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第059話 魔塔の反論

イリス回です。

魔塔は彼女を危険物として扱おうとしますが、イリスは自分の言葉で反論へ向かいます。

 ユリウスの証言は、夜明け前まで続いた。


 赤鎖。

 黒杯。

 貴族代理口座。

 魔塔系研究基金。

 教会系慈善院。


 紙の上でしか見えなかった線が、人の声でつながっていく。


 ミュールは最後まで病室の窓際に座っていた。

 眠らない。

 カザルが捕縛され、ギルド支部へ引き渡された後も、証人のそばを離れなかった。


 宿へ戻った時、空は薄く明るくなっていた。


 誰もまともに眠れていない。


 それでも、王都は待ってくれない。


 朝食も終わらないうちに、次の使者が来た。


 魔塔の使者だった。


 紫紺の長衣。

 銀の塔章。

 感情の読めない顔。


 彼は宿の食堂に入ると、俺ではなくイリスを見た。


「未回収研究資産イリス」


 その一言で、イリスの肩が震えた。


 俺は立ち上がりかける。


 だが、ロゼッタが先に動いた。


「人を資産と呼ぶ書類は、まず私が受け取ります」


 使者はロゼッタを見る。


「あなたに権限は」


「あります。契約担当です」


「奴隷身分者に契約担当とは」


「その発言も記録しますわ」


 ロゼッタは手を差し出す。


 使者は一瞬だけ眉を寄せたが、書類筒を渡した。


 ロゼッタは封を確認する。

 魔塔印。

 王都魔塔支部長の署名。

 教会法務局の副承認。


「正式書類ですわね」


「当然です」


「当然のように人を資産扱いするのは、あまり誇ることではありませんわ」


 使者は表情を変えなかった。


 ロゼッタが書類を開く。


 俺の横で、イリスが小さく息をしている。


 腕輪の光が乱れていた。


「イリス」


 俺が声をかけると、彼女は無理に笑おうとした。


「大丈夫です」


 大丈夫ではない。


 でも、今はその言葉を否定しない。


 ロゼッタが読み上げる。


「魔塔所属研究資産イリスは、未承認の外部接触、危険魔力保持、実験記録の不正持ち出し、事故原因物としての隔離義務違反により、即時引き渡しを求める」


 セリアが低く言う。


「事故原因物」


 ミュールの耳が伏せる。


 ナギの指が刀の柄へ近づく。


 イリスは目を閉じていた。


 その言葉を聞いたことがあるのだろう。

 何度も。


 魔塔の使者は続ける。


「彼女は危険です。魔力暴走により施設崩落を招き、複数の研究員を負傷させた。王都裁判に先立ち、魔塔が安全管理を行います」


「安全管理とは、拘束ですか」


 俺が聞くと、使者は平然と答えた。


「必要ならば」


 怒りが喉まで上がる。


 だが、ロゼッタが書類を机に置いた。


「却下です」


「あなたに却下する権限は」


「あります。少なくとも、今この場で引き渡す義務はありません」


 ロゼッタは書類の一箇所を指す。


「この引き渡し要求は、魔塔内部規定に基づくものです。王都裁判所の拘束命令ではない。さらに、イリスさんは今回の裁判における重要証人です。証人を一方当事者である魔塔へ引き渡すことは、証言妨害にあたります」


