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第035話 王都からの噂

イリス編から、商人令嬢ロゼッタ編への橋渡しです。

王都から流れてきた悪評と、次の競売がレオンたちを動かします。


 噂は、剣より先に街へ入ってくる。


 翌朝、ラグノールのギルドには、王都から流れてきた噂がいくつも貼り出されていた。


 正式な通達ではない。

 冒険者の伝聞。

 商人の書き付け。

 王都の酒場で誰かが言ったらしい話。


 だが、噂は紙より軽いくせに、鎖より絡みつく。


 マルタが掲示板の前で眉間を押さえていた。


「早いですね」


「何がですか」


 俺が尋ねると、彼女は一枚の写しをこちらへ渡した。


 追放された元雑用係、辺境で危険奴隷を収集。

 元聖騎士、獣人暗殺者、暴走魔導師を私兵化。

 魔塔資産奪取の疑い。

 勇者パーティへの逆恨みか。


 短い文章だった。


 短い分、悪意が詰まっている。


「ずいぶん都合よくまとめられていますね」


「噂とはそういうものです」


 マルタは淡々と言った。


「事実を少し混ぜると、嘘はよく走ります」


 セリアが俺の横で写しを読む。


 表情は変わらない。

 だが、指が盾の縁を強く握っている。


「元聖騎士、か」


「セリア」


「大丈夫だ。怒ってはいるが、折れてはいない」


 ミュールは掲示板の下から紙を見上げていた。


「獣人暗殺者。間違ってない」


「それだけじゃない」


 俺が言うと、彼女は耳を少し動かした。


「知ってる」


 イリスは腕輪を押さえながら、噂の一文を見つめていた。


 暴走魔導師。


 その言葉は、まだ彼女に深く刺さる。


「私がいると、噂の材料になります」


「君がいなくても、別の材料を探す」


 俺は写しを折りたたんだ。


「向こうは俺たちを危険な集団にしたい。なら、こちらは何をしているかを行動で見せるしかない」


「行動で」


 イリスが繰り返す。


 その時、掲示板の前にいた若い冒険者が、こちらを見て一歩下がった。


 無意識の動きだったのだろう。

 彼はすぐに気まずそうな顔をした。

 だが、その一歩は見えてしまった。


 別の商人が、小声で仲間に囁く。


「あれが噂の」


「元聖騎士って、本物か」


「獣人のほう、目が合ったら殺されるんじゃ」


 ミュールの耳が動く。

 セリアの背筋が、さらにまっすぐになる。

 イリスは腕輪を押さえたまま、少しだけ俯いた。


 噂はもう紙の上だけではない。


 視線になっている。

 距離になっている。

 誰かが一歩下がる理由になっている。


「すみません」


 イリスが小さく言った。


「また謝っている」


 俺が言うと、彼女は唇を噛んだ。


「でも、今のは」


「噂を書いたのは君じゃない。広めたのも君じゃない」


「けれど、怖がらせているのは」


「怖がる人はいる」


 セリアが静かに言った。


「私も、かつて民に怖がられた。裏切り者だと呼ばれた。だが、その声だけを自分の名にしてはならない」


 ミュールが続ける。


「怖がる人、いる。でも、全部じゃない」


 彼女は掲示板の向こうを指した。


 そこでは、昨日助けた斥候が包帯を巻いた足でこちらへ頭を下げていた。

 隣の下働きの少年も、少し緊張しながら手を振っている。


 イリスはその二人を見た。


 腕輪の光が、ほんの少しだけ落ち着く。


「全部では、ない」


「そうだ」


 俺は頷いた。


「だから、今日も一つずつ増やす」


「今日はロゼッタ・フォルンを買い戻す」


 セリアが頷く。


「契約で縛られた者を、契約ごと見るために」


「そして、噂で負けないために」


 マルタが付け加えた。


「ロゼッタさんが本当に契約に強いなら、彼女は今後かなり重要になります」


 競売は夕刻。


 それまでにやることは多かった。


 まず金。


 セリアとミュールを買い戻し、イリスの腕輪を作り、薬や素材も消費した。

 財布は軽い。

 かなり軽い。


 俺は机の上に硬貨を並べた。


 マルタが無言で見ている。


 セリアも見ている。


 ミュールは硬貨の匂いを嗅いでいる。


 イリスは申し訳なさそうにしている。


「少ないですね」


 マルタが容赦なく言った。


「知っています」


「競売で勝つには足りない可能性が高いです」


「ですよね」


 ガレスが鍛冶場から来て、袋を一つ置いた。


「前借り分だ」


「これ以上は」


「勘違いするな。貸しだ。ロゼッタとかいう女が本当に商人なら、後で利子をつけて返させる」


「本人に会う前から利子を取るんですか」


「商人なんだろ」


 ガレスは鼻を鳴らした。


 セリアも自分の小袋を置く。


「私の登録報酬分だ」


「それは君の装備に」


「今必要なのはこちらだ」


 ミュールも懐から小さな銀貨を出した。


「どこから」


「夜爪の追手が持ってた」


「それは」


「落とした。たぶん」


 マルタが咳払いをした。


「回収物として一度ギルドに提出されているものです。手続き上、正当な報酬として処理済みです」


