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第054話 奴隷狩りを狩る

「王都治安維持令により、身元不明者を暫定拘束する」


 黒い腕章の男が、そう言った。


 声には迷いがない。

 慣れている。


 壊れた馬車。

 地面に倒れた旅人。

 縄で縛られた男女。

 そして、腕に押し当てられようとしている焼きごてのような魔道具。


 その先端で、赤黒い刻印が脈打っていた。


 奴隷首輪とは違う。

 だが、目的は同じだ。


 人を止める。

 人を縛る。

 人の意思より先に、誰かの権限を焼きつける。


「止める」


 セリアが言った。


 もう盾を構えている。


 俺が頷くより早く、彼女は街道へ踏み出した。


「その手を離せ」


 声が通る。


 黒腕章の男たちが振り返った。

 人数は六人。

 護衛らしき二人。

 縄を持つ者が二人。

 魔道具を持つ者が一人。

 馬車の荷を漁っている者が一人。


 彼らは盗賊ではない。


 身なりは整っている。

 腕章もある。

 書類筒も腰に下げている。


 だからこそ、たちが悪い。


「何者だ」


 男が問う。


 セリアは盾を上げた。


「通りすがりの者だ」


「王都治安維持隊の職務を妨害する気か」


 ロゼッタが馬車から降りた。


「王都治安維持隊?」


 彼女は扇子を開く。


「正式な隊であれば、任命書と拘束対象の身元照会記録を提示してください」


 男の眉が動いた。


「女が口を出すな」


「その返答、かなり点が低いですわ」


 ロゼッタは微笑んだ。


「書類を出せない職務執行者は、職務執行者ではなく、書類を持った賊です」


 空気が変わる。


 男が顎をしゃくった。


「拘束しろ」


 護衛二人が動いた。


 セリアが受ける。


 正面から。


 剣が盾にぶつかり、乾いた音が街道に響いた。


「力で押すだけか」


 セリアの声は静かだった。


「なら、止めやすい」


 盾の角度が変わる。

 剣の力が横へ流れ、男の体勢が崩れた。

 セリアは柄で相手の胸を打ち、地面に沈める。


 もう一人が横を抜けようとする。


 そこへナギが立った。


 刀は抜いていない。

 鞘の先だけで、相手の進路を塞ぐ。


「ここは通さぬ」


「どけ、剣奴」


 男が言った瞬間、ナギの目が冷えた。


 だが、刀は抜かない。


 彼女は一歩だけ踏み込み、鞘で男の手首を打つ。

 剣が落ちる。

 次に膝。

 男は崩れた。


「拙者は、もう見世物の剣ではない」


 短い言葉だった。


 その間に、ミュールは縛られた旅人たちの後ろへ回っていた。


「動かないで」


 彼女は小さく言い、縄を切っていく。


 旅人の一人が怯えた目でミュールを見る。

 獣人を恐れているのか、短剣を恐れているのか、それとも助けられることに慣れていないのか。


 ミュールは少しだけ目を伏せた。


「逃げるなら、林じゃなくて馬車の後ろ。そっち、足跡少ない」


 怯えた男は頷いた。


 縛られていた者は五人いた。


 商人らしき中年の男。

 その妻。

 荷運びの青年。

 旅芸人風の女。

 そして、まだ十代半ばほどの少年。


 少年の腕には、すでに薄い赤い痕があった。

 刻印具を当てられかけた跡だ。


「痛むか」


 俺が聞くと、少年は首を横に振った。


 嘘だ。


 目が痛いと言っている。


 俺は治癒師の感覚で痕を診る。

 定着前の魔力火傷。

 処置が遅れれば、痕だけでなく、弱い命令反応が残るかもしれない。


「イリス、あとで中和を手伝ってくれ」


「はい。刻印が定着する前なら、消せます」


 少年が目を見開いた。


「消せるの?」


「消します」


 イリスは少しだけ強い声で言った。


「こんなもの、残していい術式ではありません」


 イリスは魔道具を持つ男を見ていた。


 男は焦って、縛られた若い女の腕に刻印具を押し当てようとする。


「動くな! こいつに暫定隷属刻印を」


「させません」


 イリスの腕輪が光った。


 刻印具の先端に集まっていた赤黒い魔力が、ふっと乱れる。


 男が驚く。


「何をした」


「術式の流れを横にずらしました」


「魔塔式か」


「違います」


 イリスは一歩前へ出る。


「私の調律です」


 刻印具が火花を散らし、男の手から落ちた。


 俺はすぐに走り、縛られていた女の腕を確認する。


 焼きつく前だった。

 赤い痕はあるが、刻印は定着していない。


「痛むか」


「少し」


「痕は残るかもしれない。でも、縛られてはいない」


 女は泣きそうな顔で頷いた。


 ロゼッタはその間に、黒腕章の隊長らしき男の書類筒を奪っていた。


「失礼」


「返せ!」


「職務執行なら、見せられるはずですわ」


 彼女は封を切る。


 中から出てきたのは、王都発行の許可証だった。


