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第070話 勇者は誰のものか

 補足審問は、公開裁判ほど大きな場ではなかった。


 だが、傍聴人は多かった。


 王都中央法廷の小法廷。

 そこに、騎士団、教会、ギルド、貴族、そして御前試合を見ていた民衆の代表が集められている。


 表向きの目的は、聖剣暴走事故の事実確認。


 事故。


 その言葉は、開始前から書記官の記録板に書かれていた。


 ロゼッタはそれを見て、眼鏡の奥の目を細めた。


「始まる前から結論が置かれていますね」


「変えられるか」


「変えます」


 短い返答だった。


 頼もしいが、同時に怖い。

 彼女がここまで静かに怒っている時は、相手の逃げ道をかなり細くする。


 俺たちは証人席の近くに座った。


 セリアは背筋を伸ばし、騎士団席を見ている。

 ミュールは壁際で、出入口と教会席の動きを同時に見ている。

 イリスは解析ノートを抱え、青い顔のまま深呼吸を繰り返している。

 ロゼッタは資料の束を膝に置き、指先で順番を確認していた。

 ナギは目を閉じているように見えるが、刀の柄に触れる指がいつでも動けることを示していた。


 アルベルトはいなかった。


 聖剣もない。


 騎士団の説明では、双方とも教会管理下の隔離室に置かれているらしい。


 それ自体が、もう奇妙だった。


 勇者の身柄を、王国騎士団ではなく教会が管理している。


 代わりに、審問席の横には小さな記録石が置かれていた。


 隔離室でのアルベルトの発言記録だという。


 本人を出さない。

 聖剣も見せない。

 ただ、必要な部分だけを記録として出す。


 それは便利なやり方だった。


 便利すぎる。


 ロゼッタは記録石を見た瞬間から、眉をわずかに寄せていた。


「切り取られた記録は、記録ではなく編集です」


 彼女は小声で言った。


 俺も同意だった。


 審問官が木槌を鳴らした。


「これより、御前試合における聖剣出力異常について補足審問を行う」


 出力異常。


 また言葉が変わった。


 事故。

 出力異常。

 精神不安定。


 どれも、誰かの責任を薄くするための言葉に聞こえる。


 騎士団側の報告官が立ち上がった。


「勇者アルベルトは、公開裁判および御前試合による精神的負荷を受け、一時的に聖剣の出力制御を誤ったものと推定されます。観客席への被害は未然に防がれ、重傷者は確認されておりません」


