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第055話 王都の門

 王都は、美しかった。


 遠くから見えた白い城壁は、朝日を受けて淡く輝いている。

 高い塔がいくつも空へ伸び、尖塔の先には王国旗と教会旗が並んでいた。

 巡礼者の列。

 商隊の荷馬車。

 銀の鎧を着た騎士。

 整えられた石畳。


 ここだけを見れば、王都は秩序そのものに見えた。


 だが、門へ近づくほど、その秩序の影が見えてくる。


 商人や貴族の馬車は、ほとんど止められずに通される。

 巡礼者は教会札を見せるだけで先へ進む。


 その横で、身分証を持たない者たちは長い列に並ばされていた。


 貧しい旅人。

 職を探す若者。

 怪我をした傭兵。

 首輪をつけたまま荷物を持つ奴隷。

 そして、昨日見た黒腕章の者たちに似た男たち。


 列は三つに分けられている。


 市民。

 商人。

 身分未確認者。


 最後の列だけ、地面に白い線が引かれていた。

 線を越えるな、ということなのだろう。


 その線の前で、小さな子供を連れた母親が何度も頭を下げていた。

 書記は机の上の紙をめくり、面倒そうに首を振る。

 母親の後ろでは、黒腕章の男が刻印具の箱を開けている。


 王都は美しい。


 だが、美しさは誰にでも開かれているわけではない。


 白い門の影に入った瞬間、人はまず分類される。

 名前より先に、身分。

 事情より先に、書類。

 意思より先に、印。


 俺は昨日の街道を思い出した。


 通行証を奪い、身元不明者にして、刻印を押す。


 あれは王都の外れで勝手にやっていた悪事ではない。

 この門の仕組みの、粗い写しだった。


 身分確認所の前では、小さな魔道具が赤黒く光っていた。


 暫定隷属刻印。


 名前を知ってしまったせいで、余計に嫌なものに見える。


 イリスが馬車の中で腕輪を握った。


「同じ型です」


「昨日の刻印具か」


「はい。門のものは、もっと大きく、整えられています。簡易刻印ではなく、確認と登録を兼ねているようです」


 セリアは窓の外を見ている。


「王都の門で、あれを使うのか」


 声に怒りが滲んでいた。


 ミュールはフードを深くかぶっている。

 耳は隠れているが、落ち着きがない。


「匂い、多い。嘘も多い」


 ロゼッタは書類鞄を抱え直した。


「ここからは言葉の選び方を間違えないでください」


「俺か」


「主に」


「主に俺か」


「ええ」


 否定できないのが悔しい。


 ナギは静かに城壁を見上げていた。


「白い」


「王都の城壁は、白石で作られている」


 セリアが答える。


 ナギは目を細めた。


「白い袖を思い出す」


 それ以上、何も言わなかった。


 門の前で、俺たちの馬車は止められた。


 騎士が二人。

 法務官らしき文官が一人。

 教会の印をつけた書記が一人。


 待っていたような顔だった。


「レオン殿ですね」


 文官が言った。


 殿。


 丁寧な言葉だ。

 だが、その目は俺の後ろにいる五人を数えていた。


「王都裁判所より出頭命令を受けています」


「はい」


「同行者の身分確認を行います」


 ロゼッタがすぐに前へ出た。


「確認の前に、こちらの書類を」


 彼女は召喚状の写し、ギルド保護記録、黒杯帳簿の証拠番号を順に出した。


 文官は受け取ったが、表情を変えない。


「王都到着時の手順では、同行奴隷五名を一時拘束するとあります」


「その手順は、同行者が所有者不明の奴隷である場合に限ります」


 ロゼッタは微笑んだ。


「こちらの五名は、それぞれ事情が異なります。保護対象、証人、裁判関係者、契約代理人、黒杯事件の被害者。まとめて拘束する根拠はありませんわ」


 文官の眉が動いた。


「あなたは」


「ロゼッタ・フォルン。債務競売記録はこちらに。現在はレオンさんの契約担当として同行しています」


「債務奴隷では」


「債務奴隷として買われ、現在は解放手続き中です。王都裁判でその正当性も争うのでしょう?」


 ロゼッタの声は穏やかだった。


 だが、相手に一歩も譲らない。


 文官は次にセリアを見る。


「元聖騎士セリア・ヴァレンシュタイン。呪印付き奴隷身分」


 セリアの目が冷える。


「現在は証人として同行する。王都で作られた冤罪についても、法廷で話すつもりだ」


 文官はわずかに顔をしかめた。


 ミュールへ視線が移る。


「獣人暗殺者ミュール」


「ミュール」


 彼女は短く訂正した。


「暗殺者では」


「今は、ミュール」


 それ以上言わない。

 だが、その沈黙には刃があった。


 イリスの番になった時、教会書記の後ろにいた魔塔服の男が一歩出た。


「イリス。魔塔回収対象」


 イリスの肩が震えた。


 俺が前へ出ようとすると、彼女は自分で一歩出た。


「イリスです。魔導師です。回収対象ではありません」


 声は小さい。

