第057話 証言を集める者たち
裁判準備回です。
ロゼッタが証拠を並べ、王都で戦うための形へ整えていきます。
王都南区の指定宿は、夜になっても静かにならなかった。
通りを巡回する靴音。
窓の外で立ち止まる気配。
食堂に居座る監視役の咳払い。
寝るための宿ではない。
見張るための箱だ。
ロゼッタはその食堂の奥で、机いっぱいに書類を広げていた。
黒杯の帳簿。
赤鎖の札。
魔塔薬品の押収記録。
夜爪の搬入符号。
教会印章つき資金台帳の写し。
解放者の家の保護記録。
セリア、ミュール、イリス、ロゼッタ、ナギそれぞれの経緯。
そして、王都裁判所からの召喚状。
紙の山だ。
見ているだけで頭が痛くなる。
ロゼッタは、その山の中で生き生きしていた。
ただし、楽しそうではない。
戦場で剣を研ぐ者の顔だった。
彼女は書類の端をそろえ、インクの濃さを見て、封蝋の欠けを確認している。
紙の手触り、押された印の角度、署名の癖。
俺にはただの文字の列に見えるものが、ロゼッタには地形のように見えているらしい。
「これとこれは、同じ筆跡ですわ」
「どれだ」
「黒杯の偽帳簿と、王都外縁治安維持協力証の写し」
彼女は二枚の書類を並べる。
「数字の七の跳ね方が同じ。公的書類と闇闘技場の写しに同じ癖があるというのは、なかなか愉快です」
「愉快なのか」
「腹立たしい時ほど、愉快と言うのです」
なるほど、ロゼッタ語は難しい。
「証拠は、集めるだけでは足りません」
彼女は羽根ペンを走らせながら言った。
「相手が否定できない順番で並べます」
「順番で変わるのか」
「変わります。最初に感情を出せば、感情論と切り捨てられる。最初に結論を出せば、こじつけと言われる。相手が一歩ずつ認めざるを得ない階段にするのです」
階段。
紙で檻を作る相手に対し、こちらは紙で階段を作る。
ロゼッタらしい。
彼女は一枚目の紙に「黒杯」と書いた。
その下に、細い線を引く。
「裁判長が教会寄りだった場合、最初から教会印を突きつけると握り潰されます。ですから、まず誰も否定しづらい事実から始める」
「黒杯が違法施設だったこと」
「ええ。王都側も、表向きは黒杯を庇えません」
「まず、黒杯闘技場が違法施設だったこと。これはギルドの押収記録とマルタさんの証言で固めます」
二枚目。
「次に、黒杯が赤鎖とつながっていたこと。赤鎖札、搬入記録、帳簿番号」
三枚目。
「次に、魔塔薬品が黒杯で使われていたこと。イリスさんの分析と押収瓶」
イリスが小さく頷く。
「成分表、夜までに書けます」
「助かります」
四枚目。
「夜爪の搬入符号。ここはミュールさんの証言が重要です」
ミュールは窓際で耳を動かしていた。
「言う」
「怖ければ」
「言う」
短いが、決意は固い。
五枚目。
「教会印章つき資金台帳。これは最も危険です。出す順番を間違えると、こちらが教会を侮辱したと攻められます」
セリアが眉を寄せる。
「事実でもか」
「事実だからこそですわ」
ロゼッタは冷静に言う。
「強い相手に対しては、事実を出すだけでも罪にされます。だから、先に黒杯、赤鎖、魔塔、夜爪を積み、最後に資金の流れとして教会印を置く」
ナギが低く言う。
「白い袖は」
「まだ直接は出しません」
「なぜ」
「相手が名乗る前に斬ると、こちらが悪者になります」
ナギは少し考えた。
「裁判とは、面倒な決闘だ」
「その認識はかなり正しいですわ」
ロゼッタは紙の並びを指でなぞった。
「黒杯。赤鎖。魔塔薬品。夜爪。資金台帳。最後に教会印。これで、相手に一つずつ認めさせます」
「一つでも崩れたら」
「別の階段を作ります」
彼女は当然のように言う。
「そのために、証言が複数必要です。紙は燃やせます。人も黙らせられます。ですが、紙と人と物証が同じ方向を向けば、簡単には消せません」
ロゼッタは次に、解放者の家の保護記録を開いた。
「そして最も重要なのが、五人がレオンさんの所有物ではないこと」
食堂の空気が静かになる。
俺はロゼッタを見た。
「どう証明する」
「証言です」
「奴隷身分の証言は軽く扱われるんだろう」
「ええ。だから、証言だけでは足りません」
彼女は五人それぞれの書類を並べる。
「セリアさんは、盾の修繕記録、ギルド依頼参加記録、本人の戦闘判断。命令ではなく自分の騎士道で動いていることを示します」
セリアが静かに頷く。
「ミュールさんは、夜爪追跡事件と黒杯での証拠確保。命令された暗殺者ではなく、自分で守る対象を選んだ記録」
ミュールの尾が少し動く。
「イリスさんは、調律腕輪の設計図。拘束具ではなく本人が使う道具であること。危険物扱いへの反論にもなります」