 使者の表情がわずかに動いた。


「魔塔は当事者ではありません」


「黒杯の押収品から魔塔系薬品が出ています。ユリウスさんの証言でも、黒杯資金の一部が魔塔系研究基金へ流れています。十分に当事者ですわ」


 ロゼッタは容赦ない。


 使者は少し黙った。


 その沈黙が、答えだった。


 イリスがゆっくり目を開ける。


「資料を」


 小さな声だった。


 俺は彼女を見る。


「イリス?」


「私の資料を、出してください」


 彼女の手は震えている。

 だが、目は逃げていない。


 俺は荷物から、彼女が夜のうちにまとめていた紙束を出した。


 調律腕輪の設計図。

 地下施設の術式写し。

 魔力逆流の解析。

 事故当日の出力試験記録の断片。


 それらは、夜のうちにイリスがまとめたものだった。


 眠れていないはずだ。

 それでも彼女は、震える手で線を引き、数字をそろえ、読める形に直していた。


 俺も少し手伝った。


 紙を押さえる。

 インクを替える。

 彼女が早口で言う理論を、ロゼッタが裁判で使える言葉に直す。


「魔力逆流の三層干渉」


「裁判官には通じませんわ」


「では、外部から無理な力を流された、で」


「それなら通じます」


 そんなやり取りを、夜明けまで続けていた。


 イリスは何度も「これは私のせいです」と言いかけた。

 そのたびに、ロゼッタが「責任と全責任は違います」と訂正した。


 俺はその言葉を覚えている。


 責任から逃げないことと、全部を背負わされることは違う。


 イリスは今、その違いを自分の手で紙にしている。


 イリスはその紙束を胸の前に置いた。


「私は、危険物ではありません」


 声は震えていた。


 それでも、食堂にいる全員に聞こえた。


「危険な実験を止められなかった魔導師です」


 魔塔の使者が眉をひそめる。


「責任を認めるのですか」


「認めます。私に未熟さはありました。でも、事故は私一人の暴走ではありません」


 イリスは資料の一枚を開く。


「外部出力試験が強制されていました。安全域を超えた魔力逆流。抑制具への過負荷。記録では、試験責任者の署名欄が削られています」


 使者の目が初めて鋭くなった。


「その資料は魔塔の所有物です」


「違います」


 イリスは首を横に振る。


「これは私の研究です。私が計算し、私が失敗し、私が向き合うべき記録です」


 俺は彼女の横に立った。


 何も言わない。


 彼女が自分で言うための場所を守る。


 イリスは続ける。


「魔塔は私を封じました。でも、封じる前に、なぜ事故が起きたのかを隠しました」


 ロゼッタがすぐに紙へ書き込む。


「事故原因の隠蔽疑い」


 使者は冷たい声で言った。


「危険な発言です」


「危険な実験よりは、だいぶ穏やかです」


 イリスが言い返した。


 一瞬、食堂の空気が止まる。


 ミュールの耳がぴくりと動く。

 セリアの口元がわずかに緩む。

 ナギが小さく頷いた。


 使者は書類筒を閉じる。


「魔塔は、公開裁判で反論します」


「どうぞ」


 ロゼッタが微笑む。


「こちらも反論しますわ」


 使者はイリスへ視線を戻した。


「後悔しますよ。魔塔の保護下に戻る機会を拒んだことを」


 イリスは腕輪に触れた。


「保護ではなく、拘束です」


 そして、少しだけ息を吸う。


「私はもう、戻りません」


 使者は去った。


 扉が閉まる。


 その瞬間、イリスの膝から力が抜けた。


 俺は慌てて支える。


「大丈夫か」


「大丈夫では、ないです」


 彼女は小さく笑った。


「でも、言えました」


「ああ」


 イリスの手は冷たかった。


 腕輪の光も、少し乱れている。


 それでも、彼女は書類から目を離さない。


「怖かったです」


「うん」


「あの声を聞くと、まだ体が勝手に固まります。戻らなければならない気がする。説明しても無駄だと思ってしまう」


 彼女は小さく息を吐いた。


「でも、無駄ではないのですね」


「無駄じゃない」


「私が言えば、私の言葉になるのですね」


「そうだ」


 イリスは紙束を見た。


「研究も、同じです。奪われたままだと思っていました。私の計算も、失敗も、怖さも、全部魔塔のものにされたと思っていました」


 腕輪の光が、ゆっくり整っていく。


「でも、違います。これは私が向き合うものです。魔塔に閉じ込められるためではなく、もう一度魔導師として立つために」


 セリアが静かに頷いた。


「その言葉は、法廷でも言うべきだ」


「言えますか」


 イリスの問いは、誰かに保証を求めるものではなかった。

 自分に確かめるような声だ。


 ミュールが短く言う。


「怖かったら、ミュールが後ろ見る」


 ナギが続ける。


「前はセリア殿がいる」


 ロゼッタが紙をそろえる。


「言葉の順番は私が整えます」


 俺は笑った。


「俺は」


「貴方は余計なことを言わないでください」


 ロゼッタに先に刺された。


 イリスが小さく笑った。


 それだけで、食堂の重さが少しだけ軽くなった。


 ロゼッタはイリスの資料を整理していた。


「今の使者、試験責任者の署名欄に反応しました」


「見ていたのか」


「当然です」


 彼女は削られた署名欄の写しを指す。


「ここに原本があるはずです。魔塔支部の奥。禁忌実験記録として隠している」


 イリスの顔色が変わる。


「原本があれば、事故の責任を押しつけられた証拠になります」


 ミュールが窓を見る。


「魔塔、見張り増えた」


 ナギが静かに言う。


「取りに行くのか」


 ロゼッタは答えない。


 代わりに、俺を見る。


 俺はイリスを支えながら、削られた署名欄を見た。


 魔塔が隠した記録。


 イリスを危険物にした紙。


 それが、王都魔塔支部の奥にある。


 イリスはまだ俺の袖を掴んでいた。


 だが、その目はもう扉ではなく、資料の先を見ている。


「取り返したいです」


 彼女が言った。


「原本を。私が何をされたのか、私が何を止められなかったのか。ちゃんと見たい」


 怖いはずだ。


 それでも、見たいと言った。


 封じられた危険物ではなく、真実を見に行く魔導師の声だった。

 その声を、俺は信じた。

 信じたいではなく、信じると決めた。

 もう、彼女を封じる側には立たない。

 絶対に、そう決めたのだ。


 裁判まで、あと二日。


 紙の檻を壊すには、まだ足りない一枚があった。



イリスは危険物ではなく、危険な実験を止められなかった魔導師として立とうとしました。

裁判まであと二日、紙の檻を壊すにはまだ足りない一枚があります。

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