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第041話 初めての防衛戦

解放者の家、初めての防衛戦です。

レオンたちは、助けた者を「商品」として取り戻そうとする相手に立ち向かいます。

「ここに預けた商品があるはずだ。返してもらおうか」


 門の外から響いた声に、トマの肩が跳ねた。


 椀の中のスープが揺れる。

 白くなった指が、木の器を握りしめていた。


「商品じゃない」


 俺は言った。


 自分でも驚くほど、低い声だった。


 セリアが盾を持ち、食堂の扉の前へ出る。

 ミュールはすでに窓際にいない。

 匂いと足音を追って、影の中へ消えていた。


 イリスは腕輪に指を添え、息を整えている。

 紫の光が、彼女の手首で細く脈打った。


 ロゼッタは帳簿と保護記録を抱えたまま、トマの前に立った。


「トマさん、部屋に戻りなさい」


「でも」


「これは命令ではありません。身を守るための提案です」


 トマは俺を見た。


 俺は頷く。


「大丈夫だ。ここから先は、俺たちの仕事だ」


 トマはまだ震えていた。

 それでも、ロゼッタに背を押される前に、自分の足で一歩動いた。


 その一歩を見た瞬間、腹の奥に火が入った。


 この家は、まだ屋根も壁も頼りない。

 契約書も穴だらけだ。

 資金も足りない。

 看板だって仮の板だ。


 それでも、今あの子が戻る部屋がある。


 なら、守る理由としては十分だった。


 俺は食堂の灯りを一つ消した。

 廊下の影が濃くなる。


「セリア、正面を頼む」


「承知」


「イリス、殺さず止める術式は」


「できます。床の魔法陣の残りを逆に使います。ただし、広くは無理です」


「十分だ。ロゼッタ、相手が何を言っても、記録を取ってくれ」


「言われなくても」


 ロゼッタは羽根ペンを持ち直した。


「相手の自白は、高く売れますわ」


 門を叩く音がした。


 一度。

 二度。

 三度目で、外の男が苛立った声を出す。


「聞こえてんだろうが。赤鎖商会の保管物を勝手に持ち出せば、窃盗だぞ」


 セリアが玄関へ向かう。


 俺も続いた。


 扉を開けると、夜風が流れ込んだ。

 門の外に男が四人。

 裏手に二人。

 ミュールの言った通りだ。


 先頭の男は革鎧を着ていた。

 腰には短剣。

 顔には笑み。

 だが、目だけは笑っていない。


「ようやく出てきたか。こっちは穏便に済ませたいんだ」


「穏便に済ませたい人間は、夜に六人で押しかけない」


 俺が言うと、男の眉がわずかに動いた。


「若いな。世間を知らねえ顔だ」


「知りたくもない世間を持ち込むな」


 男は笑った。


「いいか。そこの屋敷は、うちの荷の一時保管に使っていた。中に逃げたガキがいる。そいつはうちの物だ。返せば、今日は帰る」


 背後で、ロゼッタのペンが紙を走る音がした。


「所有証明はありますの?」


 ロゼッタが玄関の陰から声をかける。


 男の視線が彼女へ向いた。


「誰だ、お嬢ちゃん」


「質問に答えなさい。所有証明、保管契約、搬入記録。どれか一つでも出せますか」


「書類は本部にある」


「では、今ここで主張できる権利はありませんわね」


 男の笑みが薄くなった。


「口の利き方に気をつけろ。赤鎖の名前を知らねえのか」


「知っています。ですから記録しています」


 ロゼッタは一歩も引かない。


「令嬢一人潰すのに、契約書を三重に偽装した商会でしょう。今さら夜盗まがいの回収ですか。人手不足ですわね」


 空気が変わった。


 男の笑みが消える。


 セリアが盾を少し上げた。


「レオン、来るぞ」


 男が片手を上げる。


「殺すな。中のガキを連れて帰れ」


 合図と同時に、裏手で物音がした。


 だが、次の瞬間、別の音が混じる。


 短い悲鳴。

 布が裂ける音。

 誰かが地面に転がる音。


「裏、ひとり」


 屋根の上からミュールの声が落ちた。


「もうひとり、逃げた」


「は?」


 男たちが振り返る。


 その隙に、セリアが門を開けた。


 こちらから出る。


 守るだけでは、玄関を破られる。

 セリアは盾を構え、正面の二人へ踏み込んだ。


 剣が抜かれる。

 盾に刃が当たる。

 鈍い音が夜に響いた。


「この家の前で、商品などという言葉を使うな」


 セリアの声は静かだった。


 だが、その静けさが怖い。


 彼女は一人目の手首を盾の縁で打ち、短剣を落とさせる。

 二人目の踏み込みを半歩で外し、足を払う。

 殺さない。

 けれど、容赦はしない。


「イリス」


「はい」


 イリスが床に置いた魔石を踏む。


 玄関前の地面に、淡い紫の線が走った。

 地下室に残っていた逃亡防止陣を、イリスが眠らせたうえで一部だけ借りている。


 外から踏み込んだ男の足が、ぴたりと止まった。


「なんだ、これ」


「拘束ではありません」


 イリスの声が震えていない。


「足元の魔力の流れを、少し重くしただけです」


「それを拘束って言うんだよ!」


「強制首輪よりは、だいぶ穏やかです」


 言い返した。


 イリスが、言い返した。


 俺はその間に、麻痺草の粉を水で薄めた小瓶を投げた。

 割れた瓶から、薄い匂いが広がる。

 殺傷力はない。

 だが、目と鼻を刺す。


「うっ」