イリスは腕輪を抱くように触れた。
「ロゼッタさんは」
俺が言うと、彼女は少しだけ笑った。
「私は、自分で証明します。契約担当として報酬条件を結んでいること、帳簿管理権限を持っていること、そしてレオンさんの財布を握っていること」
「最後のは言うのか」
「言います。主人と奴隷の関係で、奴隷が主人の財布を管理するなど普通ありませんもの」
確かに。
「ナギさんは、黒杯で自分の意思で外部命令鎖を斬ったこと。さらに、解放者の家へ戻った後、黒杯崩壊作戦に自分の意思で参加したこと」
ナギは目を伏せる。
「拙者は、まだ首輪を持つ」
「だからこそ、首輪があっても意思は残ると示します」
ロゼッタの声は柔らかくなかった。
だが、強かった。
「相手は首輪があるから奴隷だと言う。こちらは、首輪があっても人は選べると示します」
俺は息を吐いた。
それは、この物語の中心にある言葉だった。
命令ではなく、選択。
ロゼッタは次の紙を取り出す。
「問題は証人です」
「マルタさんとガレスさんか」
「はい。すでに証言書を頼んでいます。王都への到着には一日か二日」
「間に合うのか」
「間に合わせます」
彼女はさらに別の紙を出す。
「黒杯から救出された奴隷戦士の証言も必要です」
ミュールの耳が動いた。
「危ない」
「ええ。相手も狙うでしょう」
「もう見られてる」
ミュールが窓の外を見た。
俺もそちらを見る。
通りの向こう。
露店の影。
一瞬だけ、黒い布が動いた気がした。
「夜爪か」
「匂い、近い。黒杯にもいた匂い」
空気が一段重くなる。
ロゼッタは表情を変えずに、証人候補の名簿を畳んだ。
「救出者の一人が、王都へ来ています」
「誰だ」
「黒杯の檻にいた元文官です。赤鎖と貴族代理口座のつながりを見たために売られた、と保護記録にあります」
彼女は名簿の一行を指した。
「名はユリウス・ベイル。元王都財務局の下級文官。黒杯の台帳では戦闘価値なし、処分予定とされていました」
「文官を闘技場に?」
「見せ物にする価値がなくても、口を塞ぐ檻としては使えます」
ロゼッタの声が冷える。
「彼の証言があれば、黒杯の金が王都のどこへ流れたのかを補強できます」
「つまり、相手が最初に消したい証人です」
紙の階段を作る前に、踏み板を抜きに来る。
王都のやり方は、早かった。
そして、冷たい。
相手は裁判が始まる前から、もう裁判をしている。
証言する口を減らすことで。
それが王都の先手だった。
嫌なほど合理的だ。
だからこそ、腹が立つ。
強く、深く、重く、熱かった。
ミュールの耳が伏せた。
「文官」
「心当たりがあるのか」
俺が聞くと、ミュールは少し黙った。
「昔、殺せなかった人に似てる」
その言葉だけで、何かが見えた。
ミュールが奴隷落ちした理由。
任務失敗。
殺せなかった誰か。
ロゼッタもそれを察したようだったが、今は深く聞かなかった。
「その文官は、王都南区の古い施療院に匿われています。明日、証言を取る予定でした」
ミュールが窓から離れる。
「今行く」
「待て」
セリアが言う。
「罠の可能性がある」
「罠でも行く。匂いが動いた」
ミュールの声は低い。
その時、宿の扉が叩かれた。
受付の男が慌てて食堂へ入ってくる。
「レオン様、外に急使が」
監視役の二人が、同時にこちらを見た。
普通の客のふりをしていたはずなのに、反応が早すぎる。
ロゼッタがそれを見て、帳面に短く書いた。
「監視役、急使の内容に反応」
「そんなことまで」
「裁判では、何が効くかわかりません」
セリアが扉の方へ半歩移動する。
ナギは窓側へ視線を置く。
イリスは腕輪に触れ、魔力を細く整えた。
宿そのものが、急に狭く感じた。
急使。
嫌な予感がした。
入ってきたのは、王都ギルド支部の少年だった。
息を切らしている。
袖に血がついていた。
「南区の施療院で、証人が襲われました」
ミュールが動いた。
ロゼッタが立ち上がる。
「生きていますの?」
「わかりません。護衛が一人倒れて、現場に黒い爪の印が」
夜爪。
ミュールの瞳が、音もなく冷えた。
「行く」
今度は誰も止めなかった。
ただ、レオンは言った。
「一人では行かせない」
ミュールは振り返らずに答えた。
「知ってる」
王都で最初に狙われた証人。
そして、ミュールの過去へ続く黒い爪。
裁判の準備は、すでに血の匂いを帯び始めていた。
証言を集める戦いは、すぐに血の匂いを帯び始めました。
狙われた証人と夜爪の合図が、ミュールの過去へつながっていきます。
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