「なら大丈夫か」


「大丈夫にしました」


 頼もしい。

 怖いくらいに。


 イリスは自分の腕輪を見る。


「私は、お金がありません」


「昨日まで研究奴隷扱いだった人間から金を取る気はない」


「でも、何か」


 彼女は少し考え、鞄から焦げた紙片を出した。


「魔塔の術式写しです。完全ではありませんが、売れば魔導師には価値があります」


「売らない」


 俺は即答した。


「それは君の研究だ」


「でも」


「必要なら、君自身が使う。君のものを、また誰かの金に変えたくない」


 イリスは目を伏せた。


「……はい」


 腕輪の紫が、少しだけ柔らかく光る。


 金はまだ十分ではない。


 だが、競売は金だけでは決まらない。


 少なくとも、赤鎖はロゼッタを持て余している。

 態度不良。

 買い主候補への侮辱。

 契約条件の逆提示。


 普通の買い主は嫌がる。

 なら、こちらに勝ち目はある。


「問題は、赤鎖が俺たちに売る気があるかですね」


 俺が言うと、マルタは頷いた。


「そこです。相手はもうレオンさんを警戒しています。競売価格を吊り上げるか、別の買い主に流すかもしれません」


「別の買い主」


 セリアが低く言う。


「魔塔、貴族、あるいは勇者関係者」


 マルタの言葉に、空気が重くなった。


 勇者関係者。


 アルベルトの噂が届いた直後に、ロゼッタの競売。

 偶然かもしれない。

 だが、この数日で偶然という言葉を信用しづらくなっている。


「競売場では、言葉にも気をつけましょう」


 マルタが言う。


「強引に連れ出せば、噂の通りになります。危険奴隷を集める男だと」


「つまり、正面から買う」


「はい。ただし、契約書は必ず確認してください。ロゼッタさん本人が何か言うなら、それも聞いてください」


「本人が何か言う前提なんですね」


「競売中に価格操作未遂をする方ですから」


 ミュールの耳が立つ。


「楽しそう」


「揉め事を楽しそうと言うな」


「でも、楽しそう」


 否定しきれない自分がいた。


 競売場での役割も決めた。


 俺は入札する。

 セリアは正面の護衛と視線を合わせる。

 ミュールは出口と裏口を見る。

 イリスは契約書と競売台の術式を見る。


 そして、誰もロゼッタを勝手に動かさない。


「本人が交渉するなら、聞く」


 俺が言うと、セリアが頷いた。


「守る対象が自分で動くなら、その動きも守る」


「逃げるなら?」


 ミュールが聞く。


「逃げたい理由を聞く」


「殺しに行くなら?」


「止める」


「契約書を奪いに行くなら?」


 イリスが遠慮がちに尋ねた。


「たぶん、それは少し手伝う」


 マルタがすぐに咳払いをした。


「違法行為にならない範囲でお願いします」


「努力します」


「努力では困ります」


 いつものやり取りだった。


 だが、そのいつも通りがありがたかった。


 噂がどう広がっても、ここにはまだ俺たちを名前で呼ぶ人がいる。

 その事実だけで、踏み出す足は少し軽くなった。

 まだ、行けると思えた。今この時だけなら。


 夕刻。


 奴隷市場《赤鎖》は、いつもより人が多かった。


 新しい競売があるからだ。

 それも、元商家令嬢の債務奴隷。

 戦闘奴隷ではない。

 美しい女を買いたい貴族。

 帳簿の知識を使いたい商人。

 あるいは、没落令嬢を見下したいだけの見物人。


 いろいろな視線が競売台へ向けられている。


 俺たちは人混みの後方に立った。


 セリアは外套で首元を隠していない。

 ミュールは影に半分溶けている。

 イリスは腕輪を袖で隠しつつも、視線はまっすぐ前を向いている。


 噂の中の「危険な女奴隷たち」が、俺の隣にいる。


 だが、誰も俺の後ろにはいない。


 隣にいる。


 それだけは、どれだけ噂を歪められても変えたくなかった。


 競売台の上に、女が連れてこられた。


 蜂蜜色の巻き髪。

 汚れたドレス。

 手首には細い鎖。

 首には債務奴隷の金属輪。


 だが、背筋は伸びている。


 彼女は檻の中の者の目をしていなかった。


 むしろ、競売場全体を値踏みしている。


 奴隷商が声を張る。


「本日の目玉商品! 元フォルン商会令嬢、ロゼッタ・フォルン!」


 周囲がざわめく。


 ロゼッタはゆっくりと顔を上げた。


 緑がかった金色の瞳が、買い主候補たちを一人ずつ見ていく。


 そして最後に、俺たちのほうで止まった。


 彼女は唇の端だけで笑った。


「買うなら」


 競売人より先に、ロゼッタが言った。


「まず、貴方の財布と覚悟を見せてくださる?」


レオンたちの噂は、都合よく歪められて王都から届きました。

力で助けるだけではなく、噂や契約とも戦う必要が出てきます。

次回、買われる前から交渉を始める女、ロゼッタ・フォルンの登場です。

少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。

挿絵(By みてみん)

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