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第075話 身分整理という檻

 教会付属登録庁は、檻には見えなかった。


 白い石造りの建物。

 磨かれた床。

 整然と並ぶ受付窓口。

 壁には、身分登録、婚姻記録、相続確認、職能証明、巡礼許可といった案内板が掲げられている。


 人々は順番札を持って椅子に座り、自分の番を待っていた。


 誰も鎖につながれていない。

 怒鳴り声もない。

 鞭もない。


 それでも、俺は息苦しさを覚えた。


「ここが、身分を整理する場所か」


 セリアが低く言う。


「整理という言葉は便利です」


 ロゼッタが書類鞄を抱え直した。


「誰かの人生を、棚に入る大きさへ切りそろえる時にも使えます」


 受付の役人は、丁寧だった。


 俺たちを見る目に、露骨な敵意はない。

 むしろ、厄介な案件を手順どおり処理しようとする疲れた実務者の顔だった。


 それが一番、嫌だった。


 奴隷商人なら、怒ればいい。

 黒杯の支配人なら、壊せばいい。

 赤鎖の帳簿なら、証拠として突きつければいい。


 だが、ここにいる役人たちは、誰かを苦しめようとしているわけではない。

 朝から晩まで書類を捌き、印を押し、記録を棚へ戻す。

 その手順の中に、五人の傷が入れられている。


 悪意のある檻は、壊しやすい。


 善意も悪意もない檻は、どこを殴ればいいのか分かりにくい。


「レオン様一行ですね。教会立会い案件として登録されています」


「登録」


 イリスが小さく繰り返す。


 その言葉に、俺たちはもう敏感になっていた。


 勇者を登録する聖剣。

 奴隷契約の管理印。

 そして今、五人の身分整理。


 受付役人は奥の部屋へ案内した。


 そこには長机があり、五つの椅子が並べられていた。

 机の向こうには登録官が三人。

 その後ろに、教会の白い法衣が一人。


 エルヴィアはいない。


 だが、彼女の気配は書類の隅々にある気がした。


「本日の確認は、各人の身分記録、過去所属、刻印反応、未整理契約の照合です」


 中央の登録官が説明する。


「拘束ではありません。安全確認のための手続きです」


 ロゼッタが即座に言った。


「手続きの完了条件を確認します」


「各項目の照合が終わり次第です」


「照合不能の場合は」


「継続確認となります」


「期間は」


「案件ごとに判断されます」


「本人が拒否した場合は」


 登録官は少しだけ困った顔をした。


「拒否理由を記録し、教会および王都担当部署へ照会します」


 ロゼッタは俺へ目を向けた。


 言っていることは丁寧だ。

 だが、出口がない。


「確認します」


 ロゼッタはさらに続けた。


「継続確認中、対象者の移動は制限されますか」


「必要に応じて」


「職業活動は」


「危険性がある場合は制限されます」


「同行者との接触は」


「調査上必要な場合は個別確認となります」


 ロゼッタの目が冷えた。


「つまり、拘束ではないが、拘束と同じ結果を出せる」


 登録官は困ったように言った。


「安全確認のためです」


「その言葉は、便利すぎます」


 まずセリアが椅子に座った。


 登録官は分厚い記録束を開く。


「セリア・ヴァレンシュタイン。元王国聖騎士。反逆容疑により身分剥奪。その後、奴隷商会を経由し、辺境市場へ移送」


「反逆容疑は冤罪です」


 セリアの声は落ち着いていた。


「現在再調査中として注記します」


「注記ではなく、誤記の訂正を求めます」


「確定判決記録の訂正には、騎士団および教会双方の再承認が必要です」


 登録官は悪びれない。


 規則を読んでいるだけだ。


 それが、かえって腹立たしかった。


「では、私の現在身分は何になる」


「元聖騎士、再調査対象、旧奴隷身分記録保持者、危険呪印解除済み、保護観察中」


 セリアの指が、椅子の肘掛けを掴んだ。


「私は騎士だ」


「現行記録上、騎士身分は停止されています」


「ならば、私はセリア・ヴァレンシュタインだ」


 登録官は一瞬だけ手を止めた。


「氏名は、その通り記録されています」


「それだけは訂正不要だ」


 次はミュールだった。


「ミュール。獣人。旧所属、夜爪。暗殺組織所属歴あり。奴隷商会経由で辺境へ」


「夜爪は、ミュールを売った」


 ミュールは椅子の上で背筋を伸ばしている。

 耳は伏せているが、目は逸らしていない。


「所属解消記録が確認できません」


「売られたのに?」


「組織側の除籍書類がないため、記録上は旧所属者です」


 ミュールの尾がぴんと張った。


「つまり、捨てられても、まだ夜爪?」


「書類上は」


「書類、変」


 短い言葉だった。


 だが、正しかった。


 イリスの番になると、教会の立会人が少し前へ出た。


「イリス。元魔塔所属。高出力魔力保持者。未回収研究資産との照会記録あり」


