第066話 聖剣の暴走
新章、聖剣暴走からの開始です。
勝利の直後、レオンたちは勇者の暴走から民衆を守る側に回ります。
聖剣の光が、観客席へ放たれた。
白ではなかった。
最初は確かに、勇者の剣にふさわしい清らかな光に見えた。
だが、試合場を越えた瞬間、その光は青黒く濁った。
祈りの光ではない。
祝福の光でもない。
何かを縛り、従わせ、押し潰すための光だった。
「伏せろ!」
俺が叫ぶより早く、観客席から悲鳴が上がった。
逃げようとした人々が互いにぶつかる。
子供を抱えた女が足をもつれさせる。
貴族席の護衛が主を庇って立ち上がり、その後ろの民衆を押し退ける。
光は、まっすぐそこへ向かっていた。
「セリア!」
「応!」
セリアが走った。
試合場の白石を蹴り、観客席へ向かう光の前に割り込む。
盾を構えた瞬間、彼女の足元に亀裂が走った。
聖剣の光が盾へ叩きつけられる。
音が消えた。
一瞬、世界が真っ白になった。
次に来たのは、骨の奥まで震わせる衝撃だった。
「ぐっ……!」
セリアの膝が沈む。
盾の表面に、青黒い紋様が蜘蛛の巣のように走った。
ガレスが鍛え直した盾が、悲鳴を上げている。
だが、砕けない。
「私の後ろに、民がいる」
セリアは歯を食いしばった。
「ならば、退けるものか!」
彼女の言葉に、騎士団席が揺れた。
王国の騎士たちは、誰もすぐには動けなかった。
勇者の聖剣が民衆へ向いた。
その事実を、彼らの身体が理解する前に、セリアが受け止めていた。
かつて反逆者と呼ばれた聖騎士が、王都の民の前に立っている。
皮肉な光景だった。
だが、今この場で誰よりも騎士らしいのは彼女だった。
「盾の裏に、入れ!」
セリアが叫ぶ。
その声で、観客席の前列にいた人々が我に返った。
老人が杖を落としながら身を屈める。
若い男が隣の女を引き寄せる。
泣き出した子供を、知らない誰かが抱き上げる。
誰かを押し退けて逃げるだけだった混乱が、ほんの少し形を変えた。
守られる側も、ただ立ち尽くしているだけではない。
セリアの盾が、彼らに動く理由を与えた。
「ナギ! 角度を変えられるか!」
「斬れば散る。逸らす」
ナギの声は短かった。
彼女はセリアの横へ滑り込む。
刀を抜く。
刃ではなく、峰を光の端へ当てた。
普通なら、そんなことに意味はない。
光は光だ。
斬れるものではない。
だが、ナギは光そのものではなく、その流れを見ていた。
黒杯闘技場で人の死角を読み、御前試合で斧の軌道を断った剣。
その剣が今、聖剣の光の「通り道」を叩いた。
「ここ」
小さな一言。
直後、光がわずかにずれた。
観客席の中央を貫くはずだった青黒い奔流が、石壁の上部へ逸れる。
壁が砕け、白い破片が雨のように降った。
「イリス!」
「はい!」
イリスが両腕を前へ出した。
腕輪が激しく光る。
彼女の顔は青ざめていた。
それでも、目だけは逸らしていない。
「結界、即席で張ります。粗いです、でも、止めます!」
半透明の膜が観客席の前に広がる。
完全な結界ではない。
揺らぎ、歪み、ところどころ薄い。
だが、降り注ぐ石片と青黒い光の残滓を受け止めるには十分だった。
結界に触れた破片が砕け、砂になって落ちる。
民衆が息を呑んだ。
「ミュール!」
「もう行ってる」
声は観客席の側から返ってきた。
ミュールは、いつの間にか試合場の柵を越えていた。
混乱の中、落ちかけた子供の襟を掴み、片腕で抱き上げる。
「動かない。下を見るな」
子供が泣きながら頷く。
崩れた柵の向こうで、母親らしき女が手を伸ばしていた。
ミュールは子供を投げない。
自分の身体を支点にして、女の腕へ丁寧に返す。
「抱いて。離さないで」
「あ、ありがとう……」
礼を最後まで聞かず、ミュールは次の悲鳴へ走った。
その動きに、観客席の何人かが目を奪われた。
獣人。
暗殺者。
奴隷。
さっきまでなら、そう呼ばれていたはずの少女が、誰より早く民衆の間へ飛び込んでいる。
ミュールは称賛を待たない。
視線も受け取らない。
倒れた男の足に絡んだ布を短剣で切る。
瓦礫の影でうずくまる少女を見つけ、肩を叩く。
逃げ道を塞いでいた壊れた椅子を蹴り飛ばす。
「こっち。走れる人は右。走れない人は座って手を上げて」
言葉は短い。
だが、迷いがない。
人を殺すために鍛えられた足音が、今は人を逃がす道を作っていた。
「獣人の子が、助けてくれた」
誰かが呟いた。
ミュールは聞こえていないふりをした。
だが、耳がほんの少しだけ動いた。
「審判! 試合停止です!」
ロゼッタの声が試合場を切った。
彼女は審判台へ向かって走りながら、片手で帳面を開いている。
「規約第七項、観客席への攻撃は故意過失を問わず即時停止! 第十二項、観客被害発生の恐れがある場合、騎士団は退避誘導を優先! 聞こえているなら旗を下ろしなさい!」