 報告官は続けて、記録石へ魔力を通した。


 淡い光の中に、隔離室のアルベルトが映る。


 椅子に座らされ、腕には包帯が巻かれている。

 右手はまだ震えていた。


『俺は選ばれた勇者だ』


 記録の中のアルベルトは、そう言った。


『聖剣は俺のものだ。俺が間違うはずがない。あれは、レオンたちが余計なことをしたから』


 そこで記録が切れる。


 小法廷がざわめいた。


 以前なら、その言葉には勢いがあっただろう。

 傲慢で、腹立たしく、それでも民衆に「勇者らしい」と思わせる響きがあったかもしれない。


 だが今は違った。


 映像の中のアルベルトは、誰かに訴えているように見えた。

 自分はまだ勇者だと。

 勇者でなければならないのだと。


 その姿は、強者の誇示というより、肩書きにしがみつく者の震えだった。


 未然に防がれた。


 その言葉だけなら正しい。

 だが、誰が防いだかは言わない。


 ロゼッタが手を上げた。


「発言を求めます」


「許可します」


 彼女は立ち上がる。


「報告官へ確認いたします。観客席への被害が未然に防がれた理由は、騎士団の防御結界が正常に作動したためですか」


 報告官の顔がわずかに強張る。


「騎士団も退避誘導を行いました」


「質問に答えてください。聖剣の第一波を受けたのは、騎士団の結界ですか」


「……元聖騎士セリア殿の盾です」


「第二波の軌道を逸らしたのは」


「東方の剣士ナギ殿」


「残留光と石片を防いだ即席結界は」


「魔導師イリス殿」


「観客席で子供を救出し、退避経路を確保したのは」


「獣人のミュール殿」


「試合停止と退避命令を審判に出させたのは」


 報告官は黙った。


 ロゼッタは自分を指ささない。

 ただ、記録石を机に置いた。


「記録には残っています」


 小法廷の空気が変わった。


 事故処理の場だったはずの場所で、まず確認されたのは、レオン一行が民衆を守った事実だった。


 審問官が咳払いする。


「本件の主題は、聖剣出力異常の原因です」


「承知しております」


 ロゼッタは静かに返した。


「だからこそ、原因を勇者アルベルト様個人の精神不安定だけに限定する表現は不適切です。聖剣側の術式、封印箱の事前準備、教会の管理責任を確認する必要があります」


 教会席がざわめいた。


 そこに座る白い法衣の男が立ち上がる。


「聖剣は、勇者に授けられる神聖な武具です。軽々に疑いの対象とすべきではありません」


「神聖であることと、安全であることは別です」


 ロゼッタは即答した。


「神聖な武具であっても、観客席へ光を放った事実は消えません」


 教会の男の顔が強張る。


 イリスが小さく手を上げた。


 審問官が少し迷い、発言を許す。


「聖剣の術式について、解析結果を述べます」


 彼女は立ち上がった。


 足が震えている。

 だが、声は思ったより通った。


「聖剣の出力は、剣身ではなく柄の中核から発生していました。そこから勇者アルベルトさんの魔力回路へ接続し、本人の魔力を経路として出力されています」


 教会席の男が口を挟む。


「聖剣と勇者の共鳴は当然の現象です」


「共鳴なら、本人の意思と同期します」


 イリスは怯えながらも言い返した。


「今回の出力は違いました。勇者さんは聖剣を止めようとしていました。それでも聖剣側の出力は上がった。これは共鳴ではなく、外部命令に近い接続です」


 外部命令。


 その言葉で、小法廷がざわめいた。


 審問官が木槌を鳴らす。


「静粛に」


 だが、ざわめきは完全には収まらない。


 勇者が聖剣を使う。

 それなら誰も驚かない。


 だが、聖剣が勇者を使う。


 その発想は、誰にとっても不穏だった。


 セリアが立ち上がった。


「発言を」


「許可します」


 セリアは騎士団席へ向いた。


「私は騎士として問います。力ある者を称えるなら、その力が民へ向いた時、誰が責任を負うのですか」


 騎士団席は静まり返った。


「勇者だから例外。聖剣だから例外。神聖だから疑うな。そう言うなら、次に聖剣が民へ向いた時、誰が盾になるのです」


 彼女の声は怒鳴り声ではない。

 だからこそ、よく通った。


「昨日、私は盾になりました。ナギが軌道を逸らし、イリスが結界を張り、ミュールが民を救い、ロゼッタが退避を通し、レオンが負傷者を治療した」


 セリアは一拍置いた。


「勇者制度が民を守るためのものなら、民を守った者たちの言葉を聞くべきです」


 民衆代表の席で、誰かが小さく頷いた。


 教会席の男が唇を噛む。


 審問官は困った顔をしていた。


 ここで完全に教会側へ寄れば、御前試合を見ていた者たちの不信を買う。

 だが、聖剣管理責任を認めれば、勇者制度そのものに傷がつく。


 その隙間を、ロゼッタは逃さなかった。


「さらに確認します」


 彼女は勇者認定書の写しを掲げた。


「勇者アルベルト様の認定書には、本人の権利よりも、管理教会、後見貴族、監督騎士団、聖剣使用承認の項目が多く記されています。これは名誉称号というより、管理契約に近い」


「言葉が過ぎます」


 教会の男が低く言った。


「では、教えてください」


 ロゼッタは引かない。


「勇者とは誰のものですか」


 その問いに、小法廷が静まり返った。


「民の希望ですか。王国の戦力ですか。教会の管理対象ですか。それとも、聖剣に登録された使用者ですか」


 誰も答えなかった。


 答えられないのか。

 答えたくないのか。


 俺には分からない。


 だが、沈黙そのものが答えの一部だった。


 勇者は民のものだと、誰も即答しなかった。

 王国のものだとも、教会のものだとも言えなかった。

 なぜなら、どの答えも危うかったからだ。


 民のものなら、民へ剣を向けた責任を問われる。

 王国のものなら、王国が管理責任を負う。

 教会のものなら、教会が聖剣の異常を説明しなければならない。


 ただ、アルベルトの姿が頭に浮かんだ。


 俺は彼を庇うつもりはない。

 だが、制度の奥を見なければならないとは思った。


 アルベルトを倒して終わりではなかった。


 勇者という肩書きが、誰かを守るためではなく、誰かを所有するために使われているなら。


 それは、俺たちが壊そうとしている奴隷契約と、どれほど違うのか。


 その時だった。


 小法廷の奥、教会席のさらに後ろから、静かな声が響いた。


「その問いには、慎重に答える必要があります」


 ざわめきが止まった。


 白と青の法衣をまとった女が立ち上がる。


 白銀の髪を高く結い、額には青白い宝石。

 穏やかな顔。

 けれど、その瞳には温度がない。


 教会の男たちが、一斉に頭を下げた。


 審問官まで、慌てて姿勢を正す。


「大司教エルヴィア猊下」


 その名が、小法廷に落ちた。


 エルヴィアは微笑んだ。


「その聖剣は、教会が正式に管理いたします」


 穏やかな声だった。


 だが、その一言で、場の空気が完全に彼女のものになった。

 俺は、その静けさに背筋が冷えるのを感じた。




聖剣を教会が管理する。その一言で、場の空気はエルヴィアのものになりました。

穏やかな声で流れを変える大司教が、ここから本格的に登場します。

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― 新着の感想 ―
この大司教、「勇者は世界の意思だ」みたいな事を言いそう。 その勇者が起こした事故は、一体誰が償うのか…。 「勇者」自身が償うはずないよな…。 任命した王国、教会、騎士団、貴族の四つがそれぞれ償う…
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