「安全確認です」
「その言葉は聞き飽きた」
部屋が静まった。
ロゼッタが机の上の書類を押さえる。
「現時点で記録してください。測定具が五名全員へ同時異常反応を示した。登録官は故障の可能性を主張。教会立会人は再測定を要求。本人側は安全性が確認されるまで停止を求めた」
登録官は慌てて記録を取る。
その間に、イリスが測定具へ近づいた。
「触るな」
俺が言うと、彼女は頷いた。
「触りません。見ます」
イリスは測定具の周囲をゆっくり回った。
腕輪の光を細く絞り、石の下にある文様を読む。
「やっぱり、表層は新しいです。登録庁用に簡略化されています。でも、その下にある基礎式が古い」
「古いというのは、奴隷契約より前という意味か」
「はい」
イリスは小さく息を吸った。
「奴隷契約は、所有者と対象者を結ぶ術式です。でもこれは、所有者がいなくても反応しています。もっと下の層で、対象者そのものの登録履歴を読んでいます」
登録官が眉をひそめる。
「専門的な解析は登録庁の管轄外です」
「だから危ないんです」
イリスは振り向いた。
「管轄外のものを、標準器具として使っている」
ロゼッタが低く言う。
「登録庁は、仕組みを理解していない測定具で人を分類しているわけですね」
登録官の顔色が変わる。
「そのような表現は」
「事実確認です」
ロゼッタは冷静だった。
セリアが自分の首元に手を当てる。
「私の反応は、聖騎士の誓約か」
イリスは頷く。
「たぶん、複数あります。奴隷刻印の残滓だけじゃありません。騎士団での誓約式に似た接続が残っています」
セリアの顔が強張った。
「誓いまで、刻印の一部だったというのか」
「断定はできません。でも、同じ深い層へ接続しています」
ミュールが肩を押さえる。
「ミュールは?」
「夜爪の命令訓練で使われた印だと思います。奴隷契約とは別。でも、命令を通す作りが似ています」
「やっぱり」
ミュールは小さく呟いた。
「売られる前から、首輪あったんだ」
誰もすぐには答えられなかった。
イリスは自分の腕輪を見る。
「私の反応は、魔塔の実験印です。魔力を安定化するためと言われていました。でも、測定具はそれも旧式命令系統として読んでいます」
「安定化と命令は違うだろう」
「違います。でも、使っている基礎式が近いんです」
彼女の声が震える。
「魔塔は、危険な魔力を安全にするためと言っていました。でも、私の魔力の流れを外から変えられるなら、それは制御です」
ロゼッタは自分の手首を見る。
かつて債務契約の印があった場所だ。
「私のは、商会債務ですわね」
「はい。金銭契約の印なのに、身体側の反応を持っています」
「債務者が逃げないように?」
「たぶん」
ロゼッタは笑わなかった。
「契約は紙で人を縛るものです。身体まで縛る必要はありません」
ナギはうなじに触れた。
「拙者は、神域鍵か」
イリスは少し迷った。
「黒杯の剣奴登録と、神域鍵保持者の記録が重なっています。片方は檻、片方は鍵。なのに、測定具は同じ深層への接続として読んでいます」
「鍵も、檻に使える」
ナギは静かに言った。
「そういうことか」
測定具はまだ明滅している。
五人それぞれの過去が、別々の制度に見えていた。
騎士団。
夜爪。
魔塔。
商会。
黒杯。
だが、測定具はそれらを同じ言葉で呼んだ。
旧式命令系統。
その言葉を、登録官は何度も見ているのかもしれない。
だが、彼らにとっては異常分類の一つだ。
古い測定具がたまに出す、扱いに困る表示。
教会へ照会し、回答を待ち、必要なら記録を保留する。
そうやって処理されてきたのだろう。
処理。
またその言葉だ。