 男が顔を押さえたところへ、セリアが盾で押し倒す。


 正面は崩れた。


 残る先頭の男が舌打ちし、懐から細い笛を出す。


「鳴らさせない」


 ミュールが屋根から落ちた。


 落下というより、影が地面に染みるような動きだった。

 彼女の短剣が男の手首の横をかすめる。

 笛だけが弾かれて、庭石の上に転がった。


 男の喉元に刃が触れる。


「動くと、声が出なくなる」


「てめえ、夜爪の」


 その言葉に、ミュールの耳が一瞬伏せた。


 だが、刃はぶれなかった。


「今は、ミュール」


 短い声。


 それだけで十分だった。


 男は歯を剥いた。


「裏切り者が。お前だって売られた側だろうが」


 ミュールの瞳が冷える。


 俺は一歩近づいた。


「ミュール」


「殺さない」


 彼女は俺が言う前に答えた。


「殺すと、聞けない」


 ロゼッタがすぐにしゃがみ、男の懐を漁る。


「失礼。証拠保全ですわ」


「やめろ!」


「夜に押し入った方が言う台詞ではありません」


 出てきたのは、赤い蝋で封じられた小さな札だった。

 赤鎖の鎖印。

 その裏に、黒い円形の印がある。


 ロゼッタの顔が変わった。


「これは、競売札ではありませんわ」


「何だ」


「入場札です。しかも、かなり下品な場所の」


 男が唾を吐こうとした。

 セリアが盾の縁を地面に打つ。

 音だけで、男は黙った。


 ミュールが札の匂いを嗅ぐ。


「血。油。鉄。薬」


 彼女の尾が低く揺れた。


「地下の匂い」


 俺は男を見る。


「どこの入場札だ」


 男は笑おうとした。

 だが、ロゼッタが札を月明かりにかざした瞬間、その笑いは引きつった。


「言わなくても、文字は読めますわ」


 黒い円の中に、小さな闘剣の紋章。

 その下に、暗号のような短い文字列。


 ロゼッタが読み上げる。


「黒杯闘技場」


 男の顔から血の気が引いた。


 ミュールが低く言う。


「聞いたこと、ある。売られた刃が、試される場所」


 俺は倒れた男たちを見回した。


 全員、生きている。

 骨は折れているかもしれない。

 鼻血も出ている。

 だが、生きている。


 セリアは盾を下ろし、門の外へ一歩出た。


「聞け」


 夜道の向こうに、近所の明かりがいくつか揺れていた。

 誰かが窓の隙間からこちらを見ている。

 赤鎖の名前を聞いて、誰も外へは出てこない。

 それを責める気にはなれなかった。


 怖いのだ。


 赤鎖は、そういう名前として街に染みている。


「この屋敷はギルド管理の賃貸物件として、正式にレオンが借り受けた」


 セリアの声は、通りにまっすぐ通った。


「ここにいる者を商品と呼ぶことは許さない。所有証明もなく人を連れ去ろうとするなら、次も止める」


 男が呻く。


「騎士気取りが」


「元、だ」


 セリアは静かに返した。


「だからこそ今は、自分の判断で立っている」


 その言葉に、トマの部屋の扉が少しだけ開いた。


 少年が、隙間からこちらを見ていた。


 ロゼッタが振り返る。


「トマさん、出てはいけないと言いましたわ」


「見たかった」


 震える声だった。


「ほんとに、返さないのか」


 俺は答えようとして、少しだけ迷った。


 絶対、という言葉は重い。

 力が足りず、守れない夜が来るかもしれない。

 書類で負ける日もあるかもしれない。


 でも、だから曖昧にしていいわけではない。


「返さない」


 俺は言った。


「お前を商品として返すことは、絶対にしない」


 トマの目が揺れた。


 泣きそうな顔ではなかった。

 笑いそうな顔でもなかった。


 ただ、息をする方法を思い出したような顔だった。


 イリスが小さく息を吐く。


「記録転送の線、今の戦闘で反応しました」


「向こうに伝わったか」


「完全な情報ではありません。でも、誰かがこの屋敷で術式を使ったことは、届いたと思います」


 つまり、赤鎖は知る。


 ここがただの空き家ではなくなったことを。

 逃げ込んだ子供を返さない者たちがいることを。

 そして、こちらに魔術を扱える人間がいることを。


 ロゼッタが黒杯の札を握る。


「なら、急ぎましょう。相手が態勢を整える前に、こちらも次の証拠を取りに行くべきです」


「今夜か」


「いいえ。今夜は守った。次は、攻める準備です」


 その時、裏手から逃げたはずの男が叫んだ。


「もう遅えよ! 明日の夜、目玉商品が出る! 東方の剣奴だ! お前らが来なくても、買い手は王都から来る!」


 ミュールが走り出そうとした。


 俺は止めなかった。

 ただ、名前を呼んだ。


「ミュール」


 彼女は足を止める。


 逃げた男の足音は遠ざかっていく。


 捕らえた男が、荒い息の中で笑った。


「解放者の家だと? 笑わせるな。明日の黒杯には、檻が百ある」


 夜の風が、仮看板を揺らした。


 解放者の家。


 その名前を掲げた最初の夜。


 俺たちは、自分たちの家を守った。


 そして同時に、まだ見ぬ檻の数を知らされた。



解放者の家は、最初の夜に自分たちの家を守りました。

けれど、黒杯にはまだ百の檻があると知らされます。

次は、闇闘技場というさらに大きな檻へ向かうことになります。

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