第067話 勇者の剣は誰を守る
聖剣が、三度目の光を放とうとしていた。
セリアの盾は軋んでいる。
ナギの刀も、光の流れを逸らすたびに刃鳴りを上げていた。
イリスの即席結界は、観客席を守るだけで限界に近い。
それでも、誰も退かなかった。
退けば、民衆が焼かれる。
勇者の剣によって。
「アルベルト! 手を離せ!」
俺は叫んだ。
答えは、怒鳴り声ではなかった。
「離れないんだよ!」
アルベルトの顔は歪んでいた。
傲慢。
怒り。
屈辱。
その奥に、恐怖がある。
彼の指は聖剣の柄に食い込んでいた。
いや、柄の黒い紋様が指を呑み込んでいるように見えた。
聖剣の光が膨らむ。
「来る!」
イリスが叫んだ。
俺は支援術をセリアへ流す。
盾の亀裂を読む。
足首の負荷を読む。
肩から肘へ逃がせる角度を探す。
「セリア、正面で受けるな。右へ逃がせ」
「承知!」
セリアが盾を傾ける。
ナギがその盾の縁へ刀の峰を重ねた。
「押す」
「頼む!」
青黒い光がぶつかった。
今度は正面から受け止めない。
セリアの盾が流れを受け、ナギの刀が軌道を削り、イリスの結界が散った残滓を受け止める。
光は試合場の外壁へ逸れた。
石壁が砕ける。
だが、観客席には届かない。
民衆の悲鳴が、別の音へ変わった。
息を呑む音。
助かったと気づく音。
そして、誰かが叫んだ。
「あの人たちが、止めたぞ!」
その声は、歓声にはならなかった。
まだ怖すぎたからだ。
けれど、視線は変わった。
奴隷を侍らせた男。
危険な女たち。
違法所有の疑い。
そう見ていた目が、今は別のものを見ている。
勇者の暴走から、自分たちを守った者たちを。
民衆の中には、まだ怯えている者もいた。
当然だ。
助けられたからといって、すぐに信じられるものではない。
セリアの盾に刻まれた奴隷商の古い管理傷。
ミュールの獣耳。
イリスの腕輪。
ロゼッタの商会印。
ナギの刀。
彼女たちは、王都の民が安心して見られる存在ではなかったはずだ。
だが、恐怖の中で人は見てしまう。
誰が逃げたか。
誰が押し退けたか。
誰が前に立ったか。
言葉よりも、肩書きよりも、その瞬間の行動が残る。
俺はその視線を背中に感じながら、アルベルトへ向かった。
「試合停止! 勇者アルベルト、聖剣を置け!」
審判騎士が叫んだ。
騎士団が試合場へ踏み込む。
だが、誰もアルベルトへ近づききれない。
聖剣の周囲には、まだ青黒い光が渦巻いていた。
不用意に近づけば、巻き込まれる。
「俺に命令するな」
アルベルトが呻いた。
「俺は勇者だ。俺に、命令するな」
その言葉に、俺は違和感を覚えた。
いつものアルベルトなら、もっと傲慢に言う。
民衆へ見せつけるように、胸を張って。
だが今の言葉は、誰かに言い返しているようだった。
目の前の騎士ではない。
俺でもない。
聖剣でもない。
もっと内側から聞こえる何かに、必死で逆らっているように。
「イリス、何が見える」
「柄です」
イリスは震える声で答えた。
「剣身じゃありません。柄の奥に、命令を通す中核があります。そこから勇者さんの腕へ流れて、聖剣の出力が上がっています」
「勇者が剣を使っているんじゃないのか」
「逆です」
イリスの顔がさらに青ざめた。
「剣が、勇者さんを経路にしています」
その言い方は、ひどく嫌だった。
経路。
道具。
通り道。
人間を、人間として扱わない言葉だ。
俺は奴隷市場で、それを何度も聞いた。
商品。
素材。
危険物。
実験体。
剣奴。
そして今、勇者にも似た言葉が当てはまろうとしている。
気分が悪かった。
アルベルトのために胸を痛めたわけではない。
そこまで俺は善人ではない。
ただ、人を人でなくす仕組みが、今度は聖剣という形で目の前に現れた。
それを見過ごせば、俺たちが裁判で証明したことまで嘘になる。
法廷で聞いた言葉が、頭をよぎる。
奴隷の証言に価値などない。
奴隷は主人の持ち物だ。
アルベルトは、そう言った。
そのアルベルト自身が、今、聖剣の持ち物のように見えていた。
許すつもりはない。
彼が俺を追放したこと。
五人を侮辱したこと。
民衆の前で彼女たちを踏みにじったこと。
それらは全部、彼自身の責任だ。
だが、それとは別に、目の前で起きていることを見誤るわけにはいかなかった。
「あれは、剣ではないな」
セリアが低く言った。
盾を構えたまま、彼女はアルベルトを見ている。
「剣は、持ち主の意志を通すものだ。だが、あれは逆に見える」
「逆?」
「持ち主へ、何かを通している」