 ただし、正式な身柄拘束令ではない。


「王都外縁治安維持協力証。身元不明者、債務逃亡者、浮浪者の暫定拘束を許可」


 ロゼッタの目が鋭くなる。


「範囲が広すぎますわね」


 彼女はさらに裏面を読む。


「拘束後、三日以内に身元照会。照会不能の場合、王都労務院へ移送。労務院で暫定隷属刻印を正式登録」


「労務院?」


 俺が聞くと、ロゼッタは吐き捨てるように言った。


「名前だけは立派ですわね。実態は、安い労働力を作る場所でしょう」


 商人の妻が震える声で言った。


「私たちは、身元不明ではありません。通行証も、荷札もありました」


「奪われたのですね」


 ロゼッタが見ると、黒腕章の男は視線を逸らした。


 ミュールが地面の荷物を嗅ぐ。


「紙、あっち」


 彼女が馬車の下から革袋を引き出した。

 中には、旅人たちの通行証と荷札が入っている。


 ロゼッタの声がさらに冷えた。


「身元不明者を作ってから、身元不明者として拘束する。なるほど。効率的な犯罪ですわ」


 旅芸人の女が、悔しそうに唇を噛んだ。


「王都の近くなら安全だと思っていました」


「王都の近くだから、こういう者が増えるのでしょう」


 ロゼッタは許可証を折りたたむ。


「法の影に隠れる悪党ほど、始末が悪いですわ」


 その影が、王都の城壁から伸びている。

 まだ門にも着いていないのに、もう喉元へ届いていた。

 王都は、すぐ近くだ。

 もう目前だった。


「王都の命令だ」


「王都の名を使えば、旅人を奴隷にしてよいと?」


 男は答えない。


 代わりに、懐から笛を取り出そうとした。


 ミュールの短剣が、笛の紐だけを切る。


「呼ばせない」


 最後の一人が逃げ出した。


 ナギが追う。


 殺すためではない。

 逃げ道へ先回りするための走りだ。


 彼女は男の前に滑り込み、鞘で地面を打った。


 男が足を止める。


「戻れ」


 ナギの声に、男は震えて膝をついた。


 戦闘は終わった。


 だが、終わっていないものがあった。


 イリスが落ちた刻印具を拾い上げる。

 直接触れず、布で包んでいる。


「これ、危険です」


「奴隷首輪と同じか」


「似ています。でも、首輪より雑です。体に直接、簡易的な命令経路を焼きつける仕組みです」


 ロゼッタが許可証を広げる。


「ここにありますわ。《暫定隷属刻印》」


 その単語を聞いた瞬間、セリアの表情が変わった。


「隷属刻印」


 ナギも首元に触れる。


 ミュールの耳が伏せた。


 イリスは刻印具の先端を見つめる。


「奴隷契約より古い術式に似ています」


「また古いのか」


 俺が言うと、イリスは頷いた。


「はい。外側は新しい。王都の法務術式です。でも芯にある命令構造が、ナギさんの首輪の古い層や、黒杯の刻印と似ています」


 彼女は少し青ざめていた。


「この術式、古すぎます」


 街道に沈黙が落ちた。


 暫定。


 治安維持。


 身元確認。


 言葉は穏やかだ。

 だが、その奥にある術式は、人を従わせるための古い鎖だった。


 ロゼッタが許可証を畳む。


「王都へ着く前に、王都のやり方を見せられましたわね」


 捕らえた黒腕章の男が、地面に転がったまま笑った。


「お前らも同じだ。王都に着けばわかる。奴隷身分の連中は、刻印を確認される」


 俺は男を見る。


「誰の命令だ」


「王都の命令だよ」


 男は笑う。


「勇者様の告発で来る奴隷連れがいるって、もう通達が回ってる。門で止められるぜ」


 セリアが盾を握る。


 ミュールが男の匂いを嗅ぐように顔を近づけた。


「嘘は少ない」


 つまり、本当だ。


 王都はもう、俺たちを待っている。


 旅人たちの治療を終え、黒腕章の男たちを縛った。

 許可証と刻印具はロゼッタが証拠として確保する。


 助けられた女が、震えながら頭を下げた。


「ありがとう、ございます」


「まだ安全じゃない。近くの宿場まで送る」


 彼女は俺ではなく、五人を見た。


 セリアの盾。

 ミュールの短剣。

 イリスの腕輪。

 ロゼッタの書類。

 ナギの鞘。


「あなたたちは」


 言葉に迷っている。


 奴隷なのか。

 護衛なのか。

 冒険者なのか。


 セリアが静かに答えた。


「ただ、通りすがった者だ」


 ナギが少しだけ首を傾げる。


「そして、檻を見過ごせなかった者だ」


 女は泣きそうな顔で頷いた。


 王都へ向かう道は、また静かになった。


 だが、もう最初の静けさとは違う。


 街道の先に、王都の影が見え始めていた。


 白い塔。

 高い城壁。

 美しい都。


 その門の前で、誰かが俺たちを待っている。


 紙の檻だけではない。


 刻印の檻も、そこにある。



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