 その言葉で、イリスの顔から血の気が引いた。


「私は資産ではありません」


「魔塔側の記録名です。当庁ではそのまま照会項目として扱います」


「そのまま扱わないでください」


 イリスの声は震えていた。


「私は人間です。魔導師です。失敗した実験の所有物ではありません」


 登録官は困ったように書類を見る。


「本人主張として記録します」


「主張ではありません」


 俺は思わず口を挟んだ。


 ロゼッタが横から低く言う。


「記録してください。本人は未回収研究資産という分類を明確に拒否。魔塔実験記録の違法性確認を要求、と」


 登録官は少し渋ったが、書き込んだ。


 ロゼッタの番では、彼女自身が先に書類を出した。


「フォルン商会債務記録については、黒杯帳簿および赤鎖札との不正連結を証明する資料を添付します」


「確認します。ロゼッタ・フォルン。旧フォルン商会令嬢。債務奴隷記録あり。商会資産凍結、債権者未整理」


「不正債務です」


「債務自体の有効性は、商事裁定の管轄です」


「では、ここで私を債務記録保持者として分類するのは早計です」


「既存記録がある以上、未整理債務ありとして扱います」


 ロゼッタは微笑んだ。


 怒っている時の笑みだった。


「便利ですわね。間違った記録を先に作れば、それを根拠に人を縛れる」


 登録官は目を逸らした。


 最後にナギが座る。


 登録官は明らかに扱いに困っていた。


「ナギ。東方出身。黒杯闘技場にて剣奴登録。神域鍵保持者との別記録あり。身分照会不能」


「拙者はナギ」


「氏名欄には記録します」


「剣奴ではない」


「黒杯記録上は」


「黒杯は壊した」


 登録官は黙った。


 ナギは続ける。


「檻が壊れても、檻の札を首に戻すのか」


 その問いに、登録官は答えられなかった。


 五人の確認が終わる頃、俺は怒りで疲れていた。


 誰かが罵倒したわけではない。

 役人たちは、むしろ丁寧だった。


 だが、丁寧に分類されるたび、五人の人生が削られていく。


 セリアの誇りは、反逆容疑という欄に入れられた。

 ミュールの選択は、所属解消未確認という欄に入れられた。

 イリスの恐怖は、未回収研究資産という欄に入れられた。

 ロゼッタの抵抗は、未整理債務という欄に入れられた。

 ナギの檻を壊した剣は、剣奴登録という欄に入れられた。


 間違っている。


 だが、登録官は間違っていると思っていない。


 彼らは既存記録を読んでいるだけだ。

 だからこそ、既存記録を作った者がどれほど強いか分かる。


 一度、誰かをそう記録すれば。

 その後の役人は、規則どおりその人を扱う。


 人を縛るのに、鎖は必ずしも必要ない。


 先に名前を書き換えればいい。


 冤罪。

 裏切り。

 実験。

 不正債務。

 闘技場。


 それぞれの痛みが、記録欄では項目になる。


「最後に刻印測定を行います」


 登録官が言った。


 机の奥から、円形の測定具が運ばれてくる。

 薄い金属板の中央に、青白い石がはめ込まれていた。


 イリスがその瞬間、顔を上げた。


「待ってください。その測定具、古いです」


「登録庁標準の刻印測定具です」


「標準だから危ないんです」


 イリスの声が緊張する。


 彼女は測定具を凝視していた。


「表面の文様は新しいです。でも、石の下にある基礎式が古い。魔塔で見た古代術式の写しに似ています」


 登録官は首を傾げる。


「長年使用されている安全な器具です」


「長年使われていることと、安全なことは同じではありません」


 イリスは珍しく強く言った。


 教会の立会人が、ここで初めて表情を変えた。

 ほんのわずかに、目が細くなる。


 その反応をミュールが見逃さなかった。


「今、嫌な顔した」


 立会人はすぐに微笑む。


「測定は、皆様の安全のためです」


「また安全」


 ミュールの尾が揺れる。


 だが、教会の立会人が言った。


「測定は手続き上必要です」


 五人は互いを見た。


 逃げれば、拒否記録が残る。

 受ければ、何かが起こるかもしれない。


 ロゼッタが低く言う。


「記録を残してください。本人同意は、測定内容の説明が不十分であることを留保した上での限定同意です」


 登録官は意味を飲み込むのに数秒かかった。


 それでも、書いた。


 五人が順に手を測定具へかざす。


 セリア。

 ミュール。

 イリス。

 ロゼッタ。

 ナギ。


 青白い石が、一瞬沈黙した。


 次の瞬間、測定具が赤黒く光った。


 部屋の空気が冷える。


 登録官が目を見開き、表示板を読み上げた。


「該当者五名、旧式命令系統に接続履歴あり」


 五人の手元で、同時に小さな熱が走った。



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