審判騎士が硬直していた。
勇者の聖剣。
王族席。
教会席。
民衆の悲鳴。
その全てに挟まれて、判断を失っていた。
ロゼッタは容赦しなかった。
「今、記録石は回っています。ここで動かなければ、あなたの不作為も残ります」
審判騎士の顔色が変わる。
旗が振り下ろされた。
「試合停止! 観客退避! 騎士団、救護に回れ!」
ようやく騎士たちが動き出す。
俺も走った。
セリアの盾の裏へ支援を流し、イリスの結界へ魔力の癖を合わせる。
薬師、治癒師、聖職者、鑑定士。
頭の中で職能を切り替える暇はない。
必要なものを、必要な場所へ流し込む。
足元には、砕けた白石と、血の混じった砂が散っていた。
怪我人は多い。
直撃は避けた。
だが、衝撃で倒れた者、破片で腕を切った者、恐怖で呼吸を乱した者がいる。
俺は一人ずつ完治させる余裕はない。
まず出血を止める。
次に呼吸を整える。
骨折は動かさない。
意識のある者には、隣の者の手を握らせる。
雑用係だった頃に覚えたことが、ここでも役に立っていた。
戦場で一番大事なのは、派手な奇跡ではない。
今死ぬ者を、次の一呼吸まで引き留めることだ。
「息を吸って。俺の声を聞け。大丈夫、まだ動かなくていい」
泣きそうな少年が、俺の袖を掴む。
「勇者様が、なんで」
答えられなかった。
俺にも分からない。
ただ一つだけ、言えることがある。
「今は、助かることだけ考えろ」
少年は震えながら頷いた。
「セリア、左手を離すな。盾の縁がもたない」
「承知!」
「イリス、結界の上を薄くしろ。下を厚く。破片は落ちる」
「や、やってます!」
「ナギ、二度目が来る」
「見えている」
そして、アルベルトを見る。
彼はまだ聖剣を握っていた。
いや、握っているのではない。
離せないのだ。
「止まれ……止まれ、聖剣! 俺は、俺は勇者だぞ!」
アルベルトの声には怒りだけではない。
恐怖が混じっていた。
聖剣の柄から黒い紋様が伸び、彼の手首を這っている。
アルベルトはそれを振りほどこうとするが、指が剣から剥がれない。
「何をしている、アルベルト! 剣を下ろせ!」
ダリオが叫ぶ。
「下ろせないんだよ!」
アルベルトが怒鳴り返した。
その叫びで、俺は確信した。
これは、ただの暴走ではない。
アルベルトが怒りに任せて振るった一撃では済まない。
聖剣が、彼を使っている。
次の光が膨らむ。
今度は観客席だけではない。
試合場全体へ、青黒い波が広がろうとしていた。
「全員、伏せろ!」
俺は叫びながら、近くで倒れていたリリアの肩を掴んだ。
勇者パーティの治癒役。
さっきまで敵側にいた女。
彼女の額から血が流れている。
「な、なんで」
「治療対象だからだ」
短く答え、止血薬を押し当てる。
リリアは言葉を失った。
その横で、ボルグが瓦礫の下敷きになった観客を押し上げようとしていた。
勇者側の重戦士も、混乱の中でようやく人を守る側へ動いている。
それでいい。
敵味方を数えている場合ではない。
視界の端で、ロゼッタが騎士団の配置を変えさせていた。
「貴族席だけを守るな! 民衆側の階段を開けなさい! 逃げ道が片側だけでは圧死します!」
「しかし、王族席の警護が」
「王族席の結界は生きています。民衆席は壊れています。優先順位を間違えれば、記録に残します」
騎士が言葉に詰まる。
ロゼッタは畳みかけた。
「責任を取りたくないなら、今すぐ正しい命令に従いなさい」
彼女は剣を振っていない。
魔術も使っていない。
それでも、混乱した試合場の流れを動かしている。
誰がどこへ逃げるか。
誰が何を記録するか。
誰が後で責任を問われるか。
彼女はその全てを武器にしていた。
「セリア、もう一度来る!」
「受ける!」
「受けるだけじゃだめです!」
イリスが叫んだ。
彼女は聖剣を見ていた。
光ではなく、光の奥にある術式を。
「中心が違います。剣先じゃない。柄です。命令が、柄から勇者さんの腕を通って出ています!」
「命令?」
「はい! 魔術というより、契約の流れです!」
契約。
その言葉に、ロゼッタが振り向いた。
「誰が、誰に対して?」
「まだ分かりません。でも」
イリスの声が震える。
聖剣の光が、また膨らんだ。
セリアが盾を構える。
ナギが刀を添える。
俺が支援を重ねる。
イリスは、青ざめたまま言った。
「これ、隷属刻印に似ています。でも奴隷を縛るものより、ずっと古いです」
聖剣が、三度目の光を放とうとしていた。
聖剣の光には、奴隷を縛るものより古い術式が混じっていました。
勇者の力そのものが、別の誰かに管理されている可能性が見え始めます。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