人の過去も、痛みも、命令された恐怖も、処理欄へ入っていく。
俺は、五人の顔を見た。
セリアは怒りを押し殺している。
ミュールは測定具を睨み、いつでも壊せる距離を測っている。
イリスは怖がりながらも、目を逸らさない。
ロゼッタは証拠を積み上げるために冷静であろうとしている。
ナギは自分のうなじに触れ、遠いものを思い出しているようだった。
壊したい。
正直に言えば、測定具を今すぐ叩き割りたかった。
だが、それをすれば何が残る。
危険反応を示した五人。
測定具を破壊したレオン。
登録庁で暴れた一行。
また、彼らの望む記録になる。
俺は拳を開いた。
ここで壊すべきなのは、器具ではない。
器具が出した結果を、なかったことにする流れだ。
「おかしい」
イリスが呟いた。
「これだけ別々の制度なのに、下の層が似すぎています。偶然じゃありません」
教会の立会人が言った。
「測定具の故障であれば、議論は不要です」
「故障なら、五人同時に同じ深層反応は出ません」
イリスは即答した。
「それに」
彼女は俺を見た。
「レオンさん、少しだけ支援術を流してもらえますか」
「今ここでか」
「はい。痛みを和らげるくらいの、ごく弱いものを」
俺は迷った。
登録庁の部屋。
教会の立会人。
異常反応を示す測定具。
ここで俺の力を使うのは危険だ。
だが、五人の手元にはまだ熱が残っている。
「本人の同意を取ります」
ロゼッタが言った。
「セリア、ミュール、イリス、ロゼッタ、ナギ。レオン様による微弱支援術の使用に同意しますか」
「同意する」
「する」
「します」
「同意します」
「同じく」
五人の返事を聞いてから、俺は息を吸った。
薬師。
治癒師。
聖職者。
鑑定士。
支援術を最小限に絞る。
痛みを消すのではなく、熱を和らげるだけ。
命令ではない。
上書きではない。
触れるだけ。
そう意識して、五人へ薄く流した。
その瞬間、測定具が鳴った。
青白い石が、今度は俺の方へ光を向ける。
手の甲に、針で触れられたような痛みが走った。
「っ」
俺は手を引いた。
五人が同時に動いた。
セリアが俺の前へ立ち、ミュールが立会人との間に入る。
イリスは測定具の光を追い、ロゼッタは表示板を読み上げ始めた。
ナギは刀に手を添えたが、抜かなかった。
守られる側に回ったのは、俺だった。
その事実に、妙な感覚があった。
俺が五人を守る。
そう思ってきた。
だが今、五人は当然のように俺を守る位置へ動いた。
命令ではない。
俺が頼んだわけでもない。
彼女たちの判断だった。
測定具の光より、その動きの方がはっきりと胸に残った。
イリスの顔が真っ青になる。
「やっぱり」
「何がだ」
「五人の刻印だけじゃありません」
測定具の表示板に、新しい文字が浮かぶ。
接続反応。
外部支援系統。
未登録職能干渉。
教会の立会人が、初めてはっきりと息を呑んだ。
それをロゼッタは見逃さなかった。
「立会人殿」
彼女は表示板から目を離さずに言う。
「今の反応に、見覚えがおありですね」
「……専門部署へ照会が必要です」
「見覚えがないなら、そう答えればよろしい」
立会人は口を閉ざした。
沈黙。
勇者制度を問う審問でも見た沈黙だ。
答えられない時ではなく、答えたくない時の沈黙。
登録官の筆が止まる。
ロゼッタがすぐに言った。
「筆を止めないでください。教会立会人、未登録職能干渉の表示に対し専門部署照会が必要と発言。見覚えの有無については回答せず。そう記録してください」
登録官は、汗を浮かべながら書いた。
イリスは震えながら言った。
「この刻印、レオンさんの支援にも反応しています」
俺の手の甲には、一瞬だけ、赤黒い文様が浮かんでいた。