 だが、言い切った。


 最後にナギ。


 文官は書類を見て眉を寄せた。


「ナギ・シノノメ。東方剣奴。黒杯事件の」


「ナギ・シノノメ」


 ナギが静かに言った。


「東雲流の継承者だ」


 その言葉に、教会書記の目がほんのわずかに動いた。


 ロゼッタはそれを見逃さなかった。


「今の反応、記録しますわ」


「何を」


「神域鍵保持者という文言に、教会側が反応した可能性です」


 文官が咳払いした。


「身分確認は続行します。一時拘束については」


「拒否します」


 ロゼッタが言った。


 門の空気が固まる。


「拒否権はありません」


「あります。こちらは王都裁判所の出頭命令に応じて到着した裁判関係者です。証人を裁判前に拘束すれば、証言の自由性が損なわれる。さらに、黒杯事件の被害者を王都到着時に拘束すれば、王都が黒杯側と利害関係にあると疑われます」


 文官の顔色が変わる。


 ロゼッタは続けた。


「どうします? 門前で、王都裁判所が黒杯被害者を拘束したという記録を作りますか」


 周囲の視線が集まり始めていた。


 商人。

 巡礼者。

 身分確認の列に並ぶ者たち。


 王都の門前は人目が多い。

 ロゼッタはそこを使っている。


 文官は奥歯を噛むような顔をした。


「一時拘束は保留とします」


「保留」


「ただし、王都滞在中は監視付きです。宿泊場所も指定します」


「妥協点としては、最低ですわね」


「受け入れますか」


 ロゼッタが俺を見る。


 俺は五人を見た。


 拘束は回避した。

 だが、監視付き。


 完全な自由ではない。


 それでも、門前で引き離されるよりはずっといい。


「受け入れる」


 俺は言った。


 文官は書類に何かを書き込む。


 その間にも、周囲の視線が刺さっていた。


「あれが召喚状の」


「女奴隷を五人も」


「聖騎士の鎧が見えるぞ」


「獣人もいる」


「魔塔の危険物ではないのか」


 小声は、小声のまま届く。


 言葉は刃ほど鋭くない。

 だが、何度も触れれば肌を削る。


 セリアは表情を変えない。

 ミュールはフードの奥で耳を伏せている。

 イリスは視線を下げかけ、すぐに上げた。

 ロゼッタは民衆の声まで帳簿に記録するような目をしている。

 ナギは人々の視線を静かに受けていた。


 黒杯の観客とは違う。


 ここにいる人々の多くは、俺たちを傷つけたいわけではない。

 ただ、知らない。

 知らないまま、王都が用意した言葉で俺たちを見る。


 危険な奴隷。

 女奴隷。

 元罪人。

 獣人暗殺者。

 危険魔導師。

 剣奴。


 紙に書かれた言葉が、人々の目を染めている。


 その時、門の内側からざわめきが広がった。


 人々が左右へ分かれる。

 白い外套。

 金の髪。

 勇者の剣。


 アルベルトが現れた。


 彼は王都の民衆の前で、まるで最初からそこに立つべき人物だったかのように歩いてくる。


 周囲から声が上がった。


「勇者様だ」


「アルベルト様」


「黒杯事件の調査に関わっていると聞いたぞ」


 アルベルトはその声を当然のように受け取り、俺の前で足を止めた。


「来たか、レオン」


「召喚状が来たからな」


「逃げずに来たことだけは褒めてやる」


 彼の視線が、俺の背後の五人へ移る。


 その目を見た瞬間、ナギの手が刀へ近づいた。

 セリアが盾の位置を変える。

 ミュールの耳がフードの下で伏せる。

 イリスの腕輪が震える。

 ロゼッタが扇子を閉じる。


 アルベルトは笑った。


「見ろ」


 彼は周囲の民衆へ声を張った。


「あれが、勇者パーティから追放された雑用係だ」


 ざわめきが広がる。


「奴隷を侍らせ、善人面をする偽善者だ」


 民衆の視線が、俺たちに刺さった。


 好奇。

 嫌悪。

 疑い。

 恐れ。


 黒杯の観客席とは違う。

 だが、人を値踏みする目は同じだった。


 俺は拳を握った。


 怒鳴れば、負ける。

 剣を抜けば、相手の思うつぼだ。


 ロゼッタが小さく言う。


「記録しています」


 セリアが低く息を吐く。


 ミュールが背後の人の動きを読む。


 イリスが腕輪を押さえる。


 ナギが静かにアルベルトを見る。


「あれが、勇者か」


「そうだ」


「人を品定めする目をしている」


 その声は小さかった。


 だが、俺には十分聞こえた。


 アルベルトは笑みを深める。


「王都へようこそ、レオン。ここでは、お前のきれいごとは通用しない」


 王都の門が、背後で開いている。


 美しい都。

 白い壁。

 整った法。

 そして、紙と刻印で作られた檻。


 俺たちは、その中へ足を踏み入れた。



レオンたちは、紙と刻印で作られた檻の中へ足を踏み入れました。

王都の門で向けられた視線は、次の勇者との再会へつながります。

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