セリアの言葉に、ナギが頷いた。
「首輪と同じ音がする」
短い言葉だった。
だが、背筋が冷えた。
黒杯で見た首輪。
ナギのうなじに残る刻印。
奴隷狩りが使おうとした暫定隷属刻印。
それらと同じ系統の何かが、勇者の聖剣にある。
「封印布を!」
騎士団長らしき男が叫んだ。
騎士たちが銀糸の織り込まれた布を広げる。
聖具なのだろう。
魔力を遮るための封印布。
だが、その動きは遅い。
騎士たちは訓練されている。
個々の動きは悪くない。
それでも、勇者へ武器を向けることに身体がためらっていた。
彼らにとって勇者は、守るべき象徴だった。
民衆の前で称え、王国の力として掲げるものだった。
その象徴が民衆へ光を放った時、彼らは何を守ればいいのか分からなくなった。
セリアが盾越しに叫ぶ。
「民を見ろ!」
騎士たちの視線が、観客席へ向く。
泣いている子供。
腕を押さえる老人。
伏せたまま動けない女。
「勇者の名ではない。今、守るべきものを見ろ!」
その声は、騎士団席に深く刺さった。
一人の若い騎士が、最初に動いた。
「封印布、前へ!」
続いて、数人が動く。
遅れていた命令系統が、ようやく民衆のために動き始めた。
「近づくな!」
アルベルトが叫ぶ。
聖剣がまた脈打つ。
その瞬間、ミュールが動いた。
彼女はアルベルトへ向かわない。
聖剣へも向かわない。
試合場の床に散っていた破片を蹴り上げた。
白石の欠片がアルベルトの足元で跳ねる。
彼の視線が一瞬だけ落ちた。
「今」
ミュールが言う。
セリアが盾で前へ押し、ナギが聖剣の光の流れを横へ逸らす。
イリスが結界を薄く伸ばし、騎士たちの前に一瞬の防壁を作る。
封印布が、聖剣へかかった。
青黒い光が布の内側で暴れる。
アルベルトが絶叫した。
「やめろ! 俺から、勇者を奪うな!」
その言葉に、試合場が凍った。
剣を奪うな、ではない。
力を奪うな、でもない。
勇者を奪うな。
彼にとって、聖剣は武器ではなかった。
自分が勇者である証そのものだった。
そして今、その証が彼を縛っている。
俺はその声を聞きながら、胸の奥が冷えていくのを感じた。
勇者とは、何だ。
魔獣を斬る者か。
民衆を守る者か。
王国に認められた者か。
教会に登録された者か。
アルベルトは、勇者の名で俺を追放した。
勇者の名で五人を侮辱した。
勇者の名で裁判を起こし、勇者の名で御前試合を求めた。
その名が、今、彼自身を縛っている。
ざまあみろと思えるほど、単純ではなかった。
気持ちのどこかには、確かにそれもある。
だが、それだけで済ませるには、聖剣の黒い紋様はあまりに冷たかった。
騎士たちが封印布を引き締める。
アルベルトの指が、ようやく柄から剥がれかけた。
だが、聖剣は抵抗した。
布越しに、黒い紋様が浮かぶ。
それは文字のようで、鎖のようで、血管のようでもあった。
イリスが一歩近づく。
「危ない」
俺は止めようとした。
「大丈夫じゃないです。でも、見ないと分かりません」
彼女は震えながらも、目を逸らさなかった。
腕輪の光を細く絞り、封印布越しの聖剣へ当てる。
黒い紋様が、わずかに浮き上がった。
その形を見た瞬間、イリスの呼吸が止まった。
「違う」
「イリス?」
「これ、勇者を選んでいるんじゃありません」
彼女の声は小さかった。
だが、近くにいた者たちは全員聞いた。
ロゼッタが帳面を握りしめる。
「では、何をしているのです」
イリスは、封印布に浮かぶ黒い文様を見つめたまま言った。
「この剣、勇者を登録しています」
ロゼッタの表情が変わった。
商人として、契約を読む者として。
彼女は「登録」という言葉の重さを理解していた。
「登録には、登録者がいます」
ロゼッタが低く言う。
「誰が勇者を登録し、誰がその記録を管理しているのか。そこを隠したまま、これは事故だとは言わせません」
審判騎士が息を呑む。
騎士団の記録係が、慌てて記録石の向きを聖剣へ合わせた。
封印布の上で、黒い紋様がさらに濃くなる。
まるで、見られていることを嫌がっているようだった。
アルベルトは膝をついている。
それでも、剣から完全には離れられていない。
勇者が剣を持っているのではない。
剣が、勇者をまだ離していない。
封印箱の内側で、聖剣が低く鳴った。
勇者が剣を持っているのではなく、剣が勇者を離していない。
その違和感が、勇者制度への疑問をさらに強くしていきます。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




